第10話 紅い珊瑚礁①

 私はサメの専門家というわけではないけれど、今回の任務を遂行するために少しだけ、本当に少しだけサメについて調べてみた。映画『ジョーズ』で有名になりサメと言えば人間を襲う凶暴な生き物だと思われているが、現実のサメが積極的に人間を捕食することは少ないのだという。ただ、海の中に血の匂いがすればそれが人間であろうと動物であろうと、肉食獣の本能として追いかけてくる。海難事故でサメに襲撃された人が多いのは、そもそも船の転覆で怪我をする確率が高く、ついでにあまり目がよくないサメが獲物と勘違いした結果襲われているケースが多いらしい。改造された凶暴なサメといってもその性質が変わらないなら、海に落ちた私たちが流血さえしてなければ危険性は減るな、とか。思ったよりも怖くないな、とか思ってたんだけど。

「そんなのあり!?」

 攻撃ですらない、ヒレと衝突しただけで船が転覆するどころか真っ二つに切り裂かれるなんて、物理法則を無視している。

「研究所は何を作ろうとしてあんなサメを開発しちゃったの!?」

「そのへんサッチから聞いてないんだよ!普通に考えたら生物兵器じゃない?」

「制御できると思ってたの馬鹿すぎるでしょ!」

 巻菜の訴えはもっともで、ただ泳いでるだけで小型漁船を真っ二つにするサメなんて、その気になれば鉄製の檻だって突き破れそうだ。ただ、すでに起きた事態に文句を言ってもしょうがないわけで。

「ミアー!レイ!生きてる!?」

 船の残骸が浮いている方向に向かって声を張り上げる。夜の海が暗すぎて何も見えない………なんで私たちは夜にサメ退治に出ているんだろう。どう考えても判断ミスじゃない?二人が溺れてたとしても助けられないよ?

「ユウリ、二人って泳げたっけ………?」

「ミアは泳げたはずだけど、この場合船の破片が沈んでく時の海流に巻き込まれたらうまく泳げない………かも」

「やばいじゃん!」

 二人のことも当然心配だけど、サメの姿を見失ったのもまずい。さっきヒレを目視で確認できたのは二人の乗る漁船の光があったからだけど、それも失った今となってはあのサメが私たちの船に近付いていても気付けないのだ。

「巻奈はソナー確認してて!船の下に潜られたらまずい!」

「了解!だけどユウリは!?」

「二人を助ける!」

 泳ぐ事態を想定して服の下にウェットスーツを着てて良かった。懐中電灯を口にくわえて勢いよく海に飛び込む。あまり時間はかけられない、二人が見つからなかったらもう終わりだ。

「………っ、ユウリ!」

「うぉ」

 小型懐中電灯のわずかな光の中に平泳ぎでこちらに近付いてくるミアの姿が確認できた。よかった、生きてた。

「ユウリーっ、怖かったよーっ!気付いたら海の中だったんだもん、生臭いし寒いし最悪だよー、もう嫌だよ日本に帰りたいよ!」

 私の口がふさがって何も言えないのをいいことに、こちらに近付いてきたミアがマシンガンのように泣き言をまくしたてる。喋れるってことは生きてるってことだし、近付いてきたってことは怪我もしてない………ってことでいいんだろう。

ふぁいひょうふ大丈夫?」

「全然大丈夫じゃないよ!ヒレがぶつかる直前で慌てて海飛び込んだけど、普通にかすったしサメ!」

ふぃふぁ血は?」

「………ちょっと出てるかも」

 かすっただけなんだけど、と自分の腕を曲げて確認するミア。牙で噛まれたわけでもなく、かすっただけで怪我をするあたりさすが生物兵器として生み出されたサメといったところだろうか。

「っていうかレイは!?見失っちゃったんだけど!」

 とりあえず一度、私と巻奈の観光船の方に戻ろうと泳ぎだしたけれど、ミアの言う通り確かにレイの姿は見当たらない。………レイって泳げたっけ?傭兵だから泳げる確率の方が高そうだけど。

「巻奈、はしご降ろして!」

「おっけー!」

 なんとか観光船に戻ってきて甲板で一息ついたけれど、状況はまったく好転していない。なんならレイを失ったかもしれない。それ最悪すぎでは?

「ライトあるじゃん、照らそう!」

 ワンピースの水を絞ったミアが、甲板についていた大きなライトを海面に向ける。その瞬間。

「あ、」

 零れるようなミアの声と同時に、海面からサメが空に向かって飛び出した。まん丸な月と満天の星空を遮るように異形の体が宙を舞う。

「このくそ魚類が!サメのくせに調子乗ってんなよボケ!」

「うわっ、」

 —————サーチライトに照らされ、浮かび上がったのはサメに下半身を食われながらサメの顔面を殴りつけるレイの姿だった。

「いやあれは死ぬさすがに死ぬ」

「私あの光景サメ映画で見たことある」

「言ってる場合じゃないよ!?」

 あれ下半身どうなってんの!?と叫びながら、デッキに置いてあったライフルを構えるミア。構えると同時に、照準を合わせることもせずに発砲。装填から発砲までわずか一秒の早業だ。通常はこんなに無造作な狙撃をしても弾は当たらないけれど、ミアは「武器に愛されている」。

「—————命中!」

「全然効いてないんだけど!?」

 私からは見えないけれど、操舵室で双眼鏡を覗いた巻奈と裸眼で着弾を確認したミアが言うんだから間違いはないだろう。でも、

「効いてないってどういうこと!?」

「弾かれてるってこと!」

「あ、でも」

 貫通はしなかったと言っても、モンスター鮫にも輪ゴムで弾かれた程度の衝撃はあったのかばしゃん、と空を遮るように飛び出していた巨体が着水した。少し間をおいてもう一度大きな水音。これはもしかして。

「レイ、解放されたんじゃない?」

「よく見えなかった!」

「分かんないけど船寄せよ!」

「え、いいの!?サメがいるあたりに寄せるってだいぶ自殺行為だよ!?」

 ミアが目を丸くしてこちらを振り返る。言いたいことはよく分かる、現役の時だったらそんな無茶はしなかった。死ぬわけにはいかなかった————仕事を終わらせるまでは。でも。

「今のこれは仕事じゃないんでしょ!私はレイを助けに行きたい!二人は!?」

 三人全員が危険にさらされる行為だ。その上レイを助けられる保証はどこにもない。でも私はもう二度と、自分のしたくないことは一つもしたくない。

「————そうだね」

 頷いたミアと、操舵室で船の方向を変えた巻奈の行動が何より雄弁な答えだった。

「よーしサメに突っ込むよ!準備はいい!?」

「万事おっけー!」

「よっしゃー、死にさらせー!」

 すっかり上手になった日本語を操りながら、低いエンジン音を立てて観光船が果敢に突っ込んでいく。船の横に固定されたダイビング用の酸素ボンベががらがらと音を立てた。そして。

「あ、いた、レイ!」

「いた!?」

「あそこに浮いてる!」

 水面に目を光らせていたミアが勢いよく海に飛び込んだ。私には暗い海のどこにレイがいるか分からないけど、彼女が言うなら間違いないんだろう。せめてサメへの威嚇射撃くらいはしようと銃を構えて海面を見張る………でも私、武器の扱いは下手なんだよなぁ。

「サメ、潜ったのかも………ソナーに反応ない」

「逃げるつもりなのか攻撃するつもりなのか………どっちにしても最悪かぁ」

「ユウリ!手かして!レイ回収した!」

「よかっ………た?」

 船の側面におろしっぱなしになっていたはしごを使って、ミアが甲板に上がってくる。背中にレイを背負ってるから無事だってことは分かるけど、でも。

「無事だった!?」

「れ、レイ、それ………大丈夫なの?」

「これが大丈夫に見えるかよ」

 甲板にべたりと背中をつけて倒れたレイがぎろりと視線だけをこちらに向ける。

「うん、どちらかというと大丈夫そうに見えないから聞いた………っていうか、喋れるのが不思議だから聞いた」

「こんなの私じゃなかったら死んでるぞ!」

 ぎゃん、と吠えるレイ。暗くてよく見えないけれど、ほぼ上半身と下半身が分離しかかってるというか………内臓零れてるというか………。

「お、おぇ」

「巻菜吐かないで!」

「だってこんっ………!うおえ、」

「あー、巻奈たぶんもうダメだ」

 こらえきれなかったようで海に向かって胃の中身を吐き出す巻奈と「普通に痛い」とぼやきながら手を伸ばして切断面に手を突っ込むレイ。どうやら内臓を正しい位置に戻そうと努力してるみたいだけど普通にグロい。巻奈じゃなくても吐きそうだ。

「わーお、レイってどうやったら死ぬの?」

「いや今死にかけてんだよ普通に」

「死にかけるっていうか人間だったら即死だからね?」

「そういうのいいから救急箱………針と糸ない?」

「あるわけないじゃん、気合でくっつけて」

 戦場にいることが多かったレイとミアはこの程度の怪我は日常茶飯事のようで、私と巻奈より淡々と対処してる。………こんな光景が日常茶飯事なんて冷静に考えて嫌すぎるけど。

「………レイが生きてたのはいいとして、サメどうするって話なんだけど」

「私、しばらくは戦えない」

「武器きかないなら何もできない」

「………」

 上半身と下半身がちぎれた傭兵と、武器が役に立たない武器使いと、人の殺し方しか分からない私(と、海面に向かってリバースが止まらない技術屋)。冷静に状況を確認して、あまりにもあんまりすぎて少し笑えてしまった。

「こういうピンチ、何回もあったけどこれはまぁまぁ酷い方だね」

「………真面目に準備しなかったつけだなぁ」

 とはいえ時間は戻らないので、何とかしてサメを倒して生きて帰る方法を考えないと。

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