第9話 アーミーオブメキシカンストリート②
真夜中とはいえ有数のリゾート地であるカンクンの海は賑わっている。そのほとんどは観光客であり、ロマンチックに夜の海を眺めたり大音量の音楽を流してテンションを上げたり、楽しみ方は様々だ。そんな一般人に盗んだ船と武器を持って出航する怪しげな姿を見られるわけにはいかないので、できるだけ目立たない場所に船をつけてくれるよう巻菜に頼んでおいて。
「ユウリ、こっち!」
約束通り、ビーチの喧騒と少し離れた場所にあった船の光を頼りに無事に合流することができた。
「巻菜は?」
「機材いじってる」
船の先端に腰を下ろし、お腹のあたりに巻いた包帯を外しているレイが親指で船長室の方を指差す。っていうか、近くで見るとこの船。
「漁船………?」
「しょうがないだろ、駆逐艦は爆破されちゃったんだから」
「漁船でサメ退治?」
想像していたよりもずいぶん小さいと思ったら、近くで見ると甲板には魚用の生簀や漁業網が置かれているあたり本当に漁船だ。サメ映画だったらオープニングで破壊される船である。
「あ、安心しろよ。もう一隻あるから」
「なんだ、早く言ってよね」
私の不安を感じ取ったのか、ひらひらと手を振ったレイが隣に停泊していた船を指差した。
「あれ」
「思ったより小さいね………?」
「間近でサメを見れるアクリルケージと水上バイクつき」
「観光用じゃん!」
漁船と観光用の小型ボートしか調達できてないなんて、ほぼ任務失敗と言ってもいいはずなのに強く言えないのは、私とミアの調達した武器も大したものじゃないからだ。拳銃もマグナムも人を殺すには充分な武器だけれど、モンスター級の大きさを誇るサメを退治するには心許ない。
「弾ってどれくらい残ってるんだっけ?」
「半分くらいかなぁ」
「うーーーーん」
車の後部座席からボストンバッグに詰めた拳銃を船に積み込むミアもさすがに渋い顔だ。ミアが使えばその武器は最大限の力を発揮するけれど、あくまでも最大限だ。不可能なことはできないよ、というのがミアの主張で、それなら12メートル級のサメの脳天に穴を開けるのはトカレフには難しい芸当なんだろうか。
「それはやってみないと分からないかなぁ」
「ダメだったら死ぬけどな」
「ははははは」
「あはははは」
互いの顔を指差してけらけらと笑うレイとミア。軍人ブラックジョークだ。その笑い声を聞きつけたのか、ひょこりと漁船の操舵室から巻菜が顔を出す。
「何?楽しそうじゃん」
「軍人二人が絶体絶命ハイになってるだけ」
「あらら」
「機械の調子はどう?」
「そもそもが漁船だからね、どれだけいじってもそんな広範囲なソナーにはなってくれないよ」
かんかん、と手に持ったドライバーで壁を叩いてから真っ黒な海の方向を指し示す。
「二隻ともソナーは元々搭載されてたから、10メートル以上の存在だけ反響させてレーダーに映すようにした!索敵範囲は狭いから動き回って探すしかないけどね〜、海の中までは軍事衛星の対象外だし」
「そこまでできればまだマシかな」
できる限りのことはやった………じゃなくて、メキシコで観光を楽しんで一日で仕事を終わらせるためにやれることはひとしきりやった。万全の準備ではないけれど、これ以上準備に時間をかけるわけにもいかない。よし。
「対人以外だと弱い私と巻菜が後方支援で観光船の方に乗るね、ミアとレイは漁船で」
「どっちの船も装備はほぼ変わらないけどね」
「それはそう」
「眠いんだけど」
「サメが見つかるまでは寝れるんじゃない?」
うだうだと言いながらも私の提案した船に乗り込んでいく三人の背中を見送る。いや、悲壮感に包まれるのも困るけど、ここまで緊張感がないのも状況と不釣り合いだ。この人たち、自分たちが今からやろうとしてること分かってるんだろうか。
「心配になっちゃう………」
「え?」
「こんなに適当な感じで働いていい任務じゃないのに」
「んー、ユウリの言いたいことは分かるけどね?」
操舵室に乗り込んでエンジンを起動させた巻菜が、私の言いたいことをくみ取って困ったように眉毛を下げて笑った。
「仕事なんかに人生賭けてらんないよ。こんなの生きるための手段でしかないわけだし」
「それは………そうかも」
「でしょ?」
エンジン音を響かせてノロノロと港から離れていく二隻の船。かつて世界を救うほど優秀だった軍人が乗るには小さすぎる船だけれど、今の私たちにはこれくらいの船がちょうどいいのかもしれない。
「危なくなったら即撤退。死にそうになったら即回避。どれだけ替えがきかない仕事でも、自分の命より大事なものなんてないしね」
「………それでいいのかな」
「いいでしょ。世界が救えるってことと、世界を救いたいってことと————あとは世界を救わなければいけないってこと。全部別のことだしね」
低いエンジン音を響かせながら真っ黒な海を進む小型船。ビーチから離れれば観光客の声も聞こえない、静かで凪いだ夜だった。
「ほら見てユウリ、星!」
空を指差して無邪気に喜ぶ後ろ姿につられて夜空を見上げる。海の上は他に明かりもないから、随分星が近く見えた。
「見慣れない星だね~」
「そりゃそうだよ、日本とメキシコでは見える星が違うんだから」
「え?」
「北半球と南半球で宇宙のどこが見えるか違うでしょ?」
「………?」
「え、まさか理解してない?」
曖昧な笑顔で首を傾ける巻奈。これは分かってないけど誤魔化そうとしている時の顔だ、間違いない。え、まじで?
「ま、巻奈、自転と公転って聞いたことある?」
「………回転するのかな?」
「星座が動く仕組みとか………」
私も詳しいわけじゃないけれど、知ってる知識を引っ張り出しながらなんとか説明しようとしたけど、そもそも単語の意味やこの世の仕組みを理解してないみたいだった。どうしてそんなことに。ハッキングにもクラッキングにも自然科学の知識は必要ないからだろうか。
「0と1しかない世界の住民だとしてもちょっとは知ってた方がいいと思うよ。日本に帰ったらNHK見ようね」
「うん!」
何も分からないなりに元気に頷いた巻奈の一般常識教育を決意して、数秒。
「あー、もしもし?聞こえる?」
「聞こえるよ、レイ」
インカムから耳なじみのいい低い声。ちなみに任務の相談をするときは当たり前みたいに全員日本語を使っている。スラングだけ母国語になってしまうのはご愛敬だ。何語でも大体の言葉は伝わるし。
「ソナーに反応があったんだけど魚影が見えない、故障か?」
「故障?」
海の向こう側に目を向ける。数メートル離れた先で点滅するレイとミアが乗った漁船は順調に進んでいるようだけど………レーダーの故障だろうか。
「レーダーはどんな様子?」
「音は鳴ってるんだけど魚影はレーダーに映ってないって感じ。これ、形も写るタイプの奴だよね?昔戦艦で似たやつ使ったことあるけど」
「海底にソナーを出して反射で測定するレーダーだから魚影まで見えるはずなんだけど………誤反応かな?大きめの岩に反応してるとか」
「ちょっと見てほしいかも。船寄せていい?」
「いいよ、上手く調整できてなくてごめんね」
言葉と同時に漁船がゆっくりと方向転換をし始める。レーダーがきちんと動くように巻奈に調整してもらうことになったみたいだ。私もその方がいいと思う—————でも。
「ねえ巻奈、なんか嫌な予感が」
言いかけた時、どん、と突き上げるような音と同時に、バランスを崩す二人の乗った漁船。そして水面に突き出した大きなヒレ。
「—————誤作動じゃない!真下だ!」
レイが叫んだ瞬間、海面に突き出した氷山くらいはありそうな大きさのヒレが二人の乗った漁船を縦に真っ二つに切り裂いた。切り裂いた!?
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