第8話 アーミーオブメキシカンストリート①
「扉が壊れるまでどれくらい?」
「もって後十五秒かなぁ?どうする?」
「どうするって」
こちらにあるのは倒れた男たちが持っていたマグナムが二丁だけ。ついでに助けなくちゃいけない子供が三人いて、この部屋には今壊されそうになっている入口の扉以外の脱出経路はない。
「………ミア、ごめんだけど弾除けになってくれる?」
さっきまで縛られていた手首をさすりながら、こっちを見たミアがにこりと笑う。
「いつものやつね、
「ごめんね、いっつも危ないことやらせて」
「なーに言ってんの」
下ろしていたブロンドの髪を手早くポニーテールにまとめながら、ミアがぐ、とこちらに親指を突き出した。
「精々、私が死なないように祈ってよね!」
そういえばミアはよく戦場でも神様に祈るみたいな仕草を見せる。明日生きてるか生きてないかも分からない状態で戦わなければいけない軍人は、実は信心深い人が多い。ミアは典型的な軍人だ。それは分かるけれど。
「………祈らないよ」
「えぇ?何それ」
「だってミアを信じてるもん」
祈りは不確かな状況に捧げるものだ。だから私は祈らない。絶対にミアが無事でいられるってちゃんと信じてるんだから。
「—————私たち、扉の影にいるね。たぶん、突入してきた奴らはすぐに発砲するはずだから、撃たれた後の隙を狙って私たちは逃げる」
床に落ちた拳銃を両手に構えたミアを見ながら、内開きの扉の開いた瞬間に死角になりそうな位置に子供たちを抱えて身を潜める。
「ミアの後ろにいたら、たぶん流れ弾で死んじゃうしね」
「よく分かってるじゃんユウリ。じゃあ、言い直すね」
扉ががんがんと音を立てて、少しずつ隙間が開いていく。あと二秒か一秒、その隙に部屋の中心に立ったミアに向かってへたくそなウインクをした。
「信じてるよ、私たちの女神様」
それを聞いたミアの水色の目がほんの少し大きく見開かれて。そして、音を立てて扉が開かれた瞬間。
「あっはははは、最高!」
水色のワンピースの裾を翻して、ミアが屈託のない笑顔で両手を広げた。鉄製の扉を開けて銃を構えた男が突入してくる。その銃口は当然のように、扉を開けた先に仁王立ちになるミアに向けられて、身構える暇も与えずに飛び出す秒速360メートルの鉛の弾。でも。
「————銃なんかが私に当たるわけないじゃん」
その弾はすべて、ミアの背後の壁に打ち込まれて轟音を立てる。正面に立ちふさがっているはずのミアにはかすり傷一つない。その隙に、子供たちを抱えて隠れていた扉の影から外に飛び出した。
「ミア!」
「大丈夫、ここは私に任せて!」
「ごめん、ありがと!」
一番重症の足を撃たれた少年を腕に抱えて、あとの二人は申し訳ないけど自力で背中にしがみついてもらう。走る私に振り落とされないかと心配したけれど、細い腕は意外にも強い力で私にしがみついていた。生きるために必死なのはこの子たちだって同じなのだ。
「一人逃げたぞ!」
「追え!」
「うわ、意外と切り替えが早いなぁ!」
銃弾がすべて外れたんだから、もう少し動揺して動きが止まればいいのに。意外と動ける構成員だ、下っ端のくせに!追ってきたのは二人、突入の時は六人くらいいたはずだから………!
「あとの四人はたぶんミアが倒してくれるはず………!」
飛び出した先にある廊下を走りながら、後ろから追いかけてくる足音に捕まらないように全力で走る。う、さすがに少し息が上がってきた、やっぱり多少はなまってるかも………!追いつかれませんように!
「ちょっと信用なさすぎじゃない!?」
後ろから聞こえる二発の発砲音と同時に、足音が止まって代わりに人が倒れる重たい音が響いた。遠距離射撃ができるような銃じゃなかったはずだけど、ミアにかかればそんなものは関係ないらしい。
「さすが!」
上がった息がばれないように短く叫ぶ。どんな形だろうと関係ない、それが人を傷つけるために作られた武器であれば、ミアに扱えないものなんて何一つないのだから。
「あとちょっとだから頑張ってね………!」
体にしがみつく子供たちに声をかけて、目の前に現れた鉄製の扉をお行儀が悪いけど足で蹴り開けて。
「——————がっ、」
それとほぼ同時に強い衝撃で体が吹き飛ばされる。背中を強く廊下の壁にぶつけて、目の前がちかちかと点滅した。待ち伏せで、思いっきり銃で頭を殴られたんだ。状況を把握すると同時に、ミアだったら激怒しそうな使い方だと笑いそうになる。
「随分やってくれたな」
「っ、あぁっ!?」
間髪入れずに体を蹴り飛ばされて、肺から思いっきり空気が抜けた。目の前に立ちふさがる男は冷たい目でこちらを見下ろして、そのまま銃口をこちらに向け、
「—————あ」
殺される、と思った瞬間、頭の中が水を打ったような静けさに包まれる。銃口をこちらに向けるすべての動きがスローモーションに見えた。
「あぁ、そうだった」
知ってる、分かってる、見えている。どんな表現が適切なのかは分からないけれど、私はずっとこの感覚と一緒に生きていた。平和な生活で忘れかけた感覚が、奔流になって指先まで流れ込む。
—————生まれた時からそう見えるなら、それが君の才能なんだね。
ずっと昔に、膝をついて私の血だらけの手を握った先生の声を思い出す。そうだった、私はずっとそういう人間だ。
「動かないで」
呟く。スペイン語で話す余裕はなかったけれど、床に転がってしまった子供たちはぴくりとも動かない。じっと息を潜めているのは私の言いたいことを雰囲気で察してくれたからだろう。
「殺すから」
手を伸ばす。子供を守らなきゃいけないとか、サメを殺すためとか、そんなの全部頭から抜けていた。ただ目の前の男の殺し方が星のように頭にきらめく。
「——————殺せるから」
小石を一つどかしただけで堤防が決壊するように、一つのねじが抜けただけで機械が動かなくなるように、人間だって同じくらいに脆い。打ち所が悪ければ階段から足を踏み外しただけで死んでしまうし、転んだだけで植物状態になることだってある。私にはその「打ち所が悪い部分」が、人を傷つけるための最小限に必要な場所が分かってしまうのだ。だから。
「おま、ぐぇ、がっ、」
首筋、一か所だけ、肉の柔らかい部分に勢いよく親指を突き立てる。大きさにしてわずか数ミリ、筋肉も骨も通り抜けて直接頸椎の神経を触れる部分がある。理屈は先生に教わってから知ったけれど、その位置を人間が動いているのに指圧するのは通常不可能だということも同時に知った。でもできるのだからしょうがない。
「ひゅう、やるじゃんユウリ!いつ見ても綺麗な殺し方!必要以上でも以下でもない感じ、プロだねやっぱり」
「ミア、」
「こっちは片付いたよ。で、あいつらが持ってた武器も回収した!」
後ろから追いついたミアがひゅう、と口笛を吹いて、それから床に転んだ子供たちを助け起こす。
「それだけだとちょっと不安だから、適当に車と武器と………あと取り上げられた私たちの荷物も回収しようか。大した武器はないけど贅沢も言ってられないし」
「………ミアは、無事?」
「うん。ユウリよりぴんぴんしてるよ」
ゆっくりと歩いてきたミアが無傷の体を見せつけるようにくるりとその場で一回転する。銃という圧倒的な火力の前で人間は無力だ。でもそれをひっくり返すのが、ミア・ハワードという軍人だ。
「とりあえずこの子たちを安全な場所………とりあえず病院とか?に送って、それから二人に合流かな」
さっき首筋に押し込んだ親指を見つめてはぁ、とため息をつく。疲れちゃった………まだサメも倒してないのに。蹴り転がされたせいで擦りむいた肘が少しだけ痛いし、なんだか眠い気もするし。
「ちょっとユウリ、大丈夫?」
「久しぶりに戦ったからちょっと………ミアは元気だね」
「そうかな?」
暗殺任務を受ける私と戦場の第一線で戦っていたミアではやっぱり基本的な鍛え方が違う。重たいため息を吐き出して、とりあえずは荷物を回収するためにもう一歩、先に進んでこの場所を出ることにした。
※
現在地、メキシコの公道。現在時刻、深夜十二時。状況。
「—————めちゃくちゃ追いかけられてるんだけど!?」
無造作に置いてあった、荷台に武器を積んだジープを盗んだところまではよかったのに、走り出してわずか数分で後ろから車が五台くらいの隊列を組んで追いかけてきている。ハンドルを握って全力でアクセルを踏み込んではいるけど、これって全然距離がとれそうにない!
「ミア、何台か潰して!」
「
助手席の窓から身を乗り出して、小型の拳銃を後ろに向かって発砲するミア。大型の銃器はサメ退治に残して、麻薬カルテル相手には火力の低い武器を使うつもりらしい。射程がそんなに長くない銃だとしても、銃弾は戦闘を走る車のタイヤの前輪を撃ち抜く。スピンした車が横転して、そこに後続の車が激突して炎上した。
「ナイス!」
「あ、あー、もしもし?二人とも聞こえる?」
「巻奈!」
取り戻したインカムから少し音質は悪いが聞きなれた巻奈の声が流れた。
「どう?そっちは順調?」
「じゅんちょ………ミア、頭引っ込めて!」
「うわ、」
後ろからも銃撃されたせいで、飛んできた銃弾がドアミラーを吹き飛ばした。後方確認ができなくなったじゃん!
「え、銃声するんだけど!?」
「ちょっと麻薬カルテルを………!」
「なんで麻薬カルテルとやりあってるの!?」
「ユウリがキレて私も乗った!」
「何してんの!?」
至極当たり前の突っ込みをする巻奈の言葉を遮るように、インカムから大きな爆発音が届いた。
「もしかしてそっちもなんか揉めてる!?」
「揉めてないよ!?」
「レイは!?」
「レイはちょっと今………内臓詰め直してる?」
「重症じゃん」
「ごほっ、あー、死ぬかと思った!」
吐血するような嫌な咳をして、レイの声が会話に参加する。ふぅ、一息ついてるところ悪いけれど、普通の人間は内臓をぶちまけたら普通に死ぬ。詰め直したらなんとかなるのはレイだけだ、よいこは真似しないでほしい。
「レイってなんで死んでないんだろうね?」
「コードネームゾンビだったよね確か」
「それはお前らアメリカ人が勝手につけた名前だろ!ダサいから嫌いだ!」
「あー、はいはい」
ロシア語だと確か、「死神に嫌われた女」という意味の言葉で呼ばれていたらしいのだけれど発音しづらいのだ。
「ねえそっち大丈夫!?助けいる!?」
「このままだと弾使い切っちゃう!サメの分がなくなるよ!?」
「助けって言っても………!」
カンクン近くで船を調達している二人と、メキシコ中部まで北上した私たちとの間には距離がありすぎる。いくら巻奈が助けると言ったところで、どうすることもできないはずで。
「—————任せてよ」
インカムの向こう側から巻奈の落ち着いた声が聞こえたのとほぼ同じタイミングで、車の背後ですさまじい爆発音が響いた。闇に包まれていた公道が爆炎で一瞬明るく照らされる。
「………軍事ミサイルのハッキング」
「ミア、あれは無効にできる?」
「さすがに無理じゃないかなぁ」
車を止めて背後を確認すると、執拗に追いかけてきていたすべての車が跡形もなく吹き飛んでいた。あるのはごうごうと燃え盛る炎だけで、そこに車があったことさえもう判別できない。
「こういう時ほど、巻奈が味方でよかったって思うことないよね」
ミアの言葉に黙って頷く。機械仕掛けの神様には心も情もない。ただ無慈悲に残忍にその機能を発揮する。
「あーあ、国際問題になってもしーらない」
レイのもはや投げやりな言葉が聞こえたけれど、そのへんの後始末はサッチにお任せするとして、私たちは早くサメを退治してしまおう。
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