第7話 ディープ・コバルト・ブルー③
これは当たり前としてみんなが知っていることだろうけど、メキシコは日本ほど治安のいい国じゃない。観光客がよく訪れる街はそれなりに治安維持の努力をしているもののスリやぼったくりは普通に横行しているし、観光街じゃない街に至っては場所によっては麻薬カルテルに牛耳られ、夜に外に出ただけで………たぶん、昼に一人で出歩いてても、命に危険が及ぶ可能性だってある。通常の観光客であればそんな街はもちろん避け、自衛の努力をするのだけれど私たちは————いや今の私たちは観光客じゃない。
「ミアとユウリで銃の調達、レイと巻菜で船と機材の調達ってことでいい?」
「お〜」
「は〜い」
「ほ〜い」
部屋のあちらこちらからやる気のない声が上がる。今日の朝、タコス食べに行くから準備して!って声をかけた時にはハキハキ元気に返事をしてたのに、仕事になった途端このテンションだ。良くも悪くも正直者すぎる。
「………なんか心配になってきた、大丈夫?」
「え、何が?」
「いやその、身の危険的な」
よくよく考えたら、私たちが戦わなくなってからそれなりに時間が経過してる。体が資本の兵隊にとってこのブランクは大きい。それに今から会いに行こうとしてる相手は良くてギャング、悪くて殺人鬼みたいな連中だ。ベストコンディションなら心配する必要なんて一ミリもないけれど、ブランクに加えてこのやる気のなさ、不測の事態が起こらないとは限らない。
「ほんと、やめてよ?うっかり殺されるとかそうゆうの………」
「やめてよユウリ、私たちプロだったんだよ?そんな簡単に死なないよ!」
「それは私も思ったけど一番弱い奴が言うのなんかウケるね」
「え?」
「え?」
巻菜の発言を鼻で笑ったミアと笑顔で首を傾けた巻菜。一瞬の沈黙の後、巻菜がおもむろに腕時計に指を置いて勢いよく連続タップすると、耳に入れたインカムから流れたハウリングの金属音が鼓膜を攻撃した。
「うわうわうるさいうるさい」
「ちょっと私たちなんにもしてないじゃん!」
「うがああああ耳がああああ」
三人ともインカムをつけていたせいで平等にダメージが入ってしまう………と思いきや、聴力が人より優れているミアの方が大ダメージだったらしく、悲鳴と同時にあぐらをかいたまま前のめりでベッドに倒れた。同じベッドに腹ばいで寝ころんでいたレイが唐突な動きに驚いたらしく、びくりと肩を跳ねさせる。
「出発前から味方に攻撃するのやめてよ!遊びじゃないんだからね!?」
「あはは、耳いてぇ」
インカムを外して軽く音量調整をしながら軽く笑うレイ。これから何をするのか分かってるはずなのに緊張なんてまったくしてない仕草にこっちが不安になってしまうのだ。
「なんだよユウリ、人のことじろじろ見て」
「気付いてた?」
「あれだけ見られたらさすがに」
こちらを見上げたレイの喉元には既に傷一つなく真っ白だ。私の視線の先を察したのか、ふは、と笑って人差し指で昼に私が傷をつけた、今となっては何の痕跡もない場所を軽く叩く。
「私が死ぬとこ、想像できるか?」
「………できないけど、でも」
「じゃあいいじゃん。心配すんな~」
ブーツの紐をきつく結んで立ち上がったレイが、サイドボードに置きっぱなしになっていたドッグタグを首にかける。武器がないので信じられないくらいの軽装だけど、昼間遊び歩いていた時よりは随分軍人らしい格好になった。
「明日は海で遊ぶって決めたじゃん?サメがいたら安心して泳げないから、さっさと片付けて遊びに行こ」
「そうだね!」
その言葉に勢いよく頷いてベッドから降りたミアもにこりと微笑む。黒づくめのレイと対照的に淡い水色のワンピースに白いサンダルは、とてもじゃないけど今から武器を調達しに行く人間には見えない。でも武器の調達に行くなら、どんな格好をしていても彼女より頼りになる人間はいない。私たちはそれをよく知ってる。
「対人担当はユウリで、私は武器担当ね。後は流れで」
「流れでってそんな適当な」
「いっつもそんなもんじゃん?どうせ計画通りにいかないって」
近所のコンビニに行くくらい気楽に準備を終えちゃうから、私としては心の準備ができていない。というか普通に心配だ。そんな私を置き去りにして、きらきらと目を輝かせた巻奈が勢いよく手を上げた。
「ねえレイ、私は何担当?」
「巻奈は………とりあえず死なないでほしい………」
「何それ!?」
「だって戦闘能力ないじゃん巻奈。エルもアールもいないし」
「ミサイルとかハッキングしていいなら攻撃できるよ?」
「それこそ国際問題だろ」
「そうなの?」
きょとんと首を傾ける巻奈と、「なんでもいいからおとなしくしてろよ!」と言いつけるレイ。うーん、あっちのバディよりは少しだけマシな気がするけど、所詮は引退軍人だ。私は自分の能力に欠片だって自信がない。
「謙遜しないでよね相棒、対人ならユウリは一番だよ」
「あはは………ありがと」
私を安心させるように振り返ってウインクしながらホテルの扉を開けたミアの後に続く。明日のこの時間にはもう何もかもが片付いて、ビーチでビールを飲めたらいいな、なんて考えながら。
※
カンクンビーチはメキシコの中でも観光客向けの街なので治安がいい。ただ、国境付近の北部やメキシコ中部のあたりは麻薬カルテルの抗争があって治安が悪い。観光客が望んで立ち入るエリアじゃないけど、武器がある場所に行かないとまず話にならないので、タクシーの運転手さんを捕まえてチップをたくさん払い、なんとかメキシコの中でも治安の悪い町に到着する頃にはすっかり真夜中になっていた。そして。
「なーんでこんなことになっちゃったのかなぁ」
右隣からミアの呆れたような声が聞こえる。見えないけど、たぶん心底人を馬鹿にした顔をしてるんだろう。
「………思ったより治安悪かったね」
「そうだけどさぁ、銃を売ってほしいって言ったくらいで拉致することなくない?」
「これ、殺されそうだね」
「さっそくピンチじゃん。この布くさいしほんと最悪」
状況をとても簡単に説明すると、私とミアは並んで椅子に縛り付けられていた。頭には黒い袋をかぶせられたため、周囲の様子はさっぱり見えない。麻薬カルテルの基地に入って丁寧に交渉したのにこの状態である。何がどうしてこうなったんだ。
「はーあ、やだやだ。昔の麻薬王って結構筋は通してくれたのに」
ミアが嘆く通り、武器を売ってほしいと言ったくらいでこんな扱いをしてくる麻薬カルテルは私たちが現役の頃にはいなかった。薬をかがされたせいでずきんずきんと痛む頭を振って、できるだけ冷静な声を出す。
「たぶん人さらいだよ、人身売買組織。女だし、外人だからね。武器を売るより私たちを売った方がいい金額になると思ったんじゃない?」
「間違ってはいないけど………っていうかユウリ、なんで抵抗しなかったの?」
隣からがこん、と木製の椅子の足がコンクリの床にあたった音がする。退屈を持て余したミアが椅子を揺らして遊んでいるみたいだ。緊張感がないことこの上ない。
「ミアだって抵抗しなかったじゃん」
「クロロホルムでしょ、あれ。薬品は武器じゃないから私の管轄外、無効にできないよ。でもユウリは違うでしょ?」
「………殺したくないじゃん」
「うわ、普通のこと言ってる」
ミアがちょっと引いたような口調で言うけれど、普通のことを言って何が悪いって言うんだ。普通の人間は人なんて殺さないし、殺したいとも思わない。なら私もそれに倣うべきだと思っているだけの話で。
「ユウリって意外と普通にこだわるよね」
「ミアがこだわらなさすぎなんだよ」
「だって私普通じゃないし」
————ユウリもそうでしょ?と。
ミアがさも当たり前のように言った瞬間、頭にかけられていた袋が取り払われた。
「うわ、」
いきなり視界が眩しくなって目を細める。訓練されているから普通の人よりは明暗の差に対処できるのが早いけれど、それでもある程度目は眩む。ちかちかと光る蛍光灯の光を背負って、ひげ面の男が無遠慮に私の顎を掴んだ。
「あぁ、これはいい女だな」
スペイン語。英語じゃないなら下っ端の構成員だ。それなら。
「
「この女、中国人か?観光客ならパスポート持ってるだろ」
「持ってねぇよ、調べた」
「他不会说中文。请用中文说」
「好的」
「おい何話してる、やめろ!」
降り注ぐ大声に目を伏せる。できるだけ刺激はしたくない。ミアには私の言いたいことが伝わったはずだし、所詮下っ端構成員の人身売買ならどこかで椅子から解放されて、運ばれることになるはずだ。その時にミアに弾除けになってもらえば脱出もできるし、近くにいる奴が持ってる銃くらいは奪えるはず。焦ることなんて別にない。
「………まあいい。外人の女は高く売れる、傷つけるなよ」
「子供はどうする?」
「適当に転がしとけ。同じ便で売る」
明るさに慣れてきた視界に飛び込んできたのは、まだ年端もいかない子供が三人。ここに来るまでにどんな扱いを受けたのか、泣きはらして赤くなった顔には青黒いあざが浮かんでいる。一列になって入って来た子供たちの、最後尾の少年がよろけて転んだ。瞬間、
「っ!?」
密室に銃声と、遅れて子供の絶叫が響く。なんのためらいもなく、足を撃ち抜かれた少年がコンクリートの地面にうつぶせになって悲鳴を上げ続けていた。狭い室内に声が反響して他の子供も叫び始める。
「こんなに傷んだ男の子供は売れないんだよ、捨てとけ」
「勿体ないだろ、俺たちで使わせろ」
「好きにしろ。ただちゃんと捨てて来いよ」
—————待っていればいい。
私たちの任務はサメ退治で、人身売買されそうな可哀想な子供を助けることじゃないし、子供を連れて麻薬カルテルの構成員と戦ってサメを倒すなんて手に負えない。そんなこと、頭ではちゃんと理解してる。でも。
「—————死ねよ、くそ野郎」
足に力を籠めて、地面を蹴って思いっきり後ろに倒れる。大した強度もない木製の椅子は私の体重と着地の衝撃でばきりと嫌な音を立てて、歪んだフレームから手を縛っていた縄を抜くことができる。拘束されるなんて日常茶飯事で、この抜け出し方は何回だってやったことがある。ミアの言う通り、私は普通じゃないんだから。
「お前っ、」
驚いた男がこちらに銃口を向けるより先に、割れた椅子の木片を掴んで思いっきり男の片目に突き立てた。
「ギ、」
「残念、相手が悪かったね」
奇妙な声を上げて、口から泡を吹きながら倒れる体。そのまま振り返ってもう一人の男の首筋のあたりに勢いよくハイキックを叩きこむ。
「ごぇ」
ばきり、と。首の回る確かな手ごたえを感じて、そのまま床に足を降ろす。ふらふらと数歩歩いて、どしゃりと前のめりに倒れた男はびくびくと痙攣して、そのまま二度と起き上がることはなかった。
「さっすがユウリじゃん、全然鈍ってないじゃん」
「………見えてないでしょ、ミア」
「見えてるよ。袋、網目が荒いし」
それで向こう側が見えるのは怪物みたいな視力を持ってるミアだけだと思うんだけど、それはあえて口に出さずに足を撃たれた男の子に駆け寄る。
「大丈夫、大きい動脈は避けてるから、平気だよ」
「………?」
「あ、スペイン語じゃないと通じないのか。Tenga
あまりスペイン語は得意じゃないけど、言いたいことは伝わったみたいでまだ泣いてるけどとりあえず頷いてくれた。強い子だ、良かった。とりあえず止血用にポケットに入っていたハンカチを強く押し当てる。
「ってかさぁユウリ、さっきまで戦わないでやりすごすつもりじゃなかった?」
「うん」
「やっぱり殺したくなっちゃった?」
「………そういうのじゃなくて」
普通の女の子は麻薬カルテルの構成員を殺したりしない。それを分かってるから、私はできるだけ人を殺さずに、穏便に任務を済ませたかった。でも。
「ここで見て見ぬふりしたら、自分のことを嫌いになりそうだったから」
だから結局、私のこれは人助けなんかじゃなくて自己中心的なエゴなのだ。
「まぁ、それでもいいんじゃない?」
立ち上がってミアの顔にかけられていた頭巾をとると、普通の顔をしてぱちりと、本日二回目のウインクをされた。眩しさに目を細めないあたり、頭巾の向こう側が見えていたのはあながち嘘ではなさそうだ。
「私は好きだよ、ユウリのそういうとこ」
「………ありがと」
「ところで、麻薬カルテルを敵に回したっぽいんだけど、この後どうするの?」
「………あ、」
そういえば、と気付いた瞬間に、地下室の扉を勢いよく誰かがノックする音がした。扉を破ろうとする勢いの大きな音は、どう見ても友好的な人物が現れたわけじゃなさそうだ。
「とりあえず、武器の対処はミアがして!あとは流れで!」
「結局そうなるじゃん!」
ぼやきながら、何が楽しいのかそれでもミアはけらけらと笑っていた。
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