第6話 ディープ・コバルト・ブルー②


「タコスを四ピースとブリトーと………あとコーラ!」

「ミア、私ソフトクリームも食べたい」

「いいじゃん、何味がいい?」

 店のカウンターに上半身を預けながら仲良く商品を注文するミアと巻奈の背中を見ながら、スマホのカメラロールを親指で送っていく。あ、これとかいい写真かも。

「何してんの?」

「アルバムに写真追加しようと思って………あ、これとかいい写真じゃない?」

「どれ?」

 正面に座るレイにスマホの画面を向けると、嬉しそうに声を上げて笑った。綺麗な顔の割に豪快な笑い方をする女の子だ。

「んはは、変顔じゃん」

「でも楽しそうでしょ?マチュピチュも写ってるし」

「楽しさ伝わるからよしっ!」

「たまに言ってるけどそれ何?元ネタとかあるの?」

「現場猫っていうやつ。巻奈に教えてもらった」

 これ、とレイが向けてくれたスマホの画面に表示されているのはどこを見ているか分からない灰色の猫だった。空虚な目で何もない空間を見つめているくせに、吹き出しは力強いぎざぎざで「よし!」という言葉がやたらと強調されている。ふーん、これのこと言ってたんだ。

「気の抜けた猫だね」

「それ以外の感想はないよな」

 話しても話さなくてもいい会話をしながらタコスの到着を待っていると、手の中に握り締めたままだったスマホが振動した。あれ?

「うわ………」

「どした?会社?」

「いや、サッチ」

「うわぁ………」

 ディスプレイに表示された名前を見てぎゅうっと眉間にしわが寄るのを感じる。どうしよっかな、出ようかな、無視しようかな。でも無視したら後でかけ直さないといけないし………あー、もう。

「はい、秦です」

『サッチだ。無事にメキシコに到着しているか?」

「それはもちろん!」

 到着してから既に三日は経過してる。サメ退治にはまったく着手できていないけど、有名な観光スポットを回ったりビーチでゆったりする程度には満喫していた。サッチに到着した連絡をしていなかったことさえ今思い出したくらい、私たちは好き勝手過ごしていたのだ。それはさすがに電話もかかってくる頃合いだよね。

『任務はどうなんだ』

「あー、うん。すごい順調だよ」

『そうか。それは良かった』

 すごく順調に観光を進めている。サメの方は武器の調達からサメの現在位置特定に至るまで、何一つ進んでないけど。主語がないから嘘をついたことにはならないはず。

「武器の調達は?問題なく進んでいるといいんだが………今回は現地に工作員も送れていないから心配している」

「あ、あー、武器の調達ね!それは問題なく、えっと、今レイがね、武器商人のところに交渉に行ってて」

 こっちは完全なる嘘だ。だってレイは目の前でタコスを口いっぱいに頬張ってる。自分の名前が出たことに反応して首を傾げていたけれど、口がいっぱいで何も話せないみたいだ。そのまま静かにしてもらいたい。

「サメに発信機をつけるのはミアと巻奈が担当で、」

『妥当だな』

「あ、ちょっとやばい、これチリソースめっちゃ辛い!」

『………今、レイの声がしなかったか?』

 反射的に机の上に置いていたホテルのカードキーを片手にとって、正面に座るレイの喉に突きつけた。カードキーがあたった場所からわずかに赤い血が零れる。ぴたりと動きを止めたレイに向かって、自分の唇に人差し指を当てるジェスチャー。

安静点儿だまって

「………」

 レイが小さく両手を上げたのを確認して、喉に当てたカードキーを引っ込める。首筋を一筋の汗が流れたのは、たぶん南米の暑さのせいだけじゃないはずだ。

「ごめんねサッチ、電波が悪いみたい。観光客の声じゃないかな?」

『聞き間違いだったか。まぁいい、本題だ』

「本題?」

 サッチには見えないはずだけど首を傾げてしまう。タコスをトレーに載せて座席まで持ってきたミアと巻奈がそれにつられるように反対側に首を傾げた。彼女たちからすると誰と電話してるかすら分からないからそういうリアクションになるのも無理はない。素知らぬ顔でそっぽを向いたレイが中指で机を規則的に叩く。モールス信号だ—————「サッチから電話、任務の進捗」。

『装備を整えてもらっているところ申し訳ないが、少し急いでほしい』

「どうして?」

『メキシコ軍が明日からビーチで軍事演習をするらしく、沖に出るのが一週間は困難になりそうだ』

「明日!?」

『あぁ。明日の昼過ぎから演習を始めるという情報が入っている。それまでになんとかしてもらわないと、軍艦がサメに沈められて大騒ぎになりそうだ』

「あ、あー、なるほどね………?」

『まったく手つかずだったら難しいかもしれないが、そこまで準備が進んでいるなら大した問題ではないはずだ。今日の夜にでも討伐してくれれば問題ない』

「そ、そうだね」

『どうした秦、声が震えていないか?』

「あー、うん、えっと」

 斜め前に座った巻奈にアイコンタクトを送って、指で机を高速で叩く。「通信を切って」と送ると、心得た顔で大きく頷いた巻奈が手首につけていた時計を何回かタッチした。瞬間、電話にノイズが混ざり始める。タコス屋の屋台で流されていたテレビの画面も砂嵐に変わった。

「ごめん、電波が悪いみたい!また連絡する!」

『あ………わか………きを………』

 雑音交じりで聞こえづらくなった電話を一方的に切って、ふうと息をつく。これは大変まずい。まずい気がする。

「どうしたのユウリ?」

「ええっと………あ、巻奈、妨害電波ありがとう」

「簡易的なやつだけど、あれでよかった?」

「助かる」

 巻奈の腕時計には何かしらの強力な磁力を放つ装置がしこまれているらしく、簡単な妨害ならどこからでもすることができる。今回はどう頑張っても動揺を隠せそうになかったから良かった。

「ね、それでサッチ、なんだって?」

「………任務の期限が早まって、明日の昼だって」

「へ?」

 大きく口を開けていたミアの手元のタコスから、ぽろりとトマトが零れ落ちた。驚きすぎてそこだけ時が止まってしまっていたようだ。

「い、いやいやいや、さすがに無理………無理、だよね?」

 固まってしまったミアに変わって、巻奈がぶんぶんと手を振る。それと同時に砂嵐になっていたテレビの画面から元通り映像が流れ始めた。にぎやかな通りの喧騒とテレビから流れる早口のスペイン語、テラス席からはカラフルな原色の街並みも見えて最高なのに、ここだけ気温が氷点下くらいまで下がった気がする。

「武器の調達してサメ見つけて発信機仕込んで誰にも見つからずに討伐………いや、無理じゃない?」

「そ、そーだよ、さすがに」

 止まった時が動き出したらしく、ミアが勢いよく立ち上がる。小さな屋外用の丸椅子がその衝撃で後ろにがたんと倒れた。

「そ、そうだ、一週間、一週間すれば軍の演習も終わるんでしょ!?じゃあその後討伐すればいいじゃん、それまでは観光してさぁ!」

 ミアは人並外れて耳がいいから、電話口から漏れるサッチの声も聞こえていたらしい。それは確かにその通りなんだけど、でも。

「その時は私たちが到着から約三日間、何もせずに遊び歩いてたってサッチに報告しないといけないよ?」

「う、」

「その場合………」

 レイが机の上に載せられた食料たちを虚ろな目で見つめながら、乾いた笑いを零した。

「ホテル代、酒代、買い物代、食事代、経費で落としてくれるのかな?」

「………それは」

「さすがに」

「無理なんじゃ………」

 私たちはこれまでの仕事で貯めたお金があるけれど、家も買ったし日々の生活も送らないといけない。そして今回のメキシコでの出費は、私たちの生活予算を大幅に超えるものだった。つまり、残された道はたった一つである。

「—————なんとしてでもサメを倒すよ」

 そんな無茶苦茶な、と巻奈の悲痛な叫びを黙殺して立ち上がる。大丈夫、時間はまだ二十四時間あるはずだ。私たちに不可能はないはず………だいぶ自信を失いつつあるけど、大丈夫なはず!

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