第5話 ディープ・コバルト・ブルー①

「プライベートジェットが使えないだとぉ!?」

『当たり前だろ。今回は他国の事情でアメリカの資材は使えない。民間人として動くって話だったじゃないか、違うか?』

「じゃ、じゃあえっと、飛行機、え、民間の飛行機で行けっていうのか!?」

『だからそうだと言ってるだろ』

「現地直行の落下傘しかやったことないんだぞ私は!」

『旅行がしたいんじゃなかったのか?このカンクンの一流リゾートホテルの領収書は………』

「Чёрт возьми《くたばれクソ野郎》!」

『おいやめろレイ、汚いロシア語を使うな』

 そんなやりとりがあったのが三日ほど前。定職についている私とミアの職場にサッチの替え玉部隊が無事に送り込まれ、水着と新しいスーツケースは購入済み。留守の間家にいて、ついでにエルとアールの餌やりを担当するギルベルトさんが到着したのを見届け、私たちは成田空港に出発した。

「巻奈!乗り換え、乗り換えがいるんだって!」

「こんな複雑なの分かんないよ~!」

「ちょっと待ってジェット機めっちゃ怖い。今からでもプライベートジェット手配できない?」

「ミア、ごめんな………サッチがどけちなばっかりに………」

「いいよ、悪いのはレイじゃなくてサッチだもんね………」

「そこ茶番やめて~!17番ゲート探して~!」

 途中で乗り換えを挟んで半日かけ、私たちはようやくメキシコ————カンクンに到着したのだ。

「いやっほう!海だメキシコだ最高だーっ!」

「待ってミア!ホテルにスーツケース預けてからにして!」

 本能のまま海に向かって飛び込もうとするミアの襟のあたりを掴んで抑え込む。す、すごい勢いだ。言うこと聞かない犬の散歩をしてる気分になる。

「ちょっとレイ止めるの手伝っ………何吸ってるの?」

「ん?まだ合法な葉っぱ」

「捨てなさい!」

「いてっ」

 ふわ、とやたらとエキゾチックな匂いがする煙を吐きながら笑うレイのすねを軽く蹴る。まだ街に到着して数時間しか経ってないのに、いつの間に売人から仕入れたんだろう。見た目がチンピラだから声をかけられやすいんだろうか。

「………ユウリ、なんか失礼なこと考えてないか?」

「ん?違うよ」

「違うのか」

「そうそう、勘違い」

「そっか」

 そう、短気だけど気が変わりやすいし騙されやすいのがレイのいい所だ。短所も長所、日本の美徳である。

「ドリームカンクンホテルってこっち?」

「たぶんあっちじゃない?」

 道をさ迷う巻奈のスマホ画面を横から覗き込んでレイが道の先を指差す。その先には、白色の外壁の巨大な建造物がビーチにそびえたっていた。

「え、あれが宿泊先?」

「うわ、どしたのミア」

 手の中の抵抗がなくなったと思ったら、ぽかんと口を開けたミアが動きを止めてじっとホテルを眺めていた。

「夢みたい………野営じゃないんだね………!」

「そ、そうだよ?」

「毎日綺麗なお風呂に入れるんだぁ………」

 そういえば、四人とも最後は同じ組織に所属していたといってもそれぞれ出自は若干違う。ミアの場合はアメリカ海軍に数年所属してからの特殊部隊だから、もともとスパイの真似事しかしてこなかった私とはくぐってきた修羅場の数が違うのだ。野営や土埃の舞う戦場でずっと働いていたミアにとって、今回の任務は天国みたいなものなんだろうなぁ。

「そ、そうだね………え、でもサメは倒すよ?そういう約束だからね」

「サメ退治は一日で終わらせるからさぁ………リゾート満喫したいなぁ………」

「それは………」

 —————ところで、人間は堕落する生き物なのだという。聖書が書かれるよりずっと前からそれは変わらない。そして当然、私たちだって例外ではない。



「巻奈、地図」

「了解!」

 パソコンの電源が入る軽い電子音がして、ホテルの白い壁に巻奈がメキシコの地図を投影する。カリブ海に面したこのホテルの位置に赤色のマーカーがしてあった。

「私たちがサッチにもらった時間は一週間」

「うん、めちゃくちゃ長めにとった」

「サメ退治は一日で終わらせるとして、他どこか行きたい場所ある?」

「マチュピチュ!」

「タコス食べたい!」

「メキシコ料理!」

「セノーテは!?」

「いいね、全部やっちゃおう!」

 思い思いに言った希望が巻奈の操作でどんどん地図上にマークされていく。どうしよう、これはわくわくするかもしれない。

「このホテルお風呂がすごいよ!大理石!」

 話しながらお風呂を見に行ったミアが顔を出して嬉しそうに叫ぶ。アメリカ出身のはずだけど、なぜかミアはお風呂に入るのが大好きだ。

「ルームサービスも頼も、請求はサッチにつければいいし」

「レイはまたそうやって………」

「シャンパン飲みたいな~」

「聞こえないふりやめなよ」

 とは言いながら強くは止めない。まぁ、一杯くらいならいいだろう。サッチも大目に見てくれるはずだ。

「最終日は飛行機に乗らないとだから………サメ退治は五日目くらいから始めよっか」

「軍の武器も持ち込めないから武器は現地調達でしょ?」

「午前中で武器集めて船手配して、午後まででサメ討伐。で、どう?」

「いいんじゃないかなぁ?」

 モンスターみたいなサメと言っても、人間じゃない。カリブ海から逃げ出すわけじゃないし、今のところは研究所の人間が何人か餌になったくらいで民間人に被害も出ていないはず。とはいえこれはかなり甘い見通しだけれど、私たちに不可能はないはずっていう根拠のない自信だけがあるのだ。

「………だって、サメ倒しちゃったら帰らなくちゃいけないんでしょ?」

「まぁそうだね」

「だったらこのプランでさんせーい!」

 ばふん、と両手を広げて仰向けにベッドに飛び込んだミアが声を張り上げる。

「巻奈、いい感じのプラン探して!」

「明日マチュピチュがいいんじゃない?一番遠いし」

「いいねいいね!」

 ノートパソコンの上で指先が踊るように動いて、マチュピチュ行きのツアーバスが画面上で予約される。巻奈の能力は旅行先のアクティビティを抑えるために使うにはオーバースペックすぎるけど、でも楽しいからいっか!

「セノーテはダイビングもできるんでしょ?」

「そうそう。予約する?」

「しよ!」

 楽しそうにシャンパンを片手に持ちながら巻奈の背後にまとわりつくレイを見ながら、私は私で地元で人気のお店を検索。ふーん、海のそばに一軒ありそう。

「みんな、予定決めたら海行こ、海!」

「分かった!」

「最高だなぁ!」

 だってほら、海行って人食いサメがいないか見回らないとね、と心の中で言い訳をしながら、スーツケースから水着を取り出す。

「………サメ、どっかで爆発して死んでくれないかなぁ」

「それはさすがに無理があると思うよ」

「だよね」

 言ってみただけだよ、半分くらいしか本気じゃないって。

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