第3話 サンルームで朝食を②

 私が手配したこの家は、引っ越してきた当初は平均的な日本の古民家だったけれど、みんなが思い思いの改装を施したから通常の日本家屋には存在しないものもある。その中でも一番目立つのが庭に面したこのサンルームだ。巻奈が手をかけて育てた植物が置かれていて、テラス用の丸机と小さな椅子があるおしゃれ空間。私はよくここでおやつをしてるから、それに合流するようにしてミアたちもよくお茶を飲んだりする。つまり家の中でもお気に入りの空間なのだけれど。

「サッチには似合わないね」

「それは申し訳ない」

 小さな椅子に縮こまるように座る大柄なサッチがいるだけで、サンルームは異質な雰囲気だ。サッチもそれは分かっているようで、居心地悪そうにそわそわと座りなおしていた。うーん、ちょっと申し訳ない。

「ごめんね、リビングがサッチの血で汚れちゃったから」

「いや、それは俺のせいでもあるだろう。治療までしてもらってありがたい」

「………なぁサッチ、ここには一人で来たのか?

「そうだが」

「おいおい、秘密組織の長官だろ?ちょっと警戒心ないんじゃない?」

 サッチの向かいの椅子で片膝を立てて座ったレイがひょい、と肩をすくめる。

「………ここに君たちが住んでいることは、限られたチームしか知らない」

「おう」

「もし部下を動かしたら君たちの生活が脅かされる危険だってあるだろう」

「………それでプライベートで来たのか?」

「まぁ、簡単に言うとそういうことだな」

「サッチお前………」

 椅子の上に載せていた足をおろして、ゆらりと立ち上がったレイが肉食獣みたいな足取りでサッチの背後に回り込む。たぶん敵意はないんだろうけど、軍人としては首筋がぞわぞわするみたいな足取りだ。そして。

「いい奴だなぁお前!」

「おい、」

 ばしんばしんと筋肉質な背中を叩く。体が鍛えられすぎて壁を叩いてるみたいな音がした。しかめっ面になっちゃったけどサッチは無抵抗だ。レイの無礼な行動に意外と慣れているらしい。心の広い長官様だ。

「私たちのこと気にしてくれたのかよ!最高だな、長官殿!よーし、私の秘蔵のウォッカを開けてやる、飲め飲め~」

「………ありがとう」

「ちょっと待ってろ、今持ってきてやるな~」

 散々サッチに絡んでおいて、鼻歌を歌いながらサンルームを出ていくレイ。うーん、ご機嫌になってしまった。

「ごめんね、サッチ。レイは基本的にああいう………なんて言うんだろう、テンションが乱気流みたいな子だから………」

「嫌ってほど知ってる。それより」

 代わりにフォローを入れた巻奈に向かって、サッチが咳ばらいをしてから鋭い視線を向けた。レイが破壊した緊張感を元に戻そうとしているらしい。

「これから頼みたい仕事の話をする。この部屋で問題ないか?」

「あぁ、うん!ここで大丈夫」

 巻奈が一歩前に出て、サンルームのガラス部分を二回ノックした。その瞬間、ガラスが鏡面に変化して庭の景色が見えなくなる。

「ガラスは防弾ガラス!特殊金属膜を使ってるから、こうやってモードを変えれば外からは見えないよ!もちろんこうなれば防音も完璧、それに」

 ぱちん、と指を鳴らすと今度は天井のスピーカーから音楽が流れだす。ビバルディの『四季』だ。得意げな笑顔を浮かべた巻奈が胸をはった。

「ふふ、いいでしょ?お茶するときに最高なんだよね~」

「………巻奈、えっと。お茶するときは最高かもだけど、今はサッチの話………仕事の話だから、音楽は止めてもいいかも………」

「え、そうなの?ユウリそうゆうのは早く言ってよ」

「はは、殺しそう」

「え?」

「え?」

 乾いた笑いとともにうっかり本音が零れてしまったけど、幸い(?)巻奈には何も聞こえなかったみたいだ。よかったよかった。

「それでえーっと、任務ってどんな?」

「………サメ退治」

「サメ?」

 サメって、あのサメ?



「つまり、アメリカの研究所で生まれた超凶暴な人食いサメが脱走したからそれを連れ戻す、もしくは殺すって任務?」

「大雑把に言ってしまうとそういうことだ」

「はぁ………」

 私の口から気の抜けた息が漏れる。サメ。ふーん。なんとも言えない表情で固まってしまった私たちの後ろで、ゆっくりとミアが手を上げた。

「………たぶん、みんな思ってることだと思うから私が聞くけど」

「そうだろうな、なんでも聞いてくれ」

「サメなんだよね?いくら凶暴で巨大化していると言ってもサメなら、軍隊の武器で殺せない?」

「アメリカの海域にいればそれもできた。ただ今、このサメは移動して現在はメキシコの海域にいる。彼らは自身の海域に武器を持ったアメリカ軍が入ることを良しとはしないだろうな」

「ならなおのこと、処理をメキシコに任せちゃうのは?ちょっと人道的じゃないかもしれないけど」

「死者が出れば当然こちらの責任を問われて国交上大変な問題になる。殺されて研究されるのはなおのことまずい、軍事利用されてしまうだろう」

「なるほど、それでどの組織にも属さない、民間人として国境を越えれる私たちに声がかかったと」

「理由はそれだけではないが」

「それ以外の理由って何かある?」

「————君たちは任務を一度も失敗していないだろう」

 そう言って今日初めて、サッチが穏やかに微笑んだ。それはなんだか、子供を見る親のまなざしにも似ていて何も言えなくなってしまう。

「信じているんだ。身勝手かもしれないが」

 ずるい、かつての鬼長官にそう言われてしまうと、やっぱりなんだかくすぐったい気持ちになるのだ。今回だけは助けてあげよっか、という気持ちを込めてミアにアイコンタクトを送ると、同じ気持ちだったのか小さく頷かれた。

「分かった、いいよ!」

「本当か。ありがたい」

「でも、サッチも大げさだね」

「ん?」

「世界を救うほどの任務じゃないでしょ。確かに国交の危機かもしれないけど」

「いや、語弊ではない」

 ごそごそと動いて、サッチがロングコートの内側からアイパッドを取り出した。そのままスライドすると、サメの姿が画面に映し出される。

「これが対象のサメの資料なんだが、遺伝子操作されてメガロドンのDNAが追加されてる」

「つまり?」

「全長が12メートルある」

「12メートル!?」

「それからラーテルも混ざってるからな、銃を弾く表皮だ。牙には毒があるし、陸上でも呼吸ができる」

「待て待て待て待て」

「どうした?」

「どうしたじゃないでしょ!聞いてないよそんな無茶苦茶な話!」

 大きいとか凶暴とか、そのあたりのことは理解できるけどそれ以外のことは完全に初耳だ。というか想像もしてなかった。

「それはもうサメじゃなくてモンスターじゃん!」

「そういう大事なことは早く言ってよ!」

「聞かれなかったからな」

 白けた顔であっさりと言い切ったサッチが、人の悪そうな笑顔を浮かべた。

「そんなモンスターと戦う危険な任務を引き受けてくれてありがとう」

「こ、こいつっ………!」

 この情報を出したら断られることを分かっていてあえて言わなかった!絶対にそうに違いない!

「人の心がない………!」

 戦闘能力皆無のくせに顔の前で拳を構えた巻奈が小声で叫ぶ。勝てる見込みがないので小さく喧嘩を売ってるあたり、小物感が否めない。主張には同意できるけど。

「いい奴だって思ったのに!一瞬だけど思ったのに!」

「そんなことを言わないでくれ。君たちの生活を守りたいのは本当だ。ただ、それ以前に国と世界を守ることが仕事なだけだ。分かるだろう?」

「こ、殺したすぎ………」

「ユウリ我慢だよ!ここで暮らしてる間は人殺さない約束じゃん!」

「よーしサッチ、ウォッカ持ってきたぞ~………ん、仕事の話終わったか?」

「レイ!こんな奴に飲ませる酒なんてないよ!」

「塩持ってきて塩!まいて塩!」

「どうしたんだよみんな!?」

 遅れてやってきたせいで状況が飲み込めていないレイと、声を上げてサッチを威嚇する私たち。とはいえ、私たちのモンスター退治任務は認可されてしまったらしいので今さらキャンセルはできないし。

「絶対報酬弾んでよ!?」

 今できることと言えばこうやって帰って来た時の約束を取り付けることくらいだ。あぁもう、本当にむかつく!

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