第6話 慟哭

 信行の携帯は不通になった。実家の電話は尾関の名を告げたとたんに切られてしまった。職場に連絡すると、なんと信行は退職したと聞かされた。

「監禁されてるのかな」

 ぼそっと呟くと、叔母は、

「そんなの犯罪じゃない」

 と暗い声で言った。息子だからといって親に自由を奪う権利はない、ましてや信行は成人なのだ。

 雪於は、こちらが辛くなるほどやつれて元気を失くしていた。新卒で就職したばかり、仕事にはどうにか行っていたが、放ってはおけない、なんとかしなければ。


 私は俊介に頼んでみた、信行の家に一緒に行き、話し合ってくれないかと。信行の実家は隣県にあり、車で三時間の距離だ。だが、俊介は、

「どうせ追い返されるよ」

 面倒なことに巻き込むな、と言わんばかりだ。

 それでなくても、俊介は信行に好感をもっていなかった。雪於に関しても、同性の恋人がいると告げると、

「うちの親には言わなくていい」

「わかりました」

 と私は答えた。


「荷造りは進んでるの?」

 室内を見回し、俊介は不機嫌そうに言った。

 俊介のアメリカ勤務が決まり、出発が近づいていた。私は先月で退職し、渡航準備にかからねばならないのに、今回のことで何も手につかない。


「少し時間をおいたらどうかな。今は信行さんのお父さんカンカンだろうから、ね」

「そうだよ。ちゃんと話し合って二人の仲を認めてもらおう」

 叔母と私は、そんなふうに雪於を慰めるしかなかった。

「そうだね」

 雪於は寂しそうに言った。


 それか間もなくだ、恵美が信行と電話で話したのは。

 思い詰めた顔でやってきた恵美は、

「高校の同窓会のことで、て電話したの、そしたら信行さんと代わってくれて」

「それで?」

 雪於、叔母に私の視線まで、恵美に集中する。

「それが」

 と、口ごもる恵美。思いきったように、

「ユキとは別れたい、って」

 聞き間違いだと思った。

「ウソだ!」

 雪於が叫んだ。

 そうだ、ウソだ、信行が、そんなことを言うはずがない。

「本当にそう言ったのよ」

 と済まなそうな顔をする恵美。

 皆、黙り込んでしまった。

 少しして恵美が、

「作戦かもしれない。電話を聞かれてるのを前提に、『別れる』ってウソついて油断させるの」

「うーん」

 私は何とも言えなかった。雪於は蒼白になっている。

「電話してみようか」

 叔母が言ったが、恵美は、

「何度も電話したら怪しまれます。少し時間をおいてからの方が」

 雪於の落胆は、とても見ていられなかった。

 その日は自分のマンションに帰る予定だったが、雪於をこのままにはしておけない。今夜はこっちに泊ると電話すると、

「あっ、そう」

 俊介は露骨に嫌どうな声を出した。


 その日の夕食は、まるでお通夜だった。

 雪於はほとんど料理に手をつけず、ダイニングを出ていった。

 無理もない、と暗い気持ちで食事を終え、片づけ。私が食器を洗い、叔母がすすぐ。怒りの矛先が見つからず、私は思い切り水流を強くし、ガチガチャ音をさせて皿に八つ当たりした。

 洗い終わり、蛇口を閉めると、どこかで泣き声がした。

 廊下の片隅から細い光が漏れていてた。雪於たちの寝室。ドアの前に、恵美の後ろ姿があった。小さく肩をふるわせている。

 泣いているのか、雪於のために。

「恵美?」

 声をかけると、恵美はビクッとなって俯き、

「かわいそう」

 かすれた声で言い、行ってしまった。


 雪於は床に突っ伏して泣いていた。こちらの胸が痛くなる辛そうな声。オレンジ色の何かを抱きしめている。

 信行のTシャツだ、皆でペンキ塗りをした日の。

 雪於、泣かないで。

 私も涙があふれる。肩に、叔母の手が触れた。

 いこう、と目で促し、そっとドアを閉じる。


 ベッドに入っても私は眠れなかった。

 泣き声はもう聞こえないが、耳の奥でいつまでも響いて、枕が涙で濡れる。

 雪於は泣き疲れて眠ってしまったのか。

「ママに会いたい!」

 両親が亡くなった時も雪於は泣きじゃくり、細い体を抱きしめて私も泣いた。叔母が来てくれて、悲しみは少しずつ薄らいでいったけれど。

 今度は、私も叔母も雪於の悲しみをどうすることもできない、信行が戻ってこない限り、どうにもならないのだ。

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