第7話 噴出

 雪於を置いてアメリカになんか行けない。

 弟を放っておけない、少し遅れて渡米していいかと尋ねると俊介は、

「いいかげんにしろ」

 と一喝した。

「身内の失恋くらいでなんだ、もう大人だ、自分でなんとかするだろ」

 その通りかもしれない。だが、当時の私は雪於が不憫でならなかった。そばにいるだけで何もしてやれないのは分かりきっていたのに。


 叔母も恵美も、私たちが雪於を守るから、としきりに言ってぃれた。雪於が変な気を起こさないように見張る、という意味だ。

 後ろ髪を引かれる思いでニューヨークへ。積年の希望が叶った俊介は大喜びで、

「こっちで生まれるとアメリカ国籍が取れるんだ。今の間に子供をつくろう」

 などとはしゃいだが、私は母になる自分が全く想像できず、茫然となった。

 数か月後、恵美が泣きそうな声で電話してきた。

「沙耶、ごめん。ユキちゃんの子ができちゃった」

 すぐには理解できなかったが、つまり恵美は雪於の子を宿したのだ。

 何故、どうして?

 背筋がざわざわした。

 雪於に、そんな生臭いことができたのか、と私はうちのめされた。

 一時帰国すると私は俊介に告げた。

「本人同士が話し合えば済むことだろ。沙耶が口出しすることじゃない」

 もっともな言い分だろうが、私は帰国して雪於の言い分を聞いてやらなくては。

「勝手にしろ!」

 俊介が叫ぶ。

 私は勝手にし、二度と俊介に会うことはなかった。



 壁の時計は午前三時を回った。夏と違って、夜明けはまだまだ遠い。

 私はちらりと恵美を見た、睡魔に襲われたのか、恵美は目を閉じている。

 恵美には言いたいことが山ほどあった。今夜こそ、すべてをはっきりさせなくては。


 帰国後しばらくして、私は一果とカフェで落ち合った。

「ごめんね、スピーチしてくれたのに」

 こんなに早く別れちゃって、と謝ったが、

「しょうがないよ、人生いろいろ」

 一果は屈託なく笑った。

 祝辞は恵美に頼んだが、披露宴当日、恵美は高熱を出して出席できなくなった。急遽、一果に代役を頼んだのだ。

「そんなのはいいんだけどさ」

 一果はちょっと言いよどんだ。

「あの帰り、恵美を見かけたんだよね」

「は?」

 一果は急用のため、二次会には出ていない、所用先に向かう途中で恵美を見かけた。

 高熱で寝込んでいるはずの恵美が、街で買い物をしていたという、

 そんなバカな。

 愕然となったその時、向こうの席で女子高生が爆笑した。よほど可笑しい話なのか、一人は肩をふるわせている。

 私の中で、くるりと何かが反転した。


「どうして仮病なんか使ったの?」

 披露宴を欠席したのは発熱じゃないよね、と私は声をふるわせた。

「見られてたんだ。やっぱり家でおとなしくしてればよかったかな、でも、とってもいい天気だったからさ」

 恵美は居直った。

「誰があんたのお祝いなんか」

 吐き捨てるように言う。

 とうとう本性を出したな、と私は身構えた。

「泣いてる雪於を、笑ってたんだよね」

 ドアの前で恵美は肩を震わせ、笑いをこらえた。雪於がどれほど傷つき嘆いているか、ドアの前で聞き耳を立てるだけでは飽き足らず、わざわざドアを開

 ショックのあまり、きちんとドアを閉じなかったのだと思ったが、違う。恵美は確かめたのだ、自分の悪だくみが、ちゃんと雪於にダメージを与えたかどうかを。

 私は苦しかった、誰よりも大切な弟が身をよじって泣く姿は耐えがたかった。

 雪於をあそこまで追いい込んだのは、親友だと信じ切っていた、恵美。


「そんなに私が憎いの?」

 ずばり尋ねると、恵美は、

「憎い」

 強い声で言った。

「私、鈴木先輩が大好きだったのに」

 すっかり忘れていた名だ、高一のとき、少しだけ付き合った文芸部の先輩。

「なのに、沙耶に取られちゃった」

「そんな。付き合いたいって言ってきたの、先輩の方だし」

「そうだよね、沙耶、美人だから。

 あんな素敵な家に住んで、本も出して、モテモテで、あっという間に結婚。私の欲しいもの、みんな持ってて」

 恵美は一気に吐き出した。

「私がどんなに作家になりたかったか知ってて、本をプレゼントなんて残酷だよ」

 恵美が作家になりたかったなんて、一言も聞いていない。たまたま一冊本を出した私に対して、それはまるで逆恨み、ただの嫉妬ではないか。



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