第9話 逡巡
夏の夜、雪於宅のリビング。
「本当にやらなくちゃダメ?」
不安げに、雪於は私を見た。
「大事な人を取り戻すには、覚悟が要るのよ。ジュリエットだって薬を飲んだ」
「でも、あれは」
街を追放されたロミオ。結婚を強要されたジュリエットは仮死態になる薬を飲んだ。ロミオに連絡をとり、墓所で目覚めたジュリエットと手を取り合って新天地へ。
しかし使者はロミオとすれ違い、ロミオはジュリエットが死んだと思い込み、毒薬をあおって落命。
直後、ジュリエットは目覚め、ロミオの唇に唇を重ねる、死にたい、毒薬が残ってはいないかと。そして、
「まだ温かい」
とすすり泣く。ほんの少し前まで愛しいロミオは生きていたのだ。
「ああ、思い出すだけで胸が痛い。なんて悲劇なの」
私は胸に手を当て、ため息をついたが、
「サーちゃん」
雪於は呆れ顔だ。
「薬を飲むのは僕だよ」
そんなことをして、本当に信行とやり直せるのか、会いに来てくれるのか。雪於は半信半疑だ。離れて暮らした四年の月日は長すぎて、会えるという実感がないらしい。
あの後も、信行には雪於に会ってと連絡したが、煮え切らない態度だった。雪於にも信行の番号を伝えた。
なのに二人は、どちらからもアクションを起こそうとしないのだ。
私は、しびれを切らした。
何故話さない、会おうとしない? 互いに思っていると言いながら、いざ再会して、当時の思いと違ってたら嫌だ、そん.な恐れか。
男って本当にビビりで無駄にロマンチストだ、これでは話が進まない。
恵美は、雪於が日々、ちゃんと不幸か、苦しんでいるかを監視している。愛などかけらもなく、冷ややかに観察するだけだ。
そのうちに保険金目当てで雪於は殺されてしまうのではないか、と怖くなる。
春菜にしたって、何かと口実をつけて実家や私たちに面倒をみさせている。邪魔になって事故を装い、ベランダから突き落とされたりしたら。
この夜も、恵美は私がいるのを幸い、実家に遊びに行っている。春菜はもちろん雪於に預けて。
雪於が自殺未遂なんかやったら、恵美はきっと喜ぶ、そこまで雪於を追いこんでやったと。
「ほんとに死んだりしないよね」
雪於が念を押す。
「絶対だいじょうぶ」
量は少なめ、早く搬送されるように細工する。
不調だからと雪於はさっさと寝室に行く。薬を飲んだら、ツーコールで私に連絡する。
二時間後、雪於の携帯に電話。熟睡しているから応答はない。
私は恵美に連絡する、雪於に急用があるけど電話に出ない、様子を見てと。
「枕元に、空き箱たくさん置いといて。大量に飲んだと思って恵美、ぎょっとするわよ」
それとも、これは致死量だとホクホク顔になるか。そっちの可能性の方が高そう。
「怖いよ」
雪於は怯えていた。
日に何錠か口にするのとは訳が違う、怖くて当然だ。
死ぬ気になれば何でもできる、という言葉を私は飲み込む。下手をすれば本当に命にかかわるのだ。
「勇気を出して」
私は雪於の手を握りしめた。
「目覚めたら、そこにはノブくんがいる。また一緒に暮らせるのよ」
そう言いながら、私はまだ迷っていた。
薬の量や恵美に連絡する時間。どう考えても死にそうにないが。危険なまでに量を増やし、安全だと偽り服用させ、放置したら? 朝まで恵美は雪於の異変に気付かず、手遅れになるかも。
雪於を私だけのものには出来ない。だったらいっそのこと、永遠に思い出の中に生きてくれた方が。
五時半を過ぎ、ようやく外が白み始めた。
雪於は意識を取り戻し、私たちは入室を許された。
血の気のない顔、目は閉じたままだ。
おずおずと信行がベッドに近づく。
「ユキ」
その声に雪於は目を開き、弱々しく手を差し出す。信行が両手で白い手をにぎりしめ、
「もう、二度と」
と、床に泣き崩れた。
これでいいんだよね、これで。
私の視界も涙で霞む。
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