第4話 岐路

 自分の作品が認められたのは嬉しいが、わずかな賞金と印税ではプロにはほど遠い。本はさっぱり売れず、二作目の出版話も立ち消えになった、構想が涌かなかったのも原因だが。

 私は大学三年生、堅実な職場で働き、家を守ることが先決だ。

 父は公務員できちんとした収入を得ていたけれど、それも生きて働き続けてのこと、遺産はじわじわと減っていく。この家を守っていきたい。両親や雪於との思い出深い家を人手に渡したくなかった。


 雪於と信行の仲は順調だった。月に二度は信行が訪ねて来るし、雪於も始終、信行の部屋に泊りに行く。

 ある日、叔母が、信行に雪於との同居を勧めた。にこにこしながら、

「どうせ、いつかは一緒に暮らすんでしょ」

「ユキが卒業したら、と思っていました」

 信行がそう答えると、

「そこまで待つことない、家賃がもったいないし」

 あまりにもさばけた提案に、信行はどぎまぎしていたが、私も反対する理由はない。結局、信行は我が家に引っ越してきた。


 それから間もない秋晴れの休日、私たちは外壁のペンキ塗りをした。

 信行は実家が工務店で、DIYは得意で、頼もしかった。

「明るい色に塗り替えましょう」

 と、薄いグリーンのペンキを用意して、器用に塗り始める。

 信行はオレンジ色のTシャツ姿だった。

「珍しいね、今日もモノトーンかと思ったら」

 信行はこんな色もとても似あうのだと私は気づいた。

「これ、作業用。ペンキがついてもいいように」

 何かの景品でもらった、と信行は言い、淡々と作業を続ける。

 隣では雪於が嬉しそうに信行を見つめている。同居が実現し、朝も夜も一緒にいられる、幸せいっぱいというところだ。少し寂しくもあったが、雪於のために喜んであげなくては。

「鼻にペンキがついてる」

「そっちこそ、ほっぺたに」

 雪於と信行がじゃれあう。

「サーちゃん、髪にペンキ」

 雪於に笑われた。

「そう? あ。律子さんも」

 結局、叔母の顔にもペンキが飛んでいた。

 皆の笑い声が空に溶けていく。



 大学を卒業し、私も恵美も社会人になった。

 私は商社に勤めはじめ、七つ年上の俊介しゅんすけと知り合った。交際を申し込まれ戸惑ったが、彼は強気で押してきた。健康的に日に焼けたスポーツマン。彼のペースに巻き込まれ、いつの間にか付き合い始めていた。

 彼の部屋に行き、手料理をふるまうことが増えていった。

 そろそろベッドインに応じるべきなのか。

 私は文芸部で一緒だった一果いちかに相談した、その時、どのようにふるまうべきかと。

 一果は高校時代から恋人がいたから、まさか処女ではないだろう。

 久々に会った一果は、相変わらず綺麗だった。

「沙耶、まだだったんだ」

 意外そうな顔をされた。

 私は派手に見えるらしかった、とっくに経験済みだろうと一果も思っていたのだ。

「絶対に笑っちゃダメだよ」

 と一果はアドバイスした。

 床の中で女が笑うと、男は何か落ち度が、と不安になるらしい。

「やつら、デリケートだからさ、プライド高いし。せいぜいしおらしくふるまうことね」

 それさえ守れたらオッケー、と一果は言い、実際、その通りだった。


 体の上で荒い息を吐き、腰を前後させる俊介は滑稽に思えたが、もちろん私は笑わなかった。やがて痛みに襲われ、笑うどころではなくなった。

 私がバージンであったことに俊介は感激し、

「大事にするよ」

 と抱きしめたが、少しもときめかなかった。ただ痛くて、初めての時はそうだというのは本当だ、と思うだけだった。


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