第5話 違反者と粛清

 ばつ、と裁ち切るような音を立てて、矢が鳥の胸部を射抜いた。黒い鳥はその生涯を終えたこともおそらく自覚せぬまま、とまっていた枝から土の上に落下した。

「おぉ……」

 つい感嘆の声が漏れる。俺は纏っていた蔦と葉を取り払って、弓を握ったミユゥの元まで寄っていった。

「すごいね。弓もここまで扱えるとは」

「狩りの時はむしろ弓が主体だったから」

 射止めた鳥は体長が俺の肩幅ほど、それでも地上から樹上の距離で見れば豆粒くらいの的ではなかろうか。一射必中で無ければ逃げられるという環境が培った技巧である。

「ここらは枝が低いから、まだ当てやすいほうかな。それより」

 口ぶりからして本当に謙遜ではなく、まだやりやすいほうだと言っているようだ。俺が隠れていたあたりの茂みをミユゥは指差す。

「あの植物も魔法で作ったの?」

 そこには支えを失った蔦が密生していた。森の中は草が生い茂っていて判別はつきにくいので、俺は過ごしやすい位置に植物を生えさせて隠れ、狩りの成功を待っていたのだ。そうでなければ、森の中での隠形の心得などない俺がいては獲物も逃げてしまう。

「そうだよ。緑の多いところで隠れるのに便利な魔法でね。ただ、呪文は複雑だよ? これを覚えなくても、ミユゥなら十分森の中で隠れられてたと思うけど」

 むしろ自然と一体となる狩人の真髄を見たというか、それなりに近くで見ていたはずなのに、俺も時折その姿を見失うほどだった。昔読んだ冒険者の本で、「森と呼吸を合わせるのです」とか書かれていたけど、あれか。そういうすごいやつなのか。

 だがミユゥは魔法にも興味があるらしい。

「使えれば便利だし、教えてよ。この前の雷のも覚えたんだよ。トニ、トニン……トニトロム」

「おしい」

 正しくはトニトルムである。それはあとで訂正するとして。

「じゃあ、言うよ?」

 ミユゥが体を沈め、真剣な顔を寄せてくる。復唱する準備は万全のようである。

 俺は深く息を吸ってからひと息に、

「〈プルラント・エト・インクレメントゥム・パルセノチスス・トリクスピダタ〉」

 手近な木の根元に魔法をかける。土の中から芽を出した蔦がざわざわと伸びて増えていき、覆い隠すように裸の幹に絡みついていった。

 だが、その不可思議な生長速度よりも、彼女の思考は呪文で占められてしまっているようだった。

「ぷる……」

 ぐっと胸の前で握った両拳が、気合いを入れた姿勢のまま止まっている。そうだ、頑張れ。

「プルっ…………」

 おっ、どうだ? 出るか?

 しかし手はゆっくりと下ろされた。

「やめとく……」

「うん……」

 少々意地が悪かったようだ。無表情の目元が心なしか悲しげに見える。

「植物を出すには、魔法言語での細かい名前も覚えなくちゃいけないんだ。例えば『花』ひとつを取っても『椿』なのか『百合』なのか、といったふうにね。だから植物の魔法は長くて覚えにくいし、魔法使いにも好まれてない」

 植物学の授業は阿鼻叫喚だった。追試地獄に落ちていった級友たちに思いを馳せる。

「食べられる野菜は出せるの?」

「出せるけど、無理やり生長させた影響で中に魔力が満ちてて、あんまり栄養が無い。それに、魔法で創った物はどんなものであれ、一日経つと消滅してしまうんだ」

 どれほど硬い鉱石であっても、一日経てば跡形もなく消え去る。魔法で無から生み出した貴金属には一昼夜の間しか価値はない。錬金術に魅入られた魔法使いたちが元ある物に手を加えて金に変えようとしているのも、こうした原理を覆せないからだ。

 ミユゥは地に落ちた鳥から矢を引き抜いて、足を掴み上げた。

「じゃあ、動物は?」

 俺は彼女の手にある死から目を逸らした。

「……動物は、つくれない。一つの場所から動かない植物ですら、かなりの魔力を消費してようやく生み出せるものだから、動物の命の再現はできないんだ」

 ましてや人間の命などというものは。

「そっか。動物が作れるのなら飢える人はどこにもいないか」

 事実として、そのような豊かな世界などではない。俺たちは生きるために獣を狩り、作物を育て、金を稼いでものを買う。多くの人がみな命懸けだ。

「ああ、でも、そうしたら狩人もいなくなるのかな」

 顔は見えなかったので、その言葉にどのような心情が込められていたのかはわからなかった。誇りを損なうことへの悲しみか、それとも異なる生き方があったかもしれないという憧憬か。

 生命を創る──それは、蘇生にも通じることだろう。

 一度消えたはずの彼女の命はどこから来たのだろうか。不条理を成し遂げたはずの俺自身にすらそれはわからない。




 ソノトフに滞在して一週間ほどが過ぎた。

 次なる目的地を定め、準備を整えるだけの時間は十分に経ったが、町を出ない理由がある。先日の依頼報酬が横領された件についてまだ調査が済んでいないのだ。被害者たる俺たちは当然待たなくてはならず、なんとなく足止めをされている気分にはなる。

 発生が二日前なのでさすがにそろそろ、と思った矢先、組合から呼び出しがかかった。わざわざ滞在している宿まで迎えが来るという待遇付きで。

「冒険者リキナですね」

 裾の長い灰色の制服に、前つばのついた帽子を目深に被った男性。彼は無感情な声でそう確認を取った。俺は「はい、ええ」と曖昧な返事をすると、彼の後ろを見る。同じ格好の男に連れられたミユゥが居心地の悪そうな顔をしていた。夕刻、部屋で休んでいたところにやけに仰々しく背筋を伸ばした男が訪ねて来たのだから、戸惑うのもわかる。

「先日の魔物討伐依頼に関して、現地調査が完了したことを報告いたします。つきましては、これより組合施設までご足労頂きたい」

 口調こそ丁寧ながら、断られる返答を頭から考慮していなさそうな無機質さ。よく訓練された兵士のようだ、と思った。

 先行する男たちに聞こえないように、ミユゥが俺に耳打ちした。

「この人たちは?」

「組合の執行役員だろうね。冒険者たちを管理する側、依頼の手続きとか調査──運営を司る部署だよ」

 組合の人員ではあるだろうが、その点で一般の冒険者とは業務が大きく異なる。役所のようなものだから、兵士という印象もあながち間違いではないだろう。

「私たちが間違えてる、とか言われたらどうしよう……」

 仰々しさに気圧されてか、珍しくミユゥは弱気である。

「大丈夫だよ。役員は優秀な冒険者から選ばれるっていうから、現場には詳しいだろうし……。それに、そうなっても改めて正当性を主張すればいい。任せてよ、話し合いとかは得意なんだ」

 ミユゥは眉尻を下げた。少しは安心してくれただろうか。

「こちらに」

 制服の人が扉を開けながら言う。気づけば組合の集会所に到着していた。中に入ると、いつも通りに冒険者たちで賑わっていた。受付の横に四、五人、灰色の制服が固まっている。そちらまで向かうと、先頭の帽子が俺たちを順繰りに見た。

「登録名リキナ。登録名ミユゥ。ご足労感謝する。私は冒険者組合執行役員ソノトフ支部長、ファリース」

 青年とも凛々しい女性とも取れる声。周りの制服より少し小柄な彼が代表らしい。手を後ろに組んだ立姿勢になんとなく俺も緊張する。

「先日のブニン池での魔物討伐依頼、君たちの成果で相違ないとの調査結果が出た。我々の手続きの不備を謝罪する」

 ファリース支部長は粛然と腰を折った。俺はミユゥと顔を見合わせて頬を緩ませる。杞憂に過ぎたようだ。

「ついては、正当な成功報酬と、調査による支払い遅延日数を上乗せした金額を受け取ってほしい。手続きはこちらの窓口で……」

 なんと。延滞料金も付け足してくれるらしい。手違いがあったとはいえ太っ腹なことだ。受付に移ろうとしたところで、背後の出入り口が開く音と、ざわつくような声が耳に入った。

「え」

 つい、声が出た。振り向いた先にあったのは、厳めしく歩んでくる幾人かの制服と、彼らに連れられた、三人の男。うなだれた顔にはいくつも腫れができていて、全身の至る所に内外を問わない出血が見て取れた。

 俺たちの報酬を持ち去った、あの三人組である。

 騒いでいた冒険者たちが、その異様さに口を噤んで、道を開ける。部屋の中央に連れてこられ、膝をついた男たちの前に、ファリースが静かに立った。

「ソノトフを出て逃亡を図っていたところを捕らえました」

 制服の一人が告げる。ご苦労、と冷たく言って、支部長は満身創痍の三人に目を落とす。

 余程暴行を加えられたのか、男たちは怯えていた。そして、その恐怖がこちらにまで伝わるかのようなファリースの威圧感。

 そして、この空間の支配者は口を開いた。

「お前たちは虚偽の報告をし、依頼報酬を騙し取ったそうだな」

 肯定も否定も問わない、ただの確認であるという落ち着き払った口調。男の一人が震えながら、しかし強気に言い返した。

「どこに……そんな証拠があるってんだよ! 誰が倒したかなんて、見てないやつにわかるわけねぇだろうが!」

「他の受注者の目撃証言がある。目撃者がいなくとも、現場の痕跡、お前たちの武装、依頼の成功率。これらを調べ上げ照らし合わせれば、事実は自ずと明らかになる。我々を欺けると思ったか?」

 犯人たちは顔を歪ませる。俺ですらわかっていた。依頼には他の組が参加していたのだから、まず誤魔化せるはずがない。当のヨンドさんとグタラさんも居合わせていたのか、不安げな顔の冒険者の囲いの中に姿が見えた。

「さて」

 そう呟いて、ファリースは男の横に移動した。あまりにも何気ない動きだったものだから、俺はその後に起こったことにもしばらく反応できなかった。

 ファリースが左の腰に手を伸ばし、

「──あ」

 隣のミユゥがいち早く気づき、俺がようやくそこに帯剣していることを把握した頃には、

「うあ……え?」

 石畳に落ちた己の両腕を見つめる、哀れな男の姿があった。

 粘り気がありながら勢いも持つ噴水がふたつ出来上がる。血は見慣れているはずの冒険者たちもこれにはどよめいた。仲間の二人の喉を絞るような悲鳴で堰を切ったように、両腕を失くした男は壊れたような痙攣を始めた。

「ああっ……なんっ、うぅ……いぃ……っ⁉︎」

 男の震えに合わせて血の滝が揺れる。違反者の腕を斬り飛ばした支部長はとっくに納刀し、部下たちの前まで戻って行った。

「な……」

 それとすれ違うように、俺は駆け出していた。

「──にをやってるんだ‼︎」

 血の池に踏み込んで、迷ってから右腕だけ拾い上げる。後ろで腰を抜かす二人に「体を押さえて、早く!」と怒鳴りつけてから、傷口同士を元あった場所に当てがった。

「……君こそなにをやっている」

 後ろでなにか言っているが聞こえない。切り口を包帯でぐるぐる巻きにして固定すると、指先に魔力を流した。

「〈ネクスム・フラクトラ〉……!」

 幸いにも切断面は平らだ。まずは骨折の治療の要領で前腕骨を繋げていく。

「……魔法使い……」

 と、背後でファリースが呟くのが聞こえた。

 隣で膝をついて、誰かが同じように左腕を固定してくれていた。ミユゥだった。

「うーっ、ふうーっ、うで、うぅーっ……」

「黙って。ズレる」

 男はがちがちと合わない歯の根の隙間から涎を垂らしていた。これ以上混乱させると治療にも支障が出かねない。

 手元に影がかかる。すぐ後ろに制服が立っていた。ファリースはあくまで淡々と問うてくる。

「その男は君たちの手柄を横取りしようとしていたはずだが?」

 頭頂部に音さえ立てて血が昇るような感触があった。自分でも驚くほど力強く睨みつける。

「こんな仕打ちをすることはないでしょう!」

「……わかっていないようだな」

 嘆息は憐れみによるものか。

「もし『魔物を倒した』という虚偽の報告を信じ、人々がそこへ立ち入ってしまったらどうする? 犠牲になる命の責任を誰が取る?」

 帽子の下から冷たい眼が覗く。それは不届き者への苛立ちのみならず、彼の口にした責任という言葉の重みで鋭く光っていた。

「それでも、腕を奪う必要まではないはずだ……」

 自分の反駁が弱々しいことを認識していた。直接の被害者でさえある俺が、その犯人たちを庇ってまで彼に言い返すほどの材料は、見当たらない。

「組合規約の違反者は、冒険者資格を剥奪される。生涯に渡って再登録は不可能だ。冒険者ですらなくなった者たちがどのような末路を辿るか、君は知っているか?」

 決まった住居もなく、確かな働き口も失った人間。悪人にすら良いように使われる雇われ兵に身をやつすか、あるいは自らも奪う側に回るか。冒険者を良く思わない人々からは、「組合は盗賊予備軍を矯正している組織だ」とも時に揶揄される。力自慢は荒くれ者と紙一重なのだ。

「けだものを野に放つことは出来ない。人々の安寧を守る我々に必要とされるのは、信頼だ」

 柄に手をかけ、今度は見せつけるように剣を引き抜く。返り血一つ付いていない細剣が、ちろちろと燃える壁の篝火の光を映していた。

「規約においては、登録抹消の他にも許可されている」

 悪寒が走る。痛めつけるために抜かれた武器というものは、こんなにも恐ろしく映るものだと知る。

 その時になって俺はようやく悟った。なぜ執行役員がその『罰則』の実演に、冒険者の集まるこの場を選んだのか。

 これは見せしめだ。このような悪行を働けば、次にこうなるのはお前たちだ、と。いつもは陽気で気のいい冒険者たちが手を出すこともせず、しかし立ち去ることもなくただ一定の距離を取って状況を見守っている。そのさまは、見せしめの効果が覿面であることを物語っていた。

 役員は男たちを殺すだろう。それが職務であることも俺は理解している。ここで感情論に訴えたところで、そのようなものは歯牙にもかけられないだろう。後先を考えず力で押し通ることはできる。だがそれをして何になる?

 なにより。そんなものが果たして、知性ある人の在り方なのか。

 手元の魔力光が薄れる。とりあえずは骨が繋がったことを密かに確認すると、俺は立ち上がった。

「──規約においては」

 ファリースに対峙して、こう続けた。

「罰則を受けた者に治療を行うことは、禁じられていません」

 張り詰めた場に沈黙が降りる。それは、これまでの緊張感によるものではなく、言葉の意味を理解するのに時間がかかっているような、そんな微妙な空気だった。

 ファリースは表情一つ変えず、俺の口答えを諫めることもしない。痺れを切らしたように、取り巻きの制服たちが口々に言った。

「がたがた抜かすな!」

「こいつらを庇い続けるとでも言うのか」

「私はするのはあくまで傷病者の治療です。誰だって目の前に怪我人がいれば気を遣うでしょう。その怪我がどのようにもたらされたものかは、関知しません」

 ファリースが口を開く。

「規約条項二章第十六条には、『違反者に協力、またはこれを隠匿する者には、同等の処置を取る』との記載もあるが?」

「規約条項三章第二条には、『登録を抹消された者は、以後組合とは契約を破棄した無関係の個人と扱う』ともあります。他者を救わずして冒険者と言えましょうか」

「……」

 鉄面皮が僅かに、しかし確かに不愉快そうに歪んだ。俺がことに気がついたのだ。

 俺がファリースを真似て、一言一句条文を暗記していることを誇示して見せたのは、別に正しさを以て反論するためなどではない。「徹底的に喋り倒してみせる」という意思表示である。

 まったく、嫌になる。幼い頃から身の回りで散々見せつけられ、遠ざけたいと願った口八丁の謀略がこんなところで活きようとは。

 ……非常に情けない手段ではあるが。弁論の根拠を共有する場合、屁理屈をこね続けたほうが勝つのだ。

 そして、ここで「ええい! やかましい!」と強硬手段に出たほうが負けなのである。そんなことをすれば、観衆の目には『言い負かされて自棄になった、頭の弱い乱暴者』に見えるからだ。強硬手段とはつまり暴力のことであり、この瞬間、彼らは誰をも傷つけることができなくなった。

 俺はファリースから視線を外さない。貴方が理性と秩序の代行者としてこの場に来たのなら、その品位を貶めることは避けたいはずだ。頼むから引いてほしい。そう訴えかけるように。

 そんな事態を察していないのであろう取り巻きが、俺の態度に肩を怒らせる。

「貴様……!」

「いい。下がれ」

 ファリースは部下を手で制した。心底つまらなそうに武器を収めると、

「その者たちの資格の剥奪に変更はない。……これ以上は、時間の無駄だ」

 そう言って、一人出口に向かって歩いていった。他の役員が慌てて追いかける。波が引くように観衆の円が割れて、扉の前に立った支部長は最後に問いかける。

「愚かだとは思ったが、意味を履き違えていたようだ。登録名リキナ、なぜ冒険者なぞやっている?」




 包帯を巻いた両手は不格好だが、少なくとも本来の腕の長さに戻っている。治療をしていない二人まで寿命を縮めたような顔をしていて、俺にこう訊いてきた。

「あんた、なんで……」

 話をしたいわけではなかったので、最低限愛想が悪くならないように気をつけながら手短に助言する。

「早く別の町に行ったほうがいいですよ。次に見つかった時は問答無用でしょうから」

 ソノトフの町には既に夜の帳が降りていた。灯りと人目を嫌って路地伝いに帰ろうとしていたところを、三人組はわざわざ追ってきたのである。これ以上口を開く素振りを見せずにいると、ミユゥが代わって前に出てくれた。

「今度誰かに迷惑をかけたら、私が殺しに行く」

 余程凄みのある顔だったのか、男たちは縮み上がって逃げていった。後姿が見えなくなってから、俺は言う。

「……ごめん。助かる」

 声は掠れてしまった。

 宿に戻るまでの間も、俺たちは終始無言だった。人里にいるというのに、夜がいつにも増して暗くて、ミユゥの顔も見れないまま自分の部屋に逃げ込んだ。

 寝台に腰掛け、後ろに倒れる。

 思い通りに惨劇を免れたはずなのに、気分が晴れなかった。自分の選択も、取った手段も、そしてそれらがもたらすかもしれない未来の可能性も、全てが悔いとなって胸にわだかまっている。

 燻るような気持ちのまま、深く息を吸って吐く。

「リキナ」

 戸を叩く音が二度、控えめに鳴ってから名を呼ばれる。目を開けて、自分が寝ていたことに気づいた。

「開いてるよ」

 体を起こしながら答える。

 扉を開けたミユゥの背後から差す光に目を細める。「灯り、点けてないの?」と言われて、俺はもそもそと枕元の卓上灯に火を灯した。

 その間に、ミユゥは壁際の椅子に座った。寝台と椅子、手が届くか届かないかの距離で斜めに向かい合う。

 訪ねてくるからにはきっと用があるのだと思ったけれど、ミユゥはなにも言わない。言いたいことがある時はわかりづらくも言いたげな顔をするので、今はそうではないのだと悟った。それならと俺はいつも通りの如才なさを発揮する。

「明日にはここを出ようか。次の町に向かおう。興味のある店は回りつくしたし、道中の保存食ももう揃えてあるし……」

 しかし、彼女は俺のうわべの話題を一顧だにせず切り込んで来た。

「ソノトフに居づらくなったから?」

「…………」

 つい言葉に詰まる。そんなにわかりやすかったかな。自分の顔が自嘲気味の笑いに変わっていくのを感じながら、盗み見るようにミユゥと目を合わせる。

「リキナがあんなに食って掛かると思わなかった」

「ミユゥだって手を貸してくれただろう。……君まで目をつけられることはないのに」

「どうしてあそこまでしたの?」

 それは俺も悩んでいるところだった。

 目の前の殺人を止めた。彼らがそれほど悪かったとも思えない。だが不正を働いたのは事実だし、規律通りに組合から放逐するだけではさらなる罪を重ねる可能性も、確かにある。かといって、可能性だけで命を摘み取る私刑じみた処罰は、あってよいものか。

 思いつくままに、口にしてみる。

「……そうするのが正しいと思った。いや、違うね。俺が気分が悪かったからああしたってだけだ」

「人を助けるのは、いいことだと思う」

「ファリースさんたちだって職務に従っただけだよ」

 組合が動かなければ俺たちの報酬が持ち逃げされた可能性だってあるのだし。

「執行役員にとっての正しさは、規律に則って彼らを罰することだった。争いは、それぞれの思う正しさのぶつかり合いだ」

「横取りした三人も正しかった?」

「それは……難しいね。あんまり擁護できないことってのもある」

「ふふ、そこは意外と厳しいんだ」

 ミユゥは冗談めいた話を好む性格ではないと思ったけど、これには吹き出した。どうあっても元凶はトゲトゲ三人衆の横領である。そこは反省してほしい。

「そうかも。でも君はいい人だよ。……それなのに、ごめん」

 俺を手伝わせてしまったのなら、悪人を庇ったも同然である。それ自体は罰せられることではやはりないにしても、どのような目で見られるかは想像に難くない。

「そう思うなら、お礼を言って。私はリキナが正しいと思ったから、動いただけ」

 ここでようやく初めて、ミユゥの顔をまともに見た。柔らかく微笑んで、聞き入るように俺の顔をじっと見つめている。そうか。彼女は話しに来たんじゃなくて、俺に話をさせに来てくれたのか。

 おかげで、この件を忘れることは無いにせよ、捉え方を整理することができた。言う通りに礼を尽くすべき事案である。

「……ああ。そうだね、ありがとう」

「どういたしまして」

 そう言うとミユゥは持っていた紙袋からなにかを俺に差し出した。ソノトフに来た日に俺が買った焼き菓子だった。唐突に現れた甘味と曇りのない瞳とを見比べて言う。

「……気に入ったの?」

「うん。だからまた食べに来よう」

 そうだ。世界を巡り歩いて、また食べに戻ってくればいい。

 受け取って齧りつく。酸味の奥に甘さが見え隠れする。

「俺も実は、気に入り始めてた」

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