第2話 焚火と結界
安宿の薄い扉を開けると、既に旅支度を整えたミユゥの姿があった。
「早いね。どうしてこの部屋が?」
「下の受付で聞いた」
俺ももう出るところだったので外で待っていてくれてもよかったが、荷物が少ないのを見ると時間を持て余してしまったのかもしれない。待たせたのなら悪いことをしてしまった。なにせ魔法使いの持ち物は多い。
ミユゥの装備は、皮の防具に皮の背嚢。胴部の装甲は、先の戦いで大穴が空いてしまったから、新しいものに差し替えてある。槍は背嚢の邪魔にならないよう、後ろの右肩の辺りに背負っていた。
俺も緑の外衣を羽織って、自分のかばんを担いだ。ミユゥのものより一回り大きいのに、魔法に使う道具が詰め込まれているからぱんぱんに膨らんでいる。
「じゃ、行こうか」
ミユゥはこくりと頷いて、俺たちは宿の部屋を後にする。階段を下りて外へ出ようとすると、受付のご婦人がにやりと悪い笑みを浮かべたのが見えた。ずっと一人で滞在していた男が、最後の日に女性連れで出立しようとしているのだから仕方がないが、それは邪推というものである。
「組合の広場には寄っていく?」
「いや。……あの人たちがいると気まずいし」
そう答えたミユゥの背には真新しい槍の柄が揺れていた。
先日、洞窟に巣食う魔物に襲われていた四人の冒険者。彼らを手助けして全員無事にメムーロの町まで帰って来れたのは良かったが、その後が大変だった。
止まらない感謝の言葉の嵐。涙と唾を飛ばさんばかりの勢いで迫る彼らに圧倒されてしまい、もういいと言っているのに「どんなお礼でもさせてほしい」と縋りついて放してくれない。ならばせめて戦いで破損した装備を新調したいと申し出ると、町中からこれでもかというほど買い集めてきてしまった。それでもなお道端で出くわしてしまったが最後、あの時は本当になんとお礼を言ったらよいかと鳴き声を上げて突進してくるものだから、避けたくなるのも無理のないことである。
まあ、ちょっと手元不如意だった俺にとってはありがたい贈り物だったのは事実だし、他にも助けてもらった。先を行くミユゥを見ていると、たまたま振り返った黒目とかち合った。
「ん、どうかした?」
「体調は大丈夫かな、と思って」
「平気だけど……」
そう言って不思議そうに目をしばたたく。それならいいが、今後何が起こるかはわからないのだ。
ガロテグラとの戦いの中で、ミユゥは死んでしまった。
俺が半狂乱で魔法をかけ続けた結果、どんな偶然か彼女は蘇った。存在するはずのない蘇生魔法が発動したのだ。
しかし、それがどんな魔法なのか俺にもわかっていない。狙った効果とはかけ離れた呪いのようなものかもしれないし、実際、蘇生直後の彼女は空中に浮かんでいくという謎の現象に見舞われている。すぐに収まったのでよかったが、助けた冒険者たちが下ろしてくれた縄がなければまた洞窟の底に落っこちていくところだった。
それも、いつ再発するか知れたものでは無い。今この時も突然空に落ちていって、二度と帰って来なくなってしまうんじゃないかと不安なのだ。
そんな事情もあって、俺はミユゥと旅をすることにした。元々目的地のある旅ではなかったが、常に見守りながら蘇生魔法の謎を解明する義務が俺に生まれたのである。
「ソノトフには私の知り合いがいるんだ。久しぶりに会っておきたくて」
「同じ村の出身?」
「時々行商に来てた商人。小さい頃から村の外のことをよく教えてもらってた」
メムーロを出た俺たちが向かうのは、歩いて一日ほどで辿り着くソノトフという町。ぶどうと酒が主産業だったはず。
「じゃあ、東に向かうことになるね」
メムーロから見て、大陸はほぼ地続きで東方へ広がっている。海を渡るには資金も準備も足りないから、陸路で転々としながら冒険者組合の依頼をこなしていくのが、旅路としては順当だろう。嘴大蛇との遭遇こそ予期せぬ災難ではあったが、しばらくは穏やかに過ごしていられそうだ。
そんな見通しを持った俺が甘かった。
夜闇を照らす眼前の焚火は、旅人に安心と熱をもたらすもののはずなのに、今はちっとも落ち着かない。俺がそわそわと腰を動かすと、向こうに座るミユゥが煙越しに半目でじっと見てくるような気がした。そんな気まずい状況など露知らずただただ元気に爆ぜる薪が、やたらに緊張感を煽ってくる。
どうしてこんなことになったんだったか。日中のことを思い返してみる。
メムーロを出立して、しばらくは平原が続いた。二つの町の間の通行は盛んなようで、俺たち以外の冒険者らしき旅人や商人の馬車とすれ違い、追い越される時間が続く。周囲に人がいなくなってから、ミユゥはこんな話題を切り出した。
「リキナはさ、強いの?」
子ども同士が遊び場の主導権を取り合う時のような単純明快にして単刀直入な問いである。殴り合いの勝負でも挑まれるのだろうか。冗談はさておき、
「強いと思ったことはないなあ。一応冒険者を志すに当たって、それなりの地形は踏破できるように体を鍛えたけど」
それでも俺の体格は良くて中肉中背、酒場にたむろするいかついごろつきや冒険者には遠く及ばない。大きい人というのは肩が縦横に太いのだと冒険者になって学んだ。生まれ持った資質というのはどうにもならないのだ。
ところが、問いの意図は少し違っていたようだ。
「体というより、魔法使いとして、さ」
なるほど。腕を組む。
「うーん、魔法使いに強い弱いはない、気がする。魔法を使えば使うほど魔力は増えて魔法が使える時間が伸びるし、呪文をたくさん覚えればできることも増える。ただ、それがそのまま『強さ』に繋がるかとなると、わからないね。使い方次第なところがあるし」
「そうなんだ」
「あ、でも知ってる呪文の数には自信があるよ。必修科目以外のも片っ端から覚えたからねっ」
「そうなの」
「暇さえあれば魔法使ってたから魔力量もいっぱいだ。単級魔法なら一日中唱えてても使い切らないよ」
そして、足音だけが続いた。この話題はここで終わりかな? と思ったところで、
「私は、その……たぶん筋力的にはリキナに勝てるけど……」
そう彼女は呟いた。
「うん…………うん?」
まあ勝てるとも思っていない。どうしたんだろう、と考えていると、「あっ」とミユゥは口を覆った。
「今のは変だった。無しににして。その、これは……」
そのまま片手を頭に当てたりそれを拳にしたりと忙しく動かした後に、消沈したように下げ、今度はひどく申し訳なさそうに眉間に皺を寄せた。
「ごめん、会話が下手で……」
その謝罪の言葉で、俺はようやく彼女の煩悶を悟った。
「ああ! もしかして話題を作ろうとしてくれてたの?」
それはなんというか、そんな、いまさら他人行儀な。
つまりはこうだ。ミユゥは道中の会話の種として、俺にまつわる話題を提供した。次にきっと気の利いた返しをしようとして焦ってしまい、人によっては受け取りかたに差が出ることを言ってしまった。それを取り消して取り繕おうとしたが、どうにもならずただ謝るしかなかった、というところだろう。
「今まで通りでいいんだよ?」
「でも、今まで依頼に関する話しかしてこなかったなって……」
「真面目な人なんだな、ぐらいにしか思ってなかったよ。むしろ俺が喋り過ぎかと」
旅は長い。何もせず歩いている時間が大部分だと言っていいほどだ。そんな中、苦手ながらどうにか会話を弾ませようとしてくれたあたり、本当に真面目なのだろうとは思う。
見通されたことを恥じているのか、ミユゥは首から上を赤くして俯いていた。
「先は長いんだし、気が向いたときに気が向いた話をすればいいさ。あ、次に休憩する時、腕相撲でもする?」
俺の冗談に彼女は僅かに笑ってくれた。
陽が落ちないうちに森林地帯に入る。迂回して街道沿いの平野で一晩明かしても良かったが、風が遮るものがない夜というのは寒くて過ごしにくいのだ。
安全のため、周囲に魔物がいないか手分けして確認する。合流地点に戻ると、先に帰っていたミユゥが指先を気にしていた。
「こっちはいなかったよ。……どうかした?」
「木に引っ掛けて指を切った。大して血は出てないけど」
彼女の手元を覗き込む。右手の薬指の腹に薄く傷が走っていた。
「手袋を脱いでたのがいけなかったな」
「あらら。気になるよね、こういうの。このあたりは毒性のある植物は無さそうだけど、念の為洗っておこうか」
水筒はすぐ出せる位置にあったろうか、と鞄を下ろして漁っていると、おずおずと、といった声でミユゥは訊いてきた。
「あ、その。治してくれると嬉しいんだけど……?」
治す。治すとは治療行為だ。この場合の治療は傷を洗って、薬はかえって手間だろうし、軽く包帯を巻くにとどめるのがいいだろう。頼まれなくてもやるつもりだけれど、というところまで考えて、そうか、と思い至った。
「治療魔法で、ってことか。悪いけど、あまり気は進まないな」
「どうして? この前は千切れた腕も元通りに治してたし、これくらいの傷なら」
「もちろん時間はかからない。でも代償が大きいんだ。いい機会だし、回復魔法の原理を説明するよ」
今後、深い傷を負うことになれば俺が魔法で治すこともあるだろう。だからといって、それに当てにして無茶な戦い方をされるのは本意ではない。俺が冒険者として、魔法使いであることを明かしたくなかった理由の一つである。
「魔法が元々魔物の技術だというのは知ってるよね。身体が魔力でできている魔物は、魔法で外から魔力を補うことで怪我を治すことができる」
魔力を摂取し続ければ、半永久的な寿命で活動するのもそのためである。初代魔王時代の残党は、いまだ生き延びて脅威として討伐対象に上がる。
ミユゥはしきりに指の傷に目を落としながら聞いている。俺もしょっちゅう本で指を切るのでその痛みはわかるが、我慢してほしい。
「でも、人間を構成しているのは血と肉と骨と、その他いろいろ。体内に魔力はあるけど、それ自体は生存には関係ないんだ。だから、魔物の治療魔法がそのまま使えない。……そこで編み出されたのが、人間の身体に合わせた治療魔法」
俺は木の枝で地面に一本線を引いた。
「たとえば切り傷が出来たとしても、何日か時間が経てば治っていくだろう? 治療魔法はその『時間』を先取りして一気に治すものなんだ」
ざ、と足で土をかけ、傷に見立てた線を消す。傷が埋まった分、元あった場所の土はすり減っている。
「先取りした分の時間は……」
彼女は気づいたようで、眉を寄せた。
「……そう。寿命から持ってきている。怪我が大きいほど長く、本来治らないような損傷ならもっと長く。たとえ傷が小さかったとしても、それが完治するまでの日数が寿命から引かれてしまうんだ」
種族の違いゆえの技術の限界。聡明な最初の勇者でさえ、病や怪我に苦しむ人々に完璧な救済をもたらす治療魔法は、確立しえなかった。
話の締めとして、俺はミユゥを諭すよう穏やかに笑顔を浮かべてみせた。
「だから、小さい傷で治療魔法を使ってしまうのはもったいないんだ。そういうのって、治るのに二週間くらいはかかるだろう?」
されど切り傷ではあるが、それで二週間も寿命が減ってしまうのは悲しすぎる。
「いや、私三日くらいで治るけど」
「そう三日……三日? 短くない?」
綺麗に締められなかった。
「そういうのってさ、『あーまだ傷あるなー。水仕事するたび痛いし邪魔だなー』って状態が続いて、ずっと気にしてる間に限ってなかなか治らないのに、『あれ、そういやこの前の傷は……』って思い出した頃にようやく治ってるものじゃない?」
「三日で治るよ。気になるけどすぐ消える」
「絶対気のせいだって。忘れてるから短く感じてるだけだって」
「三日で治るからいいよ。その代償は受け入れるよ」
ぐいと手を突き出される。俺は負けじと押し返す。
「いや短くても十日はかかるよ。そんな残酷なこと俺にはできない」
「百歩譲って五日だとして、老後の五日は誤差だから」
「ごさっ……なんてこと言うんだ!」
もう堂々巡りである。肩で息をしながら俺は後退する。
「とにかく! 戦闘中の負傷はさておき、怪我の程度によっては自然治癒に任せたほうがいい時もある。その判断は俺がするから、いいね?」
瞼に隠れた瞳がじっとこちらを射抜いてくる。わかりづらいがむくれているらしい。いや、負けない、負けないぞ。気を取り直して、集めておいた枝に屈みこむ。
「すっかり暗くなっちゃったな。灯りをつけようか……〈イグニス〉」
火の単級魔法。かざした手の下の薪に火がともる。
すると、常になく不満げな声が背に突き刺さった。
「それには魔法使うんだ……」
これ以上槍使いのご機嫌を損ねぬよう、最大限言葉を選んで言う。
「いえ、まあ、この魔法には特に代償とかないですからね……」
「頼り過ぎるのは良くないって話じゃなかったの」
「……使えるものは使うべきって言ってたじゃないか……」
ミユゥは焚火から少し離れた木を背に座り、「食べて寝る」と短く言った。
言いすぎてしまった。無言で干し肉を齧り始めたミユゥから目を逸らし、俺もその場に腰を下ろす。彼女に倣って小麦を固めた携帯食を口に運ぶも、もともとぱさついた食感なのもあって味がしなかった。
それから一時間ほど。焚火の真向かいに座って、気まずい時間が続く。火が小さくなったらどちらともなく薪を足して、その瞬間が二人で被ってしまってまた気まずくなる。
そろそろ休んでもいい時間だが、その前にやるべきことがあった。意を決して声を出す準備をする。
「あの」「あの」
被った。揺らぐ火の向こうで目を丸くしているミユゥに、君が先だったと目で促す。彼女は固く微笑むと、
「……ごめんなさい。むきになった。やっぱり私、話が下手だね」
「そんなことはないさ。ごめんね、俺も早く説明するべきだった。怪我、診せてもらっていいかい」
「うん」
俺たちは焚火の灯りに近づいて、傷の手当てをした。指に包帯を巻き終えると、ミユゥは「ありがとう」と笑ってくれた。
薪の残りに燻っていた熱が消える頃。
俺は結界に動きを感知して目を覚ました。
森の木々の天蓋から覗く月光が高い。かなり夜も深まった時間だろうか。
「……ミユゥ?」
小声で呼びかける。さっきと同じ木にもたれかかって、毛布を被って眠ったはずの彼女の姿が無い。俺は杖を持って、足音を忍ばせ探知場所に向かった。
結界は、通過する者の動きを感知するものだ。魔物除けも併用しているし、動物か、もしくはミユゥが出ただけならそれでいい。
ただ、彼女の身には個人的な心配を抱えている。蘇生魔法による予期せぬ副作用である。
空高く飛んでいってしまうかもしれない。体に不調があるかもしれない。それこそ──寿命が唐突に尽きてしまうかもしれない。前例のない蘇生魔法が、果たしてどの程度寿命を取り戻してくれるものなのか。どこかで倒れ、息絶えている彼女の姿を想像から振り払って、俺は暗い森を進む。
結界の『線』の外に出る。ここを何かが通ったのは確かだが、その存在は自力で見つけなくてはならない。幸いにも、すぐに正体は判明した。
横の茂みから、目にも止まらぬ速さで槍が突き出されてきたのだ。
「ほあああぁぁっ!!?」
俺はただ悲鳴を上げて迫りくる穂先を見つめるしかなかった。
「ごめん、牽制だから当ててないはずだけど……リキナだよね?」
鼻先で止まった刃から離れながら息を整える。
「よ……よくおわかりで……」
「リキナこそ、なんでここが?」
そう言う彼女の声には戸惑いの色が混じっている。
「ああ……結界魔法に誰かが通ったのを感知したから、確認しに来たんだ」
「結界魔法……そ、そんなのもあるんだ」
「それよりミユゥ、体調は平気かい?」
「う、うん、大丈夫だから、来なくていいよ」
「そっか。離れて待ってるよ」
槍から大股で二歩下がる。すると、槍はすすす、と茂みに引っ込んでいった。暗がりと葉に隠れて互いの姿は見えないのに、当てないように狙って槍を動かすというのもまた匠の技だなぁ。
ミユゥが茂みをかき分けて出てきた。俺を見るとふいと目を逸らす。
「戻っててよかったのに」
「暗くて危ないからね。あ、それより」
俺は杖を振って見せた。
「水魔法、使うかい? 手を洗うのにけっこう役立つんだ。ほら、これからは使うべき時は出し惜しみせずに……」
先程の反省を生かした提案だったはずだが、俺はどうやら今夜二度目の間違いを犯したらしい。というのも、ミユゥはしばらく考えるような間の後、闇夜でもわかるほどに顔を赤くしたからだ。
「……~っ! そういう、ことじゃ、ない!」
目も覚めるような張り手の音が、夜の森に響いていった。
「ごめんよ。そういうこともあると思って結界は広めに取ったんだけど、まさか外に出るとは」
「……掘り返さなくていい」
先を行く彼女は照れてはいるが、もう怒ってはいないと言った。俺の左頬に残った赤い掌の腫れはまだ消えないが、よもや治療魔法が使えるわけでもなし。
「それで、その結界魔法って?」
「敵に向けて放つ攻撃魔法に対して、空間に設置しておく索敵のためのものだね。昨日は出入りする生き物を感知するのと、魔物同士の縄張りだと誤認させるのの二種類を張ってた」
「そんなことまでできるの。……ねえ、一ついい?」
彼女は改まってこう口にした。
「私に魔法のことを教えてほしい。戦闘の連携にも関わるし、今後こういうことを防ぐためにも」
「そうだね、そうするよ……今後のために」
俺は返答に小声でそう付け足した。俺にとってはそっちも重要である。彼女の腕力で制裁を食らい続ければ、首が九十度後ろに回りかねない。そうなれば本当に治療魔法の出番である。
「見えてきたね。ソノトフだ」
歩く俺たちの視界に広がるのは、山麓に沿うように伸びる集落。緑と紫の絨毯が眩しい、酒と農園の町、ソノトフである。
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