ねむりとめざめの魔法たち

ジョニーせせらぎ

第1話 魔法使いと槍使い

 歴史に曰く、最初の勇者は熱心な魔法使いであったらしい。

 魔王を倒したのち、魔物たちの操る魔法を学問として体系化し、人間が使える技術に落とし込んだ。つまるところ、それまでは魔法は魔物だけのものであったわけで、最初の勇者は腕っぷしだけで魔王を滅ぼしてから、魔法の研究に乗り出したということになる。なので正確に言うならば、勇者は魔王を倒してから魔法使いになった。この前後関係は魔法史の試験でよくひっかけ問題として出されたが、そんな凝り性の性格の勇者様とやらは、きっと生まれた時から魔法使いの素質があった。

 魔法使いとは、そういうものである。


−−−−−−−−−−


 額を汗が伝う。喉がひりひりと乾いていく。

 眼前にそびえ立つ現実は死を実感させるに足るものであり、俺はどうしても信じたくなくて、もう一度確かめることにした。

 ……一枚、二枚、三枚、四枚、五枚。

 袋を逆さにしても裏返してみても、所持金がこれ以上増えることはなかった。

「これだけかぁ……」

 安宿の机に並んだ硬貨の前で頭を抱える。確かに先週は道具類を買い過ぎたような気はするし、その分類にかまけて仕事をおろそかにしていたけれども、それにしたって銀貨がたったの二枚とは。このままだと明後日には宿を追い出されてしまう。

 路頭に迷うというのも経験としては面白そうだったが、好奇心にばかり従ってもいられないのでとりあえず部屋を出る。受付のご婦人の無機質な視線が刺さる。懐が薄いことを見透かされているような心地である。

 メムーロの町は、その規模にしては活気づいている。

 南北を山に挟まれた平地に位置し、必然、安定した交通路を求める者たちで往来は賑わう。人が集まれば仕事が生まれるのも自明であり、冒険者たちに依頼を斡旋する組合も運営されている。冒険者組合の存在は、その土地の「治安」の一つの目安でもある。

 坂の上の宿から、川沿いをえっちらおっちら下ってゆく。

 正午を待つ坂道に差す陽光は暖かく、穏やかな気持ちになれる。これで組合施設まで距離が近ければなおいいのだが、安い宿屋を選んだので仕方がない。人通りは無く、子どもたちがおもちゃの剣で斬り合いなどして遊んでいて、はしゃぐような笑い声だけが路地に響いている。そんな光景を微笑ましく思いながら、その横を通り過ぎようとした時だった。

 かん、と軽い音がして、小さな木剣が一本、宙を舞ったのが見えた。遊びに力が入りすぎたのか、勢い余って弾き飛ばしてしまったらしい。少年たちの遊び場は運悪く用水路のそばであり、大人の背丈よりも深い溝渠へと、木剣は弧を描いて落ちていった。

 瞬間、川面が波打つような突風が巻き起こる。一時的に水流すらもせき止めるほどの風の塊は用水路の中から発生し、それは上昇気流となって軽い木剣を打ち上げる。おもちゃの剣はくるくると回って、子どもたちの足元の地面に落ちた。

 川に落としたはずの剣が戻ってきて、目を白黒させる少年たち。彼らを横目に、俺は冒険者組合に続く坂を下りて行った。


『草大鼠・ミミカリソの駆除 ・・・銀貨7枚』

『ポロムの群れの討伐 ・・・銀貨25枚』

『バソブファルの討伐 ・・・金貨1枚 銀貨43枚』

『腐敗魔僧ケナカンの発見・打倒 ・・・金貨3枚』

 大掲示板に敷き詰められた文字の前で腕を組む。俺が手に取るべきは一枚目の依頼書であることはわかりきっている。これなら五日は滞在期間を伸ばせるだろうが、路銀を稼ぐにはまるで足りない。かといって、せいぜいすばしっこく動き回る程度のミミカリソならともかく、魔物の群れだったり、高度な魔法を操る老獪な魔物を俺一人で相手取ることを考えると、不安が大きい。

「やっぱり、一人でやるのは無理があるな……」

 こうしている間にも、四、五人で連れ立った冒険者たちの手が伸びて、より高難易度・高報酬の依頼書を掲示板からちぎっていく。

 メムーロの冒険者組合は、町の中心部の広場に陣取っている。

 組合として管理しているのは、魔物の討伐といった依頼書を貼り出す大掲示板と、依頼を受けた冒険者との手続きを受理する受付所くらいではあるが、ここが町の中で最も賑わっている区域だ。冒険者を相手に料理や酒を売る屋台やら商人やらが集結して、ちょっとした市場兼酒場といった盛況ぶり。そこらじゅうに設置された座席では、武骨で荒くれの冒険者どもが、依頼前の景気づけとばかりに昼間から酒盛りをしている。

 彼らは大抵仲間連れである。当然といえば当然で、旅をするにしても魔物狩りをするにしても、誰かと協力したほうが安全で確実だからだ。冒険者組合としても、複数人での依頼の遂行を奨励している。難度の高い依頼に、分け前として減る分を補って余りある報酬額が設定されているのもそうした理由だ。

 ひとり者の俺はここしばらく金貨の姿を目にしておらず、ただただその輝きが恋しい。いつまでも迷ってはいられない、と掲示板に手を伸ばしかけたところで、なんとなく横を見た。

 そこには、俺と同じく難しい顔をして掲示板とにらめっこをしている冒険者の姿があった。少し癖のある黒髪を襟足の辺りで無造作に切り揃えていて、背丈は俺とそう変わらない。身体の主要部を守る毛皮の鎧は、その焦げ茶色の毛の密度の濃さから、装飾というより実用の向きを感じる。使い込んだ木製の柄に金属の穂先を備えた、簡素な槍を背負っていた。

 視線を感じたのか、彼女の顔がこちらに向いて、ぱちりと目が合った。

 目が合ったので、礼儀として会釈する。彼女は俺の全身を一瞥すると、なぜか「ああ」となにか得心がいったような呟きを漏らした。

 その静かな雰囲気に感じるものがあって、つい声を掛けてみた。

「あの、もしよければ、一緒にやりませんか」

 槍使いの体がこちらに向く。

「あなたも一人なんですか」

 低めだが、耳に残る声だった。

「報酬のいい依頼って複数人向けのが多くて……」

 散財は自業自得とはいえ、町に居ながら野宿の憂き目に遭いそうな未来を考えると、なりふり構ってはいられない。

 二重の瞼に半ば隠れた彼女の黒い眼は、少しだけ思案するように動いた後に、俺を見据えた。

「うん、やろう。私も助かる」

 承諾への感謝に、俺は笑顔で手を差し出した。

「よろしくね。俺はリキナ」

 俺の顔と手を見比べた後に、それが握手の動作だと理解したのか、彼女はわずかに微笑んで握り返してくれた。

「ミユゥ。戦いは得意だから、まかせて」


 ミユゥは冒険者になりたてらしかった。なんと、メムーロに来て組合に登録をしたばかりだという。

「北の山間にある村の生まれ。初めて外に出たから、登録とかにもちょっと手間取って。読めはするけど、難しい字がまだいくつかあってさ」

 依頼の場所へ向かう道中、そんなことを彼女は話す。俺は北にそびえる高峰を見上げ、

「山って、あの?」

 万年吹雪に覆われた極寒の山である。超えた人間はいないとされる絶壁であり、王国の調査も遅々として進まない未踏の地域である。彼女の鎧に冬毛の獣皮が使われているのも頷ける。

「うん。だから狩りには慣れてる。魔物も多かったし」

「それは心強い」

「リキナの出身は?」

「俺はここからもう少し西のほうかな。山ほどじゃないけど、まあ殺伐としたところさ。……着いた。早速いるね」

 依頼書にあった、魔物の出現場所に到着した。町はずれにある林で、木々の隙間から差し込む木洩れ日が、水っぽい「それ」の頭に反射してちらりと光った。

 人型であるが、その輪郭は曖昧。薄青色の体は半透明で、向こうの景色がぼんやり透けて見える。絶えず流動するその中身も当然見えており、ぽこぽこと泡のようなものが浮かんでは消える。泡に混じって、大粒の葡萄のような濃い青色の球体が一粒、それぞれの頭部か胴体に宿っていた。目などの人らしい感覚器官はない。世界的に出没する魔物、ポロムである。

「四匹か。群れの本隊からは外れた集団かな」

 声を落としたミユゥが、背負った槍を右手に軽く携える。俺も腰から短剣を抜くと、順手に構えた。

 協力者がいるというだけで、安心感が段違いだ。俺が慎重に魔物の集団を指差し、

「一匹ずつやろうか。まずは手前のから……」

 と言い終わらないうちに、

「わかった。あとの三匹は引き受ける」

「うん……え、ちょっと?」

横にいたはずのミユゥの姿が消えていた。前方にその背中が見えたことから、魔物の群れに駆け出していったことを遅れて理解する。

 しなやかな風のようだった。空気の振動を感知して、手前のポロムが俺たちを認識した頃には、既に彼女はその横を通り抜けていた。ポロムの動きは緩慢だが、その達人の前では殊更に遅い。

 穂先が煌めく。胸の辺りに青色の核を備えた一匹目の胴に槍が刺し込まれる。爆ぜるような音と共に抉り斬ったような大穴が空いて、核が潰される。

 まとわりつくポロムの体組織から難なく槍を引き抜くと、二匹目の正面に対峙。左下から斬り上げ、首にあった核をその頸部ごと両断した。

 首が地面に落ちるより迅く、三匹目の足元にミユゥは潜っていた。その黒髪を掴もうと腕を伸ばすも、魔物にそのような猶予が与えられるはずもない。槍が両脚を薙ぎ、支えを失った人型が前のめりに体勢を崩す。核のある柔い頭部を、切っ先は狙い過たず刺し貫いた。

 ふ、とミユゥは息をつくと、穂先を払いながら俺を振り返った。瞬く間に魔物を仕留めて見せた偉業を誇るでもなく、淡々とした表情で残りの一匹に目をやる。ただ呆気に取られて目を奪われていた間抜けな俺は、慌てて言う。

「あ、ああ待って、俺もやるよ」

 しかしながら、彼女のような達人技が披露できるわけでもなく。ポロムが伸ばしてくる手をばしばしと地道に斬り崩していき、隙が出来た胴の核を斜めに薙ぎ払って倒した。

 核を失ったポロムが液状に溶けていく。ミユゥが仕留めた三匹は既に地面の染みとなって辺りを濡らしており、その間に立つ彼女に近づいていった。

「お疲れ。討伐依頼ではもっと大規模な群れの目撃情報があったから、それも見つけて倒そう」

「……ん。わかった」

「今度は俺が先行するよ。ついてきて」

「……」

 彼女は曖昧に頷くと、林の中で先を歩く俺に黙々とついて歩いた。

 狩りに慣れているという言葉は伊達ではなかったが、それ以外では寡黙な人なのかもしれないな、などと暢気に考えていた俺の背中に、声が掛かる。

「ねえ。魔法は使わないの?」

 足を止めた。

「……魔法? どうして?」

「だってあなた、魔法使いでしょ」

 おそるおそる振り返る。隠し事は良くないと言われて育った。どうあっても隠し通すというつもりもなかったが、教えなかったのだから騙していたも同然である。ところがミユゥは特に責めるでもなくこう続ける。

「子どものおもちゃを取ってあげてた」

「見られてたのか……」

 苦笑いが漏れた。

 宿から広場に向かう途中、川のそばで遊ぶ子どもたちの様子を危なっかしいなと思っていたら、案の定剣のおもちゃを落としたものだから、つい風魔法で浮かせてしまった。悪事を働いたわけでもないのにばつが悪い。

「どうして言わなかったの?」

「どうして、って……。冒険者に魔法使いが少ないことは知ってるだろう?」

 そう。魔法使いという存在は別に希少でもないし、魔法そのものは町に住む主婦でも一つ二つは使うことができるだろう。ところが、『魔法使いの冒険者』となると、これが一気に珍奇なものとなる。理由はいくつもあるが、「そんなことをしなくても生きていける」というのが主なところだろう。

「だから……変に思われると思った」

 奇異の目で見られることは自覚している。故郷を出る時、同行者を探すこともできなかったし、出立してからこっち、ずっと話し相手もできないまま今に至る。生活に窮して今さら協力者を作ったと思えば、早々に嘘つきを見抜かれてしまうとは。

 信頼されなくても仕方がない。腹を決めて謝罪しようとミユゥを見ると、先ほどから変わらずの無表情が近くにあった。というより、さっきから距離以外なにも変化がない。ちょっと迫力を感じて思わずたじろぐ。

「え、その」

「使えるものは使うべき」

 相変わらずの朴訥ぶりだが、力強い言葉だった。

「私は魔法についてもよく知らない。できるのはせいぜい、体を使うことだけ」

 ミユゥは俺を追い越して歩いていく。立ち止まり見下ろした先にはちょっとした窪地があり、先ほどの倍以上の数のポロムが群れを成して蠢いていた。

「私は私のできることであなたを手伝うから」

 そして、ほとんど跳び下りるような勢いで窪地のただ中へと跳躍しながら、

「あなたの得意なことで、私を助けて」

 言いながら槍を振りかぶり、魔物の胴体に着地すると同時に切っ先をその頭に突き刺した。

 敵対者に気づいたポロムの群れが、一斉に彼女に向かって動く。倒したポロムの体が崩れるより前にその肩を蹴り、ミユゥは次なる標的へ向かっていく。

「手伝う。助ける、か」

 笑みがこぼれる。自分を偽り誤魔化してきた気まずさから来る苦笑いではなく、気が緩んでつい笑ってしまったようだった。

「いいね。前向きになれるいい呪文だ」

 今度は剣ではなく、慣れ親しんだ杖を握った。


 傾斜のきつい坂を滑るようにして降りていく。

 ミユゥは俺の姿を認めると、敵から視線は外さぬまま後退してきた。何匹かは既に倒しているようだが、軟体の魔物たちはいまだ其処此処に蠢いて迫ってくる。

「左側をお願いしていい? それと、なるべく俺の前に出ないようにね」

 端的に伝えると、ミユゥは頷きだけで返して再び敵前に踊り出た。

 のろりと木々の隙間から顔を出してくるポロムに突きが繰り出される。林の中では槍を振り回しにくいと判断したのか、刺突を主体に戦っているようだ。

 さて、俺も貢献しなくては。

 杖を構える。肩幅ほどの長さの、飾りのない木の棒である。持ち手から先端まで直径の等しい円柱形で、棍棒にするには短く、指示棒にするには足りない。

 杖はただ、魔法に指向性を持たせるための物。

 魔法の源泉は使い手の魔力であり、魔力は使い手の詠唱で形となる。俺はただ世界への「許可」となる、その言葉を紡ぐ。

「〈サジタ・グラシズ〉」

 杖の先の中空に冷気が収束する。空気の軋む音の直後、円錐状の氷の刃が浮かび上がる。

 予備動作も動力も要らない。鋭く尖った氷の矢は、その魔法の規則に従って敵へと射出されていった。

 俺の正面のポロムの、右胸に宿る核が消失する。凶刃は魔物の胴を貫いて飛翔していき、背後の木の幹に突き立った。

 この場にいる生物たちの視線が集まったような気がした。ポロムには目も耳も鼻もないので、正確には注意を引いたというところだろうか。それでも、魔物の対処に専念していたミユゥの視線までもがこちらに向いたのは確かだった。人前でおおっぴらに魔法を使うのは久方ぶりで、ちょっと面映ゆい。

 照れる俺に向けて、魔物どもが殺到する。迂闊にも木々の守りを抜け、遮る物のない射程内へと、五匹。

「だめだよ、ちゃんと隠れなきゃ──〈サジタ・グラシズ・クインクエ〉!」

 氷の刃が出来上がる。横並びに五本。その姿は差し伸べられた手の如く。五指は同時に放たれて、ポロムの無防備な核をそれぞれに貫いていった。

「リキナ、一匹逃げる!」

 ミユゥが叫ぶ。鈍足ながら、林の奥へと離脱をはかるポロムが見える。彼女はまだ応戦中で動けそうにない。

「任せて!」

 杖を掲げ、魔物の背に照準を合わせる。当たりはするが、この距離だと核を射抜ける自信はない。ならば、

「〈サジタ・フリグス〉」

 空色の光体が杖の先に集まる。射出されたそれは瞬くような速度で木の間をすり抜け、対象の右脚に着弾した。当然、核には当たっていないが、これで十分だ。

 敗走する魔物の足が止まる。魔法の当たった部位から徐々に、その粘着質な体の下半身までが氷漬けになる。

「とどめを頼んでいいかい?」

 返答に代えて、一つの影が疾走する。狩人も心得たもので、自身の割り当てを片付けるや否や、最後の一匹へと既に距離を詰めていた。


「や、お疲れ」

 群れはこれで全てのようだった。ミユゥの元まで歩いて行って労いの声を掛ける。彼女は凍った二本の足だけを残して消えゆくポロムをじっと見つめていて、おもむろにこう言った。

「魔法の戦い……初めて見た。すごいね」

「ありがとう。ミユゥの槍裁きには及ばないさ」

 ミユゥは微かに笑った。大げさでないからわかりにくいだけで、意外と素直な感情を表す人なのかもしれない。

「メムーロにはどれくらい居るの?」

「しばらくは留まるかな。次の町に行くにも準備が足りないし……」

 もう少しここで薬剤を買い揃えておきたい。未踏の荒野に医者がいるはずもなく、長距離移動が生活の大部分である冒険者にとって、傷病治療の道具は必要不可欠だ。加えて、魔法にも多くの薬品を使うのである。資金はいくらあっても足りない。

 すると彼女は俺に、こんな提案をした。

「じゃあ、その間は組もうよ。冒険者になったばかりだから、色々教えてくれると嬉しい」

 願ってもないお誘いだった。俺も笑顔を浮かべる。

「助かるよ。俺も心置きなく魔法が使える」

 かくして、魔法使いと槍使いは手を組んで、いくつかの依頼をこなすこととなる。

 ミユゥは戦闘力と判断能力に長けた、優秀な冒険者だった。なりたてだと自称しているが、おそらく長い鍛錬を積んできたのだろう。彼女は必要以上に喋るたちではなかったが、振る舞いや言葉の端々からそんな生活のにおいを感じ取った。

 二人で依頼を受け、協力して魔物を倒し、町に戻る。ただそれだけの明快な間柄だが、上手くやれていたと思う。


 それゆえに。きっと俺は、彼女に関わるべきではなかったのだ。


「魔法で空を飛ぶことってできるの?」

「え。できないよ?」

 あっさりと返しすぎたせいか、「そう……」と、ミユゥの顔色が少し曇ったのが見えた。残念がっているらしい。

「ああごめん、いや、気持ちはわかるけどね?」

 メムーロ南方の岩石地帯。草木の一本も生えないごつごつした岩場は、歩くにはとても苦労する。周辺の安全確保が今日の仕事だが、依頼の場所まではもう少しかかる。ふわふわと飛んでいけたら楽だな、などと考えるのは自然なことである。

「工夫次第ではできなくもないけど、『飛ぶ』となると該当する呪文がないんだ。空中での制御が難しいからかな」

 魔法は、基本的に攻撃するものが使いやすく、それが自然現象に近いほど習得しやすい。人間への攻撃を生存本能とする魔物が、かつては魔法の唯一の担い手だったことを考えれば、人間にとって利便性の高い魔法が少ないことにも頷ける。万能ではないのである。

「なんでもできるわけじゃないんだ」

 ミユゥもそう呟いた。魔法に馴染みのない人からすると、どんなことでも魔法で叶えられるようにも見えるのかもしれない。

 ふと、ミユゥの足が止まった。

「ん? どうかした?」

 彼女は人差し指を口の前に当てた。「……なにかの声がした」

 耳を澄ませる。荒野を飛ぶ風の音に混じって、確かに誰かが叫ぶような声が俺にも聞こえた。

「──……れか、助けてっ、誰かー!……」

 目配せするが早いか、俺たちは声のするほうへ走り出した。しばらくも行かないうちに、岩場にうずくまる人影を発見する。

 ぼろぼろの男の人だった。片目は打撲で腫れ、腹を守っていた皮鎧には横一文字に斬撃痕が走っている。その傷は浅いようだが、全身にも細かな切り傷がつけられていて、その血みどろの見た目は凄惨の一言に尽きる。

「大丈夫ですか!」

 彼の前に屈みこむと、涙と血で顔を濡らしながらその人は俺の肩を揺さぶった。

「たす、助けてくれ、洞窟を少し調べに来ただけなんだ! あ、あんなのが出てっ、逃げられなくて……!」

「落ち着いて。ゆっくり息をしてください」

 諭すように言いながら、俺は彼の腹部の傷に手を掲げた。

「〈コンクレトス・サングイス〉」

 傷口から覗く肉が、赤く輝き始める。止血の魔法が彼の皮膚の下に働きかけ、流れ出る血を止めた。

「あ、あんた……魔法が使えるのか」

「傷そのものは残っています、なるべく安静に。なにがあったんですか」

 若い男は怯えを取り戻したかのように後方を指差した。山の岩肌には、馬車も通れそうなほどの横穴が開いている。

「中に仲間が残ってるんだ! 魔物に襲われて、『助けを呼べ』って俺だけ逃がしてくれた。頼む、このままだとみんなが……!」

 洞窟には魔物の集団が棲みつきやすい。その分だけ価値ある宝物であったり、歴史的意義のある遺跡などが残っていたりする。同じ冒険者として、彼らの行動は当然に理解できる。

 しかし、運悪く強力すぎる魔物に遭遇してしまったら。どれだけの準備も、それまでの鍛錬も、嘲笑うようにあっけなく打ち破る邪悪な魔物が居たとすれば。

「……あなたはここで待っていて。狼煙を上げておきますから、他の冒険者が来たら手当てを受けてください」

 相手の実力もわからないので、増援も欲しいところだったが、そんな猶予はないだろう。

「〈コルムナ・フーモ〉」

 火元のない地面から、白い煙が昇り始める。狼煙を上げ終えると、俺は洞窟の奥を見据えるミユゥの隣に並び立った。

 ぽっかりと空いた闇の中から、人間の声と、時折地響きのような振動が這い出てくる。

「感じたことのない気配がする」

 狩りの心得のあるミユゥの勘は鋭い。そうこぼした彼女に、俺は一応訊いてみる。

「ここに残るかい?」

 ミユゥはこちらを見ることもなく答えた。

「行くに決まってる」


 洞窟の中はありがたいことに明るかった。直線路で外の光が差し込んできているようだ。それでも進むごとに視界は狭まっていき、金属が擦れ合う音で、戦闘の場が近づいてくるのを感じた。

「〈ルクス・カンデラブルム〉」

 小声でささやき、杖で洞窟の壁を叩く。現れた白色の光は、ぽんぽんと元気よく壁を跳ねて前方へ走って行く。光の玉が触れた壁には、まるで足跡が残るように光が灯っていた。暗所を照らす燭台の魔法である。

 光を辿って洞窟を進む。やがてひらけた場所に出て、照らし出された光景に俺は目を疑った。

「な────」

 空洞内をうねる銀色の躰。大木ほどの太さのある胴体を持つ『それ』は、その全長も天を突く木のようだ。その威容からは想像もできないほどの速度でしなやかに這い、冒険者に襲い掛かっては武器と競り合って火花を散らしている。

「『嘴大蛇』……『ガロテグラ』! 地上に出ないから目撃例のほとんどない魔物なのに……なんでこんなところに!」

 王国暦以前から生息するとされる伝説級の魔物。文献でもほとんどおとぎ話のような扱いだが、確かな脅威として実在したことが明言されている。

「リキナ! 怪我人を!」

 ミユゥの声ではっとする。見上げるほどの大蛇に圧倒され、足がすくんでいた。

 洞窟内を観察する。幸いにもガロテグラは入り口ではなく奥側に陣取っている。空間の中心では、両手斧を持った冒険者が果敢にも巨体に斬りかかり、その度に銀の鱗に弾かれている。その背中に守られるように、二人の女性が座り込んでいた。

 駆け寄って、息を呑む。片方の女性も傷だらけだが、彼女が泣きながら支えるようにして抱いている人の、左肘から先が欠けていた。

「いや……いや……血が、止まらな……」

 丸めた布があてがわれているものの、既に真っ赤な汁が滴る濡れ雑巾となっていた。本人は気を失い、介抱している女性も俺を見て、ただ震えるように首を振るばかりである。

 落ち着け、落ち着け。ここで俺が取り乱してどうする。襟元の服を握りしめ、しかしもう一方の手はしっかりと杖を握り直す。怪我人に息はある。つまりまだ回復させられる。怯えるその人に、無理やりにでも笑顔を作って見せた。

「大丈夫、俺が治します! ……ミユゥ!」

「わかってる! 時間を稼ぐ!」

 即座に返事が飛んで来た。ミユゥは斧使いをかばいながら、大蛇の注意を引くように立ち回っている。頼もしいことこの上ない。

 俺は俺自身のやるべきことを。

 目の前の女性に目を戻す。ここで腕ごと失った血を再生させなければ、この人は失血死してしまう。まずは骨の再生からだ。

 最速で、しかし正確に終わらせてみせる。俺は一節の間違いもないよう、全神経を集中して呪文を唱え始めた。


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 魔法使いが治療に専念するための、地獄のような刹那。

 槍使いは暗闇を舞うように大蛇に挑みかかっていた。

「ふっ──!」

 伸びきった横腹に突きを食らわせる。銀色の鱗は輝く鎧のようで、少しの傷もつかない。負傷者の仲間であろう体格のいい男が斬りかかるも、滑らかに動く蛇の表面をがりがりと削るばかりで、怯む様子すら見られない。

 槍よりはるかに重量のある斧ですら通らないのなら、太刀打ちできる道理はない。

 そんなふうに整理をつける諦めの良さを、女は持ち合わせていなかった。

 体表に通らないのなら関節を。関節が無ければ粘膜を。獲物に合わせて臨機応変に狙う場所を変えるのは、狩りの基本である。

 ガロテグラがその大きな首をもたげ、鼻先を差し向けてくる。正しくは、嘴大蛇の名の通り、口元を覆う鋭い嘴だった。

 烏を思わせるその嘴が鈍く光ったかと思うと、大蛇の頭が突進を仕掛けてきた。

「避けろ!」男が叫ぶ。忠告よりも前に槍使いの体は反応しており、嘴が貫こうとする瞬間、足捌きで横に回避した。

 のみならず、すれ違いざまに大蛇の横っ面に槍を突き込む。硬く跳ね返される手応え。たたらを踏むミユゥの横を、銀鱗にみっしり覆われた蛇が滑っていく。触れるだけでその鱗で切り刻まれてしまいそうだ。

「あの嘴、鉄より固い」

そう呟くと、息を荒くした斧使いも同意した。

「俺の仲間もあれにやられた。逃げようにも一本道で追いつかれたら全滅だ」

 ましてや、負傷者を抱えてでは逃走は無謀に過ぎる。治療の成功を待たなければ。

 ミユゥは敵を指し示すように槍を高く構えた。

「やれることはある。どんなに体が固くても目は潰せるし、鼻の穴に槍を突っ込めば動きを止められる」

「そう上手くいくのかよ……」

 人智を超えた巨獣を前に、憔悴した男がぼやく。

「なにもやらずに死ぬよりまし」

 背後の魔法使いに注意が向く前に、女は再び敵へと踏み出した。


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 額を汗が伝う。喉がひりひりと乾いていく。

 極度の集中のなか、魔力が熱を持っているのがわかる。女性の左手の上にかざした掌が茹だるように熱い。

 ここまでひどい怪我人を回復させるのは初めてだったが、完治させるに足るだけの呪文を俺は知っていた。失った骨、神経、肉、血管、血液。そして今、皮膚が手首から形成されていき、中指の先まで覆い尽くした。

「……よし!」

 回復魔法が完了したのを確認すると、俺はすぐさまガロテグラの相手をするミユゥたちに目を向けた。男の人は疲れで動きが鈍くなってはいるが、全員無事である。

「あぁ、リィナ……リィナ!」

 腕が元通りになったのを見て、一層涙を溢して女性は仲間に呼びかける。

「あ……れ……手、ある……?」

 怪我人は目を覚ましたが、まだ意識は明瞭ではないようだ。虚ろな目で自身の左手を見つめている。

「脱出しよう! こっちへ!」

 俺が叫ぶと、二人はすぐさま踵を返して走ってくる。男性に大きな怪我がないことを見て取ると、彼の肩を叩いた。

「あなたはこの人を担いで!」

 ミユゥは、涙を流して仲間を抱えていた女性を立ち上がらせて言う。

「走って、早く!」

 彼らは無言でこくこくと頷くと、言われた通りに洞窟の通路へ走り出した。後方を振り返ると、その腹で洞窟の底を削りながら大蛇が迫って来ている。

「〈ムルス・グラシズ〉!」

 俺たちとガロテグラの間に、氷の壁が立ち上がる。通路を隙間なく埋めた障害物はそれなりに厚みがあるはずだが、断続的な轟音が洞窟ごと氷壁を揺らし、今にも破られるのではないかと恐ろしくなる。

 外の光が届いている。出口は見える所まで迫っていた。先行した彼らは既に外に出られているようだ。今のうちに俺も、と足を速めたところで、出口で俺たちを待つ冒険者たちが上昇した。

「え」

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 彼らが上昇したのではない。俺が、俺のいる足元の岩盤が傾いたのだ。俺が落ちているから、彼らが上がったように見えた。なんて単純な原理。

 通路の底が崩れている。頭の上からも石が降ってくる。誰かがなにかを叫んでいるが、地響きで聞こえない。

 大蛇が暴れたせいか、それとも故意に起こしたことか、洞窟は崩落を始めていた。

 足場が無くなる。浮遊感に支配される。それが長い落下なのだと頭が理解したその時、俺よりも少し先に落ちていくミユゥの姿が視界に入った。

「っ……! 〈コルムナ・ヴェントス……フォルティテル〉!」

 無我夢中の魔法は、彼女の落下軌道に向けて放った。直後、突風の柱が吹き上げ、彼女を抱き上げるように落下の衝撃から守る。

 よかった。上手くいった。






 顔に小石が当たって、むず痒くて目が覚めた。

 正面にちらちらと明かりが見える。仰向けになっているから、あれは真上から降りてくる光だろう。おおかた、崩落の穴から地上の光が漏れているといったところか。自分の頭が正常に動いていることに安心して、上半身を起こした。

 さっきいたところよりも大きな空洞だった。まるで城の広間のようだ。縦にも横にも広く、ガロテグラが真っ直ぐに伸びきってもあの天井に届くかどうか。

「……そうだ。ガロテグラ、は……」

 身をよじって辺りを見回したその時、体を支えていた右手にぴちゃりと液体が触れた。

 洞窟なのだから湿っているのだろう。そうに違いない。そうであってくれ。俺は首を向けて、「その水」が流れてくる源に視線を移した。

 ミユゥの体は、腰をひねるような不自然な寝相で横たわっていた。

「あぁ…………」

 立ち上がる。走る。走れない。右脛の上に岩が乗っていて、自分の肉と骨を潰していることに今気づいた。そんなことはどうでもいい。左足で邪魔な岩を蹴飛ばすと、動く四肢の残りを使って彼女の元へ這っていく。彼女から流れ出る赤い川が俺の腹から膝までの服を濡らしていく。水音を立てながら近づいていく。

 ミユゥは眠るように瞑目していた。体中に細かな切創があり、きっととても痛むだろう。

 そして腹と胸に、背まで達していそうな、大穴が二つ空いていた。

「そんな……」

 どうして。

 俺たちを囲うように螺旋を描いて動かない大蛇の死体。その嘴の隙間から彼女の槍の柄がのぞいている。

 どうして。

 俺には大蛇についばまれたような跡はない。誰かが守るように動いていたのだろう。

「どうして……!」

 喉から声が漏れだす。それが震えているのは、怒りなのか悲しさなのかもわからない。

「……どうして、逃げなかったんだっ……!」

 気絶していた俺をかばって、ミユゥが一人でガロテグラと戦ったことは明白だった。そしてその嘴に貫かれながらも、大蛇の脳を口内から槍で突き、見事に仕留めてみせたことも。

 冒険者は大抵仲間連れである。しかしそれは自分の生存確率を上げるという個々人の利からなるもので、仲間のために命を捨てる愚を犯す者はいない。洞窟の外で助けを呼んでいた彼でさえ、仲間のために魔物の巣へ戻ってくるということはしなかった。

 それでも、ミユゥは俺を守った。何度か一緒に仕事をして、秘密を守ってくれて、その時間は楽しくて、どうしようもなく会ったばかりの人間であるはずの俺の命を救ってくれて、俺は彼女を死なせてしまった。

 私は私のできることであなたを手伝うから──

 君はそう言ったはずだ。できることだけでいい。手伝うだけでよかったんだ。命を落としてまで戦う理由なんて、無かったはずなのに。

 動かなくなった彼女の肩に触れる。無力感に吐き気を催す。俺にできるなんて、なにもない。生命活動の止まってしまった人間は、もう治すことができない。誰でもいいから助けてくれと喚き散らしたい気分だった。

 ──あなたの得意なことで、私を助けて。

 ミユゥは、こんな言葉を俺に贈った。魔法使いとして振る舞うことへの激励。

 ああ、そうだ。俺の得意な事なんて魔法しかないだろう。助けられるのは俺しかいないだろ。

「……やってやる……」

 軋む体に鞭打って、彼女の亡骸に手をかざす。魔力は十分。なんでもいい、思いつく方法を手当たり次第に試せ。学んできたことを思い出せ。

 どんな魔法を使っても、彼女を蘇らせてみせる。


「や、おはよう。目が覚めた?」

 目を開いたミユゥに、俺は努めて明るく声を掛けた。

「ん……」

 寝起きのように目をこすって伸びをして、彼女はしばらくぼんやりしていた。自身の体を見下ろして、穴の開いた鎧から見える素肌をぺたぺた触っている。

「あれ、私……」

「治療はしておいたよ。ひどい怪我だったからしばらく休んでてもいいけど」

 先んじてそれらしい説明を立てておく。違和感を抱かせてはならない。

 俺はちょっと離れた所で、背嚢から散らばった荷物を集めていた。目を見ながら嘘をつき通せる自信がないからだ。

「そうなんだ……ありがとう」

 ミユゥはまだ眠いのか、普段の静かな声とは少し違う柔らかな雰囲気で言った。それともこれも副作用だろうか?

 蘇生は、成功した。これ以上ないほど完璧に彼女の体は治り、その心臓が動き始めた。

 しかしどうしてうまくいったのか、俺にもわからなかった。思いつく限りの呪文を唱え、学生時代の走り書きさえ引っ張り出して、あらゆる手段を試した。そのうちのどれかが彼女を生き返らせたのだ。それがなんだったのかわからないほど必死だった。

「ありえない」

 ミユゥの言葉にどきりとした。

「あ、ありえないって……なにが?」

「死んだと思ってた。もう駄目だと思ったのに治せるなんて、魔法はすごいね」

「そ、そうだね」

 そう、ありえない。

 

 どんな文献にもその成功例は記録されていない。発動しない魔法は無いのと同義だ。多くの学者たちがその発掘に挑んだのだろうが、成し遂げた者はいない。一説には、その危険性から禁呪として封印されたのではないか、ともされている。

 だが、ここで成功してしまった。禁じられているとすらされる蘇生魔法が、ここで行われたのだ。どのような原理なのか、どんな副作用があるのかもわかっていないというのに。

 ミユゥの死を前に取り乱していたが、いざ成功してしまうと悪い予感がしてくる。蘇らせるといってもどの程度の精度なのだろうか。期限付きだったりしたり、もしかしたらある日突然爆発してしまったりとかしないだろうか。

「リキナ」

「ああ、すぐに上がる準備をするから。大丈夫、魔法で足場を作るとかすれば……」

「リキナ、あの……」

 彼女らしからぬ不安げな声でためらう気配がする。なにかあったのだろうか。

「私、浮いてる」

 首の筋を痛めるんじゃないかと思うほどの勢いで振り向いた。

 そこには、ちょっと困ったように眉を寄せるミユゥの姿があった。その足は少しずつ地面から離れており、なんの支えも無しにふわふわと浮き上がっていく。

「うわ──────っ!!!」

 ガロテグラに遭遇した時にも出なかった大声が飛び出した。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待って!」

 俺は慌てて荷物をまとめて彼女の腕を掴む。抑えていないと飛んでいってしまう。

 ふ、副作用、副作用なのか⁉ でもこんな形で、いきなりだなんて!

「あれ、リキナも飛んでるよ」

 そう言われて恐る恐る足元を見る。俺の靴も洞窟の底から離れていっていた。浮いてるというよりかは、浮かんでいくミユゥに引っ張られているような……もうなにがなんだかわからない。

「魔法では空は飛べないって言ってたけど……」

「ち、治療する時に魔法をかけすぎたのかなっ? 効果が混ざっちゃったのかも、あは、あはは……」

 俺のは苦し紛れの作り笑いだったのに、釣られたようにミユゥは破顔した。

「ふふ」

「? どうしたの?」

「ごめん、おかしくって……。ついこのまえ家を出たと思ったら、こんな不思議なことになってる。世界は広いね」

「……そうだね」

 それからしばらく、無言でゆっくり浮き上がっていく。互いに右腕の肘辺りを掴んで、確かに変な格好だ。

「ねえ。このまま上まで上がれそうじゃない?」

「逆に、洞窟を出た後に飛んでいかない方法も考えないとね」

 崩落した穴が近づいてくる。地上から差す光も強くなってくる。俺は言った。

「ミユゥ。メムーロを出てからも、俺と一緒に行かないかい?」

 どんな魔法をかけてしまったのかもわからないまま放ってはおけない。なにも起こらないよう見守らないといけないし、問題が起こればそれを解明しなければ。

「うん、そうだね。私も考えてた。改めて、よろしくね」

 そう答えた彼女の顔は、光が反射して眩しかった。こんな顔でも笑うんだ、なんて、緊張感のない感想が浮かんでくる。

 もっと一緒に旅をしたいという気持ちも、本心ではあるのだし。

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