剣の頂

 

 より一層静けさを増した森の中、剣聖の名を冠するプレリア・ファルフェナルテは悔しさにより強く歯噛みする。


(剣を狙ったとはいえ、必殺剣の一つ『夜に咲く花』を使用したにも関わらず完璧に避けられてしまった。あの足捌きは異常だ)


 プレリアは相手の機動力を封じなければ一矢報いることすら叶わないと確信して、次なる標的を足元へ定める。


「出し惜しみしている場合ではないな。武技アーツ、『天へ墜つ鳥』」


 プレリアが技名を宣言すると同時に黒く染まっていた剣は美しい白銀へと戻り、剣身から得体の知れない力の奔流のようなものが回転しながら噴出する。

 そのまま勢いを付けて大地に剣を突き立てた途端、彼女を中心として大地に蜘蛛の巣のような放射状の亀裂が広がり、地面の破片が勢いによって噴き上がる。


「ッ!?」


 変化はそれだけにとどまらない。

 少年は必死で地に足を縫い止めようとするも叶わず、ふわりと体が浮き上がってしまった。

 彼だけではなく周囲の地面や木すらも根こそぎ持ち上がり、天へ向かって堕ちて往く。


(体に重さを感じない!局所的な重力の遮断……!?)


 少年が手近な大地の破片を蹴り飛ばして距離を稼ごうとするも、周囲一帯の物まで重さが消えてしまっており、その場から離れるだけの推力を得られない。


「質量が無い物に力を加えるのがこんなに難しいなんて。だったら……」


 思案する少年に対して、剣聖の少女は静かにタイミングを計る。

 重力が無くなるのはプレリア自身も例外ではなく、剣を構えた姿勢で空中を静かに揺蕩たゆたっていた。

 流れに身を任せていた彼女は相手の位置が狙い通りの所へ来た途端、刮目して剣を振りかぶる。


「この技は斬りたいものだけを斬るものだから、君が怪我を負うことはない。武技、『神を喰む風』」


 宣言するやいなや聖剣デュランダルの周囲の景色が歪み、それが圧縮されて剣に纏わりついた。

 引き絞られた弓を放つかの如く、プレリアは振りかぶった状態の剣を渾身の力をもって解き放つ。

 鋭い斬撃に応じるように聖剣に纏わりついていた歪みが衝撃波と化して一直線で少年の元へと殺到する。

『神を喰む風』、剣の軌道の延長上にある目視可能な物体を対象とする斬りたいものだけを斬る秘技。

 歴代の剣聖の中にはこの技で海を割ったとされるほど超遠距離まで届く必殺剣が一つであり、辺り一帯が無重力状態の現在、スキル無しでこれを避けるのは不可能に近い。


「まあ、どうせ俺には剣を振ることこれしかないしな」


 少年の観念したともとれるような発言の後、ゆらりと愛剣を翻す。

 剣を構え、振りかぶり、剣を一閃。

 途轍もなく流麗に行われたこれらの所作は尋常ではない速度に達しており、重力が消えていなかったら自重により肉体におびただしい負担を掛けていただろう。

 その剣の軌跡は極めて美しい正円を描いており、尚且つあえて大きく空気抵抗を生むような角度を付けて振られることで空気の奔流を生み出す。

 円の動きによって作られた空気は必然的に渦のように流動し、一陣の突風を巻き起こした。

 重力を消されている少年はあえてそれを利用して、自らが巻き起こした風にる。


 少女の必殺剣の一つである『神を喰む風』が少年の正面から強大な圧迫感を伴って襲来する。

 少年は迫り来る脅威に対して、自らが生み出した蛇のようにとぐろをまく強風に身を任せ、弾かれたゴム毬のように急激な加速を行う。

『神を喰む風』によって発生した衝撃波を掠めそうな程紙一重ですれ違い、加速した勢いをそのままに少女の元へ肉薄する。

 剣聖の少女プレリアは目の前で起こった信じ難い光景に驚く。


「なっ!?『地に迫る月』ッ!」


 プレリアは咄嗟に武技の一つである『地に迫る月』を行使し、その姿が消え失せる。

 武技、『地に迫る月』は距離を斬る技。

 物体と物体の間にある距離をゼロにすることで物体を瞬間移動させることが可能だが、人体に使用すると肉体に多大な負担がかかるので使い所が難しい技だ。

 しかし、無重力状態の範囲内であれば負担を最小限に抑えられる為、重力を消失させる『天へ墜つ鳥』と組み合わせることにより最低限の負荷で使用を可能とした。


 剣聖の少女プレリアは遥か上空、1番高いところにあった木に背中を預け空から地面を見下ろしている。


(危なかった……!必殺剣を使った直後の硬直を突かれるとは)


 プレリアは『地に迫る月』で距離を取らなければ負けていただろうと考え、ため息を吐いた。


「あの男には持てる力の全てを出し切らねばなるまい。いくぞ──」



『夜に咲く花』

『天へ墜つ鳥』

『神を喰む風』

『地に迫る月』


 四大武技を重ね合わせた剣聖の奥義。


「『夜天神地・花鳥風月』」




 少年は突然少女が消えたので辺りを見回していた。

 重力が消えた空中にあるのは浮遊する木や大地の破片などがあるばかりで、少女がどこに行ってしまったのか皆目見当もつかない。


「どこ行っちゃったんだろう」


 そう呟いたところで、視界の端が歪む。

 即座に剣を振りかぶろうとするも、その手を止める。

 少年の視線の先には見覚えのある六つの大きな黒い花弁が開いていたからだ。


『夜に咲く花』によって生み出された空間破壊の黒い花弁は触れた物を徹底的に破壊してしまう。

 その破壊の象徴たる黒い花の向こう側に少女がいた。

 空間破壊の盾で身を守りながら聖剣を振りかぶる少女に少年は顔を険しくする。


(恐らくは『神を喰む風』とかいう遠距離攻撃技。逃げなきゃ、いや、逃げたらジリ貧。距離を取ったら勝ち目が無くなる。好機があるのは今この瞬間だけだ。やるしかない……!)


(どんな行動を取るにせよ、空間破壊の盾がある以上、少年はこの後風を生み出して移動するしかない。一度風に乗ってしまえば方向転換は容易ではない。そこを突く)


 互いの思考が高速で交錯し、剣を強く握りしめる。

 少年は覚悟の元剣を抜き放つ。

 少女は技の起こりを見逃さず、剣にありったけの力を込める。


「悪いが俺は斬れそうにない物を見ると切りたくなるタチでね」


 少年が狙うのは風を起こすことではない、黒い花の方だ。


 スキルは世界が技を補助する。

 つまり、世界の加護といえど剣の術理の延長に過ぎない。

 それが一を百にするものか、一を万にするものかはさておき、極めて困難であるが剣を極めればスキルが起こす事象と似た現象を引き起こすことも無くもない。

 何が起こったかというと。


 斬った、黒い花の花弁の一枚を。

 正確には空間破壊の黒い花に対し、空間自体を斬るという荒技。

 少年の研鑽を積み重ねた観察眼は『夜に咲く花』の空間切断を観察、学習、吸収、そして模倣した。

 腕に負荷が掛かりにくい無重力状態を利用した神速の一振りがほんの少しの空間切断を発生させ、最も弱い部分を見抜き、最高の効率で黒い花の花弁を切り払ったのだ。


 あまりに予想外の展開にプレリアは唖然としそうになるも、即座に思考を切り替える。

 6枚の花弁の内の1枚が欠けた。

 少年の技量ならば剣が届く距離。

 少女の思考の空白と少年の技を放った直後の硬直が噛み合い、両者が再び動き出したのは同時であった。


 距離が近すぎる。

 武技を使用する隙もない。


 剣聖の剣が天空を穿ち大地裂き大海を割るとしても意味がない。

 少年と少女の間に空も地も海もないのだから。

 あるのは剣と剣、人と人。


 互いに全身全霊の力をもって剣を振るう。

 両者の剣が閃めく。


「空間を斬る、良い勉強になった……」


 直後、少年の愛剣は砕け散った。

 空間を斬るという人知を超越した行為に耐えることが出来なかったのだ。



 そして、少女の手の中の聖剣デュランダルは真ん中から真っ二つに割れ、一振りの両刃の剣は左右対称を崩され、二振りの片刃の剣と化した。


「……だが、斬った!硬そうな剣!」


「うそ、斬られた……?デュランダルが……?」


 プレリアは愕然とした様子で左右の手に収まる剣を見比べる。


「まあ、そっちに剣が残ってる以上は俺の負けだな」


 硬いものが斬れてすっきりとした様子の少年を前に、少女は狼狽えた様子で口を開く。


「な、なんでよりにもよって縦に?横に斬る方が簡単では?」


「その方が難しそうだったから」


 あっけらかんと言い放つ少年に、プレリアは己の敗北を自覚したのだった。



 ───────────────────


『天へ墜つ鳥』を解除し、荒らしてしまった地面をある程度ならし終え、少女は少年へと向き直る。


「私の真っ二つになってしまったデュランダルだが、よければ片割れを一つ君に与えよう」


「えっ、良いの?ありがとう!」


 年相応に喜ぶ少年を微笑ましげにみながら、プレリアは己の未熟さを痛感する。


「私も良い勉強になった。スキル頼りで剣の研鑽を怠ってしまっていたようだ」


「俺もやっぱ才能無いや。剣術スキル持ちには全然敵わないよ」


「剣聖である私をここまで追い詰めておいて何を言うか」


「ん?剣聖ごっこして遊ぶの?」


(この少年、まだ私が剣聖だと気付いてない!?)


 結局少女は剣聖であることを冗談と思われたまま帰路に着いた。

 剣聖を負かしたという少年の噂はたちまち広がり、剣の腕に覚えのある名うての剣士が彼の元を訪れた。

 やがて剣聖、剣豪王、剣帝、魔剣、天剣の天下五剣と呼ばれる5人と負けず劣らずの勝負を繰り広げ、剣神と呼ばれた少年が田舎の片隅に居たとか居ないとか。

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剣の峠 三瀬川 渡 @mitsusegawa

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