剣の峠

 小高い丘と見紛う程の巨大な竜の骸の前。


 剣を愛し、ただ剣の頂へとひた走る者。

 剣に愛され、既に剣の頂に立っていた者。


 相対する者は互いに己の愛剣の切っ先を相手へと向けている。

 既に臨戦態勢。

 ほんの僅かな切っ掛けが生じただけでも弾かれたように動き出すであろうことは明白なほど、ピリピリとした空気が辺りに漂っていた。




 静寂が支配する森の中、頭を無くした黒竜の首から一雫の血が滴り落ちる。


 動く。

 初速から最高速度に達する剣聖の少女、プレリアに対して少年の動きの起こりは非常に緩慢なものであった。


 少女の胸の内を奇妙な感覚が支配する。


 初速は遅い。

 しかし、

 急激に加速していく。

 加速度的に加速していく。


 その速度は──


(速……ッ!)


 少女は口の中で思わず言葉を作る。


 同時に理解した。

 華奢な肉体が壊れないように。

 脆弱な剣身が折れないように。

 最初は遅く、だんだん速く。

 彼が持ち得る手札における最適解。

 体も剣も傷めない為の荷重移動の極地、神業じみた絶技であることに。


 刹那の刹那、時間にして須臾。

 交錯は一瞬にすら満たないほんの僅かな時の泡沫の中で行われた。

 集中力によって極限まで引き伸ばされた時間の中、剣を振るう。

 直後、剣と剣が交わったとは到底思えない鈴の鳴るような透き通った音が響く。


 打ち合えば彼の鉄屑のような剣が砕け散るのが道理。

 故に、打ち合わな・・・・・かった。


「そういう硬さか」


 少年の声は極めて冷静に発せられた。

 彼の剣は少女が持つデュランダルの側面を撫でるように滑り、斬撃の軌道を極めて巧妙にずらしたのだ。

 少女の目的は小手調べだった為、全力で剣を振った訳ではないが、それでも一合剣を交えれば相手の大凡の力量は理解できる。

 つまるところ、少年の技巧は少女の技巧を遥かに凌駕していた。


 プレリアは全身が粟立つような悪寒を覚えた。

 生まれ持った最大のアイデンティティを一瞬にしてひっくり返されたような寂寞とした消失感。

 その後、腹の底より荒れ狂う炎のような感情を自覚する。

 生まれてこの方負け知らずだった少女は、自らが負けず嫌いであることを初めて自覚したのだ。


 剣の頂に立つ者として、才無き無名の剣士に遅れを取ることなどあってはならない。

 彼女の祖先と血と家がそれを許さないだろう。

 剣聖として、ただでは終われない。


 なんとしてでも一矢報いる。

 そう彼女が思考すると同時に、切先を静かに持ち上げていく。


「本気を出すぞ、少年」


 聖剣デュランダルの柄を力の限り握り締め、天に掲げる大上段の構え。

 それは彼女が全力を尽くす時の構えであることから、目の前の少年には全力で掛からねばならないと判断したようだ。


武技アーツ、『夜に咲く花』」


 少女がそう呟くと、己が握りしめる聖剣の白銀を帯びた美しい剣身は一瞬にして漆黒の剣へと様変わりする。

 武技、『夜に咲く花』は最高レベルの剣術スキルに付随する必殺技の一つ。

 その効能は至って簡単なもので、剣身に触れたあらゆるものを破壊する。

 その破壊効果は光にまで及ぶ為、剣身が底なしの闇のように黒く染まって見えるのだ。

 つまるところ、今のデュランダルの鍔から上に触れたあらゆるものは破壊されてしまうこととなる。


 破壊の権化と化した黒き聖剣を天に掲げた少女の目に油断の色は微塵も無い。

 剣の周囲の空気も破壊してしまうことから、聖剣は竜が吐息を吐く前のように凄まじい勢いで空気を吸い込み風を生み出し続けている。

 狙いすますは相対者が構えるか弱き剣。

 今にも朽ち果てそうなその剣を折ってしまえば、ひとまず剣聖の勝負として最低限の体裁を保てるだろうと少女は考えた。


 何の合図もなく、肉体が瞬発する。

 スキルによって踏み出された一歩は一息で剣の間合いに到達する。

 剣聖の少女がしたことは極めて単純。

 上段に構えた剣を振り下ろしただけだ。

 剣の軌道の延長上にある全ての存在は何もかもが平等に断たれ、破壊されるだろう。


 瞬きにも満たない僅かな時間で眼前へと肉薄する漆黒の剣を前に、少年は恐るべき反応速度を見せる。

 少年がよわい15にして習熟した技術は二つ。

 如何なるものも斬ること、そして剣と体を守ること。

 剣は身を守る為に。身は剣を守る為に。

 父から譲り受けた大切な剣を壊さないように扱う過程で生じた副産物。

 少年の常人離れした柔軟な動きと剣を壊さないよう見極める力、それを可能にするための修練で培われた技術。

 それらが合わさり他者から見たら未来予知にも等しい反応速度で少年の体を後ろに押し下げた。


 少年は身を引きながら剣も下げることにより、黒い剣による武器破壊を防ぐ。

 愛剣の剣先を掠めそうな軌道で振られた黒い剣はどう見ても尋常なものではない。

 黒い剣の軌道から躱したが、それでも油断なく鍛錬により身に付いた後天性の素早さと足捌きで距離を取る。

 その動きは剣身一体と呼べる程に剣と体が融け合っているようだった。


 空を切った黒い聖剣。

 しかし、世界からの寵愛を受けた剣聖の聖剣は物理現象を当然の如く凌駕する。

『夜に咲く花』によって破壊された「空間・・」が剣を起点に六つの黒い亀裂を伸ばす。

 それは6枚の花弁を持つ花が花開くかのように広がったかと思うと、花が萎むように急速に閉じていく。

 少年の卓越した観察眼は閉じていく黒い花に巻き込まれた木の葉が徹底的な破壊を受けたことを見逃さなかった。

 空間自体を壊すのだから、その空間内にある物体がどんなに硬かろうが防御力を無視して破壊できるのだろうと思考を巡らせる。

 空間の破壊とはすなわち究極の破壊の一つ。

 空を切ったのではなく、「空」を斬ったのだ。


 少年は自身が無事なのは相手を傷付けないルールである為に剣だけを狙ったことと、たまたま距離を取っていたことが重なっただけに過ぎないと認識するに至った。


「剣に負担が掛かるけどしょうがないか……」


 彼もまた、負けたままを良しとする性格ではなかった。

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