第10話 蜘蛛の休息
寝そべって見上げる天井は相も変わらず鈍い鉄板。
芳しい土の匂いが懐かしく、緑色に生えそろった芝生。 そしてしゅういに並ぶ背の低い木々と池を模した水面は完璧だ。
いや、ここまで素晴らしい環境がシップ・スパイダルの中に構築されているとは思わなかった。
きっと、コウには及びもつかない血と汗と、涙の結晶がこの空間を創りだしたのであろう。
ただ、惜しい。
あの天井さえ、広々とした青い空になってさえいれば満点だったのに。
まぁ、今は巨大な自然衛星が空を覆い隠していて、外はどこまでも真っ暗な闇夜が続いているらしいのだが。
シップの憩いの場として利用されているこの場所を発見してから、コウはこの芝生の上に良く寝っ転がりに来ている。
一度だけ踏んだことのある母なる地球の大地を、再現しているような素敵な場所だ。
外を眺めても殺風景な土気色の大地が広がっているだけ。
確かに雄大で、コウも最初に見た時は感動したものだが、何処に行っても同じような景色ばかりでは飽きてしまうのは道理だった。
「うぉ~……後はこの揺れさえマシならなぁ~……」
酷寒の二日間を迎えた惑星ディギングは、マイナス二百度まで急速に冷えて行く。
シップは蓄えた太陽光エネルギーで搭乗員が凍死してしまわないように、艦全体を温める為に大型の機会が回転数を上げて暖かい風を送り込んでいるのだ。
当然、冷却装置が稼働した時と同じように、大きく船体を揺らす振動が日に何度もやってくる。
もうシップ・スパイダルに乗り込んでから一週間近く経つが、コウはこの揺れには未だに慣れなかった。
「あ、いたいた」
「お~……アンズかぁ~……」
「アンズかぁ~……じゃねーわよ! ったく、何やってるのよこんなところで!」
厚紙で出来た茶色い紙の箱を両手で抱えたアンズが、転がっているコウを覗き込むようにしてやってきた。
芝生に寝転がって左右に体をねじるコウは、だらりと力を抜いており、覇気がまったく感じられない。
二、三日前まではコウは自分がホーネット乗りになる為にジュジュの下へと再三押しかけていた。
駆けこんでは断られ、駆けこんでは断られて。
『はぁ? 頭に蛆でも沸いたか、それとも英雄気取りのド阿呆か。 コメディアンでももう少しまともな筋を通すものだわ。
もうちょっと無いミソッカスの脳みそを穿り返してから物を言ってちょうだい、コウ君』
おおよそこのような言葉を毎日毎日、どれだけ断られてもしつこくコウはジュジュの下に詰め寄っていたが、流石に進展が無さ過ぎる。
罵詈雑言の雨嵐、暴言の暴風雨の中心とさえ思えるほど勢いよく繰り出されるジュジュからの罵倒に、よくもまぁそれだけのレパートリーを揃えているなとコウが感心するほど豊富な詰りである。
そんな言い放った本人のジュジュは人の尊厳を破壊しそうなほどの文句を垂れた後、必ず頭を下げる。
西洋人形みたいなふわふわとした見た目と相俟って、凄まじい違和感が走ったのをコウは覚えていた。
だが、彼女は頑固だ。
艦外機、ホーネットに乗り込むことは頑なに拒絶された。
何度顔を付き合わせてお願いしても、やっぱり駄目の一点張り。
最近ではもう、コウがジュジュの視界に現れた瞬間には罵声が飛んでくるようになった。 コウも正直、彼女の口の悪さには慣れてしまったが。
「ってわけでさ」
「あのね、それでやる気無くしちゃった~、何て言うんじゃないでしょうね!」
「んな事ないって! でもちょっと頼み方を考えないと、どうにもならないかなぁって話」
「まぁ、あれだけ言われて良く通い詰めるなって、みんな笑ってたからね……」
「そう言われてもなぁ……」
押してダメなら引いてみろ、という訳ではないが、アプローチの方法を考えなければこの話は進展がない。
ひたすら拝み倒すのをいったん辞めて、こうして頭を空っぽにしながら次の手を考えることにしたのだ。
まぁ、引いてみても効果があるとは思えないが。
「あ~、それで、アンズは? 何してるの?」
「仕事の途中! 見てわかるでしょ?」
コウの真横に茶色い紙箱を降ろすと、かなり硬質な音を立てて地面に僅かな埃を舞い上げる。
何かの機械部品だろう。 結構な重量がありそうだった。
寝そべるコウの横に座り込んで、両ひざを曲げてアンズは座り込んだ。
珍しく作業服ではなく私服だ。 薄茶色のパーカーのようなものを着ていて雰囲気が違う。
「仕事の途中なのに、此処に居ていいのか?」
「うっさい。 良いでしょ別に」
「あはは、うん、まぁ良いけどさ」
ホーネット乗りであり、部隊を指揮する立場のスヤンから、雑用をごまんと押し付けられているアンズは頬を膨らませていた。
しかも、押し付けられた雑用を全部こなしたところで、ホーネットに再び乗り込む許可を貰えるとは限らない。
謝って、反省して、それで終わりというわけではないのだ。
スヤンはまったくもって、公正な姿勢で裁可を下していた。
ただ、それは分かっていても感情は別。 アンズもまた、次の採掘ではホーネットに乗り込んで汚名を返上したかった。
「こんなところで寝てて、ホント暢気で羨ましいわ。 皆、アンタがジュジュを追いかけまわしてるのを見て感心していたのに」
「俺も色々悩んでるってば……」
「疑わしいわねぇ~、私の事もホーネットに乗せてくれるように頼んでくれるって言ったのは誰よ」
「うっ、そう言われると立つ瀬がないっすねぇ~……」
意地の悪い笑みを浮かべて座り込むアンズの視線から逃げるように、コウは身を捩って上半身をむくりと起こす。
「なんか、絶対に乗せないんだぁ~~っ! って感じなんだよな、ジュジュ」
「ま、そうでしょうとも。 元から期待はしていないし」
「うわ、ひどっ。 皆さぁ、言葉がきついんだよなぁ!」
「でもね、コウ。 ジュジュが言っている言葉遣いはともかくとして、それは正しい事なのよ。 普通は無理だもの」
「甘く見られてるっすね。 宇宙艦外機のパイロットとしての成績なら、俺は誰にも負けないっすよ!」
「ここ、地上」
拳を握って胸を叩いたコウの自信を、一秒足らずで切り捨てる。
彼が顔を地面に落として、あぁ、と情けない声を挙げながら大きく肩を落とした。
却下される最大の要因は、きっと宇宙と地上の違いだ。
重力下での操作は、無重力下での操縦と、それなりに大きな差異が生じているハズで、絶対にホーネットを乗りこなすことが出来るという自信は正直無かった。
多分、その辺もジュジュには見透かされて乗る事を断られているのだ。
シティで何年も、下手をすればどれだけ訓練をしても許可が下りない人も居る。
そんな厳しいパイロットとしての訓練を受けずに、ホーネットに乗り込んで掘削作業を行うなど自殺と何ら変わりないのだろう。
「アンズは仕事に戻らなくていいんすか」
「戻るわよ。 ただ、コウが暇そうだったから声を掛けただけ」
「じゃあさ、アンズも一緒に考えてくれよ! ジュジュを説得する方法!」
身体の向きごと、座ったまま器用に変えてコウは身を乗り出すようにアンズへと顔を向けた。
アンズもまた、ニッコリと笑った。
おお、何か妙案があるのか。 コウはアンズの見せる柔らかくて可愛いと思える笑みに釣られてにへらと笑う。
アンズはゆっくりとコウの目の前に、紙の箱を移動させてきた。
「人手不足って、言葉は知ってる?」
「え、うん」
「押してダメなら引いてる間、こんなところで寝てないで少し手伝って!」
「う~ん……俺は別に良いけどさ。 乗る許可も貰わない内に勝手に弄っちゃ怒られないかな?」
「いいから! やる気のない顔でウロウロしたり寝転んでるやつが目の前に居るとイラつくのよ! 私だって働いてるんだから、とっととそれ持って! 作業着に着替えて発着場にいくわよ!」
「うわっ、もしかしてそれが本音かよ!?」
「うっさい! 良いから来る! 先輩命令!」
「まだ先輩じゃな―――うわっった! 判ったって! 危ないから引っ張るなよアンズ!」
お互いにぶつくさと言い合いながら、休憩場を離れて歩き出す。
そんな二人の姿が、備え付けられたベンチにだらしなく座っていたスヤンが見送っていた。
皮肉気な笑みを浮かべ、小さく鼻を鳴らす。
完全にコウとアンズの姿が消え去ってから、肩を竦めて視線を前方へと向けた。
「少しは仲良くんれたんじゃねぇか?」
「そうだな」
「素晴らしいですねぇ」
スヤンの目の前の芝生の絨毯の上で座り込んでいるのは、私服に身を包んだ艦長のジュジュだった。
一見すればドレスとも間違える位にレースの着いた服装は、ジュジュの容貌も相まってまるで人形であった。
その隣で木々に背を預けて立っているのが、相変わらず無表情のまま意思を感じさせない表情を張り付けている副官のボッシである。
二日間の酷寒。
それはシップ・スパイダルが休眠に入る事を意味している。
当然ではあるが最低限の人員は艦橋に詰めているし、必要があればジュジュやボッシも艦橋に顔を出すが、概ね闇夜の酷寒の世界では暇になるのが常だ。
この休息期間は、今後の船の行動指針を纏めたり、採掘する予定の場所を特定したり、採掘の終わった資源の数量を量ったりなど。
やらなければいけない事は当然あるが、この緑の生える憩いの場で打ち合わせを行うことも日常になっている。
今日は後からジュジュやボッシ達の存在に気付かないまま、寝っ転がったコウがぼやいているのを、聞いてしまったという形だった。
「艦長、一度くらいは試しても良いのでは無いでしょうか」
「そそ、俺も試してみるのはアリだと思うぜ」
「う~ん……」
ボッシとスヤンの言葉に、ジュジュは頬を手に当てて考え込んだ。
実のところ、アンズが言っていたようにシップ・スパイダルは人員不足に悩まされている。
乗り込んだ搭乗員はみな素晴らしい技術を持っていて才能あふれる人ばかりである。
だが、その最大人数が絶対的に足らない。
コウが個室を与えられたのも、余っている部屋がまだ多くあるからだ。
惑星ディギングの灼熱と酷寒の大地をシップが走り回れるようになったのは、僅か数十年前。
ホーネットが開発され、運用が本格的になったのも同時期である。
シップや艦外機を作るだけの資源を得て、人類が広大な大地を駆け巡れるようになったのは、千年という期間を考えればつい最近と言ってもいいのであった。
何を隠そう、シップ・スパイダルが資源採掘にシティを飛び出したのも今回が初めて。
艦長であるジュジュが人員の募集を行い、航行できるだけの人数がようやく揃い、そして大地に飛び出した。
この灼熱の大地をシップの中で過ごし、遠征を無事に終わらせて船乗りとなった経験を持つ者は、ボッシやスヤンを初めとした少数の人だけだ。
艦長のジュジュも、ホーネット乗りのアンズも、管制を任されているクウルも、今回が初めての処女航行なのである。
本音を言えば。
そう、本心を言ってしまえば、コウの申し出はジュジュにとってとても有難い物であった。
宇宙と地上の差異はあれど、ホーネットの開発者も《祖人》であり、コウと同じ艦外機の設計技術を持っていた物が作り上げている。
それはデータの照会で確定で判っていることなのだ。
ホーネット乗りとして卓越した技術を持っている可能性は存分にあった。 コウも《祖人》だから。
畑は違えど、試してみたい欲求はジュジュにもある。
それでも躊躇い、コウの申し出に頑ななのは、ホーネット操縦者が今回のトラブルで何人もの怪我人を出してしまった事実があるからだ。
この船がシティを飛び出した時に交わした約束をジュジュは果たそうとしていた。
全員で無事に戻って、酒を呑みかわそう、という約束をした。 死人が出なかったことで大きな安堵をしたが、もう一度同じようなトラブルに直面した時にどうなってしまう事かと想像すると怯えが先に立つ。
ジュジュは思う。 人員不足は深刻な問題である。
今回のような人的被害があれば猶更、それは負担を加速させてしまう。
特にホーネット乗りは激烈な環境で働く性質上、シップ運用の中でも損耗率が突出してしまっている。
ただでさえ訓練を受けていない素人を乗せるなんてことは、どうしても頷くことができない。
彼女の苦悩は、ボッシとスヤンには手に取るように分かっていた。
シップの人的損失は、日常茶飯事とまでは行かなくても、頻繁に起こり得ることを知っているからだ。
何度も目の前で死んでいく艦乗り達を見送ってきたボッシやスヤンは、ジュジュへの思いに共感することが出来ると同時に、全員を生きてシティに戻りたいと願うあり様が危うくも見えてしまう。
首を何度も上下に揺らして思考に耽るジュジュに苦笑し、スヤンはボッシに顔を向けて口を開いた。
「ま、コウの事は置いといてよ。 今後の話だ」
「そうだな。 スヤン、状態は」
「使い捨ての道具も含めて、4,5回は採掘できる道具はある。 ホーネットの数が減ったのは計算外だったが、まぁ許容範囲だな。 今動けるのは8機」
「ソナー員に一機割く事を考えると、効率は77%ほどまでが限界か」
「ああ、それにホーネット乗りの新人共が精神的にショックを受けてる。 命が助かったのは良かったけどな、今後もホーネットに乗れるのは、どうだかねぇ……」
「少し非効率的にはなりますが、シップが前に出て安全性を確保すれば、彼らも安心できるのでは無いでしょうか?」
ジュジュの提案に、スヤンは肩を竦めた。
シップ・スパイダルの腹の前面部には、掘削用のボーラーと土砂除去用のプレート、そしてアームバケットが搭載されている。
掘削現場に辿り着いて、ホーネットが作業のしやすい空間を作りだしたり、大まかな資源が埋まっている場所まで強引に道を拓くためであったりするのが目的の装備だ。
このアームバケットで削れない岩盤となると、ホーネットによる弾頭爆破しか手段が無くなる。
「チキン野郎どもには、それも気休め程度でしょうか……」
シティに戻る案も検討はされているが、シップ。スパイダルは本来、五つのポイントを巡って資源の回収を行う予定であった。
順調に進んだのは3回。
3回目の掘削作業でコウのカプセルが回収され、4つ目のポイントに向かう途上に《土蚯蚓》に遭遇してしまったのが現状である。
この世界にも人が住んでる以上、金銭の問題も絡んでいる。
シップ・スパイダルを動かす為の膨大な予算は、ジュジュの両親が関係しており、彼女が艦長に据えられたのもそれが大きな理由となっていた。
《土蚯蚓》との遭遇は人的被害、ホーネットの損失の一番の要因であり、今まで採掘した資源と照らし合わせれば収益はゼロに近い。
ただ今回は、かなり劣化の少ないコウの入っていたカプセルが手に入ったため、その分だけ金額的には大幅な黒字になる見込みはあったが。
複雑な事情が絡み合う中、資源の掘削作業は続行されることに決定された。
「一度……乗せるのも。 でも、やっぱり……ダメね、無理だわ」
資源の採掘作業に鋼鉄の蜂は欠かせない。
艦橋でモニターを見ているだけでも腰を抜かしてしまいそうになったジュジュは、ホーネット乗りのパイロットはどれだけ肝が太いのだろうと思ってしまう。
もし何か大きな事故があって《祖人》を失ってしまったら。
でも、気力のある人間がいて、その力は未知数で。
即戦力となってくれることも十分に期待できる。 悩ましい問題だ。
「ジュジュ、こうしよう。 一度、発着場で試乗してもらい、問題があるようならばシティまで待機させる」
「ボッシさんの考えに同意だ。 使えないと思ったら容赦なく切るから安心しな、艦長」
「そうですね……あ、アンズちゃんはどうするんですか?」
ジュジュの問いにスヤンは手をひらつかせて苦笑した。
「乗せるしかねぇよ。 唯一のソナー員が居なくちゃ話にならねぇさ」
こうしてコウとアンズの扱いが決定した後も、彼らの会議は数時間に及んで続いていた……
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