第9話 初めて呼んだ
「案内いたしました。 此処がアンズ様のお部屋です」
「うぇえっ……」
どうやら目的地到着したようだ。
コウは激痛に腕を抑え、涙目になりながらメルから開放されたことを理解した。
蹲って痛みに震えるコウを半ば無視して、メルは締められた鉄の扉をガンガンと叩く。
金属同士の当たる音が、艦内廊下に響いた。
「コウ様を案内しました。 開けますね」
『メル!? はぁ!? ちょっと待ちなさいっ!』
扉の奥からくぐもったアンズの声が響く。
彼女の静止は少しばかり遅かった。 ガイノイドであるメルには立ち入りの制限が掛かっている場所以外は、腕に取り付けてある端末で開閉の指示を与える事は簡単だった。
クウルとアンズは仲の良い友人である。
当然、お互いに部屋の開閉許可をとっており、それはメルが使う物と同じであった。
メルがアンズの入室許可を取っていないハズが無かったのである。 耳に触る電子音が鳴り響き、かくして鉄の扉はスライドして開かれた。
コウの視界に飛び込んできたのは、なぜか簡易のベットの中に慌てて入り込んだ少女の姿。
よほど慌てていたのか、素肌が見える片足を中空に放り出して、自分の肩を抱くように掛け布を不格好にかぶって、不自然な態勢で寝そべっていた。
部屋の中ほどには直前まで着ていたであろう洋服が散らばっており、ベッドから飛び出した足首には白い薄布が引っかかっている。
腕の隙間から見える胸のふくらみが、意外とある事にコウは気付いた。
未だに痛みに呻き情けない顔で部屋の中を覗き見ていて、アンズの視線と数秒絡み合って、お互いが固まってしまう。
酷い沈黙が、アンズの部屋には満ちていた。
電子音が鳴る。
推移を見守っていたメルが、高品質なアンテナをブラブラと揺らして不思議そうに顔を傾げた。
「入らないのですか、コウ様」
「は、入れないっす」
「入れるなっ! ちょっと、こっち見ないでよ!」
「了解しました」
「違う! メルは良いのっ!」
アンズの声が部屋の外にまで響く中、コウは自主的に顔を背けて痛みを訴える腕を抑えた。
背けた先に居た、このシップに乗り込んでる搭乗員の一人が、事態を察したのかふるふると首を揺らしてジェスチャーだけで謎のエールを送ってもらった。
そんな光景を見ながらコウは思った。
どうでも良いけど、腕の痛みが引かない。 怪我したのだろうか、と。
「早く扉を閉めなさい! メル! 動けないでしょ!」
「命令ではアンズ様の部屋までコウ様を案内する様に承っております」
「外で待たしておきなさいよ! 着替えてるの! 見て分からない!? 分からないわよね、あーもうっ!」
「何か問題がありますか?」
「大あり!」
ちょっと理解ができませんね、と応えるメルに、アンズは頭をくしゃくしゃと両手でかきむしって、女性らしからぬ唸り声を上げた。
そうしてようやく頭が少しばかり冷えたアンズは閃く。
「メル! 扉を閉めて私が良いっていうまで外で待機! 最優先事項!」
「了解しました」
今度は素直に引き下がって、空気を吐き出すような情けない音と共に鉄の扉が閉じて行く。
ようやく痛みが引き始めたコウは、顔を顰めてメルに向かい合った。
「なぁ、もしかして、わざとやってるとかじゃ無いよな?」
「? わざと、という動作概念は登録されていません」
「まぁ、そうだよな」
そうでなければ、手を引いて案内するのにあれほど力を込めることも無いだろう。
AIに柔軟な思考を持たせることがまだできていないに違いない。
コウは一つため息を吐いて覚悟した。
今の出来事がメルのせいだとして、アンズは怒気を納めてくれるだろうか。 今までの事を考えると女性経験のないコウでも大丈夫だと思える要素がどこにもなかった。
もう一発、平手が飛んでくる可能性だってあるだろう。
半ば諦念めいた面持ちで、コウは礼を言った。
「メル、案内ありがとな……」
「いえ、ご命令ですから」
腰に手を当てて誇らしそうにメルはそう言って、コウは苦い笑みを浮かばせた。
「で、見たの?」
「いや、見てない、見えなかったし」
メルを追い出し、アンズが扉越しに言い放った言葉は低い。
扉が開いた直後、むくれた顔をして睨みつけてくるアンズの表情は迫力が凄かった。 今でもコウの脳裏に過っている。
本当だろうと嘘だろうと、そう言うしかないという質問を浴びせられて、コウは内心穏やかでは無かった。
一つ、大きなため息を腰に手を当てて吐き出し、アンズはしばしコウから顔を背ける。
やがて顎を引いて室内に入る様に仕草で示すと、アンズは不満な顔を崩さずに備え付けられた椅子に腰を下ろす。
遠慮したように周囲を見回しながら、コウは室内に足を踏み入れた。
散乱していた服は、この短い時間でしっかり片付けられているようだった。
後は、コウに与えられた部屋と大差ない殺風景な景色が広がっている。
アンズが今座っている椅子が一つ。 寝台が一つ。 固定端末とモニター、そして寝台横に簡素な棚があるだけだ。
唯一目を引くところ言えば、アンズが使っている髪留めと同じような植物が、鉢に植えられて棚の最上部に並べられてることだろうか。
「これって、何の植物なんだ?」
「サボテン。 祖父がくれた物と、自分用よ」
「あぁ、やっぱりサボテンなんだ」
「ったく、何なの? そんな話をしにきたってわけ?」
「いや、違うよ。 謝りに来たんだ」
実のところ、サボテンの事もコウはかなり気になったのだが、本来の目的は最初から一貫している。
想像通りの用件に、アンズは首を振って面倒そうに手を虚空に振った。
「もう良いわよ、あんまり馬鹿にしないで。 私だってクウルの言っている事は正しいと思ってるし、アンタにちゃんと説明しなかったのは……ゴメン、反省してる」
「ああ、でもちゃんと謝りたい。 俺が知らなきゃいけなかった事を、しっかり聞こうとしなかったのは本当に悪かった」
この星の危険が分かってるつもりで全く、理解をしていなかったんだと精一杯の誠意を込めて頭を下げる。
「良いってば……でも、メルを利用して部屋を覗きに来たのは別だからね」
「げっ、それは見てないって! ちょっと脱ぎかけの服が見えたくらいだし……下着くらいしか!」
誠意は即座に爆散した。
「見たんじゃないのっ!」
「ちがっ、ごめんって! 言葉の綾だった!」
振り上げた手がコウに迫って、思わず目を瞑る。
ところが、アンズの振り上げた手は、優しくコウの身を守ろうとした腕の上にポトリと落ちた。
あー、と気の抜けたような声を挙げて、彼女は再び浮いた腰を椅子に落とした。
「あ、あれ?」
「別に気にしてないから、忘れて頂戴。 シップの上での生活じゃ、珍しい事でもないからね……」
「あ、ああ……」
何だか拍子の抜けた調子で、コウは頭を掻きながら頷いた。
ふと、彼は疲れた表情を見せるアンズの目が、まだ腫れている事に気付く。
「あのさ、聞いて良い?」
「……何かしら」
「動けなくなった人が原因で、事故が起きちゃったんだよな。 それに、大けがした人も」
「ええ、そうね。 死に至るまでの火傷じゃなくて良かったけど……死んでいても可笑しくはなかった」
「だよな。 なんか、ほんとゴメン」
アンズは何度も謝るコウに、首を振った。
きっとコウは名前も声も知らない。 そんな赤の他人と言っていい人が自分のミスで死んでしまったかもしれない。
アンズにとって同じホーネットに乗り込むパイロットとしての仲間が。
モニター越しに見えた映像でも凄まじいショックをコウは受けたのに、間近で見て来たアンズはもっと辛いはずだろう。
「責任はアンタだけじゃないわ。 私だってヘマをしたのよ……仲間を危険に晒してしまったわ。 でも……」
アンズは言葉を切ってから、下唇を噛んで続けた。
「でも、ここじゃちょっとした事故で人が死ぬのは珍しい話でも無いから。 だから心配なんてしなくても私は平気。 さっきの一発でアンタへの気は済んだから、あんまり気に病まないで」
コウは目の前で話をしている彼女の心情が不思議と理解できた。
虚勢を張って強がっている事が、はっきりと伝わってきた。
ただの勘違いかも知れないけれど、コウは確信することが出来た。
何度も失敗して、何度も怒られて、時に他人を巻き込んで危険にさらして。
必死に
だって、彼女は泣き叫ぶようにコウへと言っていた。
自分が目を覚ます前までは、全て順調だったのだと。
何もかも上手く行っていたんだと、彼女は言っていた。
「あの、最初に聞いてきただろ。 俺は何ができるのかって。 正直言ってこの船の中じゃ何も出来ないと思ってる。
俺が学んでいたのは艦外作業機の事だけだからさ。 でもだから―――ホーネットなら乗れるかもしれないって思ったんだ」
独白するように口を滑らせるコウの声。 アンズの眉間に皺が刻まれた。
「俺も今日のアンズみたいに沢山失敗した。 会ったことも無いし、見たことも無い人が、俺のせいで怪我をしちまった。
その人には謝る事しかできないけど、俺はまだここで迷惑だけしか掛けてなくて、何もしていないから」
「何が言いたいのよ、アンタは」
「だから俺、ホーネットに乗る。 乗れるように、ジュジュに頼んでみる。 アンズもまたホーネットに乗れるように、あの怒ってたスヤンって人に頼んできてあげるからさ!」
「はぁ? ちょっとまって!」
「俺が出来そうなことって、俺がこの場所で皆の為に出来る事って、それくらいしか無さそうなんだ!
アンズが言った通り、俺だってもうこの星に住む一人の人間だろ? この惑星の事を知って、実情を知って、見てるだけ何てもう嫌だって思ったんだよ!」
アンズがコウの言葉に強い意志を感じ取って思わず詰まる。
何より、彼が言った自分が出来るのはホーネットに乗り込む事だけ、という言葉には衝撃を受けた。
スヤンへと感情のままに言い放った自分と、今のコウの言葉が重なった気がして。
アンズは生まれた時から惑星ディギングに住んでいる。
決して要領は良くなかった。 頭だってそんなに良い方じゃなかった。 性格からやっかみや煙たがられることも多くて。
自分が何を出来るのかを考えた時にホーネットの存在があった。
ホーネットは誰もが乗り込んで動きまわせる物じゃ無かった。 才能が必要で、その才能にアンズは恵まれていた。
自分がシティに貢献できること、惑星ディギングに住む者として生きる為に出来ることは、ホーネットに乗る事だと思ったのだ。
心の奥底では分かっていたはずなのに、勝手な事ばかり口にして、拗ねて文句ばかり言うコウを。
何時の間にか《祖人》を蔑視してしまっていた。
クウルが話したように、突然の事態に混乱して、精神的に余裕が無くなっていた事をいつの間にか忘れて、この星に住む人と同じ常識を無意識に求めていた事に気付く。
そんなことは無理だ。
今までに起きたばかりの《祖人》が、起こしてきたトラブルを考えれば、無理な事は分かっているつもりだったのに。
アンズもまた、今、初めてコウという一人の人間を真っすぐに見つめることが出来た。
状況をきちんと把握すれば、同じ場所に向かって《祖人》とも一緒に歩んで行ける。
そんな事は、十世紀に渡って生き残ってきたアンズの先祖達が証明してくれていたというのに。
長い沈黙が、室内を包んでいた。
切り裂いたのは、呆然としてしまったアンズに痺れを切らしたコウだった。
「やっぱ、難しいのかな。 ダメだと思う?」
「だめ……じゃないと思う」
「マジ? あ、そしたらアンズが俺の先輩ってことになるのか! ははっ、よっしゃ! そん時は、色々とご指導よろしくっす!」
「あのね、まだ決まっても居ない話なのに、喜ばれても」
「大丈夫、俺って諦めだけは悪いからさっ! 乗るって決めたなら、絶対乗ってやるから!」
力こぶを見せて、ことさら明るく笑うコウに、アンズもまた釣られて笑みをこぼした。
ハッと気付いて誤魔化すように咳ばらいをしながら、表情を直すように首を振る。
きっと下手な励ましも混じってるコウの振る舞いに、ようやくアンズは気付いていた。
少なくとも、彼の明るい声と仕草から、アンズの欝々とした暗い気持ちが少し晴れたことだけは確かだったから。
「じゃ、俺、早速ジュジュに頼んでくるわ!」
「あ、ちょっと!」
来るときも慌ただしければ帰る時も忙しい。
立ち上がって扉を開けると、声を掛ける間もなく足音が遠ざかって行ってしまう。
が、殆ど時間を掛けずに出て行った騒がしい足音が戻ってくる。
アンズと自分の名を呼ぶ声が聞こえて、怪訝に思いつつも扉を開いてあげた。
「なに? 忘れ物?」
「違うよ、ちょっとサボテンの事で思い出してさ!」
「ああ、そういえば。 来た時から妙に気にしていたわね」
「そうそう。 俺の親父もサボテン育ててさぁ、花を咲かせるのが楽しみだって言ってたんだよな。 そのサボテン、花をつける品種なのか聞きたくなっちゃって」
アンズはコウの話す理由にへぇ、と一つ頷いて、花がつくサボテンであることを教えてあげた。
長い物になると品種によってサボテンは花をつけるまでに数十年とかかるものがある。
きっともう、二度と会う事は難しいだろう父親の面影を、コウは追っているのだろうか。
シティへと戻れば、両親が健在しているアンズには、コウの気持ちがちょっと想像できなかった。
「そっか、ありがと。 っし! んじゃ改めて、ジュジュのところに行ってくる! アンズの事も忘れないでちゃんと頼むから期待しててくれよ!」
「……ま、頑張ってね、コウ」
「ああ! ん? あっ! ああああぁぁーーーー!」
「きゃっ! ちょ、何!? いきなり大声で!」
「名前ぇーーーーーーっ!」
「はぁ?」
「アンズ、俺のこと初めて名前で呼んだだろ!」
コウに言われて、アンズは面食らったように口元に手を寄せた。
「そ、そうだっけ……?」
「そうっすよ!」
屈託なく笑って名前を呼ばれたことに喜ぶコウが、なんだか年下のように見えてしまったアンズだった。
結局彼が戻ってきたのは、本当にサボテンの事を聞きに来ただけのようで、手を大きく振りながら別れると、艦橋に向かって走り差って行った。
半ば呆気に取られた形でひらひらと手を振って見送ってしまい、アンズは部屋に戻って倒れるようにベットの中に潜り込んで、思う。
コウがホーネットに乗れる許可が得られるはずがない、と。
艦外作業機で、採掘の主役となるホーネットは高価で大切な資源を多く費やして作られる物だからだ。
同時にホーネットの操縦者の育成に莫大なコストもかかっているし、搭乗者は当然ながら危険でもある。
アンズとて、シティで何年もかけてホーネットの操縦訓練を行って、ようやく現場のシップに乗れるようになったのである。
目覚めたばかりで《祖人》でもあるコウを乗せるとは思えない。
「……サボテンか」
うつ伏せで寝ころんだアンズの視界に、二つの植蜂が鎮座しているのが見えた。
同時にコウの父親がサボテンを育てていたという話を思い出し、妙な繋がりもあった物だなと苦笑する。
アンズの持っているサボテンは、今はもう居ない祖父から父へ。
そしてシップにホーネット乗りとして初めて参加する記念にと父からアンズへ手渡されてきた物だ。
もう一つの植蜂は、自分がホーネットの操縦資格を手に入れた時に記念だと、父からプレゼントされた物である。
アンズはゆっくりと目を閉じる。
途端、瞼の裏に赤と白の光景が浮かび上がって、短く声をあげて跳び起きた。
やにわに心臓の鼓動が高くなり、その場で胸を押さえて息を吐く。
首を振ってから近くに置いていた水筒を引っ掴み、一気に水を飲み干した。
ベットに横に成ってもう一度目を閉じれば、今度は名前を呼ばれただけで矢鱈とはしゃぐコウの顔がふっと浮かび上がる。
彼の明るい性格には助けられてるのだろうか。
そんな事を考えながら目を閉じていたアンズは、気が付けば掛け布も纏わずにそのまま寝息を立てて眠りについていた。
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