第8話 同じ星に生きる
発着場から走り去るアンズの足は速かった。
艦内の構造に不慣れなのも手伝って、彼女が角を曲がって行くたびにコウは乱雑に置かれた通路の道具をひっくり返してしまう。
それでも背中を追って声を掛ける。 走る事を止めないアンズを引っ掴んで、お互いに勢い余って転んでしまったところでようやく追いついた。
「いっつ……っ」
「わ、わりい!」
短いうめき声に、パッと離れて立ち上がる。
「なに!? ついてこないでよ!」
「俺のせいなんだ! 最初からお前やクウルの話をちゃんと聞いていれば、こんな事故は無かったんだ! だから、俺、アンズや皆に謝らないといけない!」
コウの本心だった。
引っこ抜いたコードに心当たりがあって、それが原因で作業を行う者を―――引いてはシップに乗り込んだ搭乗員全員の身が危険にさらされた。
たかが一本の接続機器、そう軽い気持ちで考えて見過ごしてしまった物がこんな事態を引き起こすとは思わなかった。
でもそれは、ちゃんと彼らの話を聞いていれば回避できたことかもしれない。
妙な意地を張って、自分から説明を聞く耳をふさいで、貴重な時間を潰してしまっていた。
爆発を移すモニターを前にして、コウは後悔をしている。
座り込んでいた腰を上げて、アンズは未だに止まらない涙を袖で拭いながら、尋ねた。
コウが何を言っているのか分からなかった。
「何の話なのっ!」
「案内された後、俺、発着場で変なコードを抜いちまったんだ。 足を引っかけて、転んだ時に……勝手に変な場所に突っ込んだらまずいと思って、そのまま放置しちゃって―――」
最後までコウは言い切ることが出来なかった。
乾いた音が、船の通路に響き渡る。
左の頬を思い切り平手でたたかれて、耳の奥に高い音だけが残される。
アンズの張り手は良い音がしていた。 メルはその音を拾って首を回し、クウルの肩を掴んで声のする方向へと指を指し示す。
「っ……いってぇ」
「アンタのせいで……」
アンズは反射的に叩いてしまったコウの頬と自分の手の平を見て、苦い顔を隠さずに俯いた。
コウのような《祖人》へと全てを説明するのが義務だ。 アンズも気まずさから説明を避けてしまったのだから、コウだけのせいではない。
むしろ、この惑星ディギングに住む者たちから見れば責められるべきはアンズの方だろう。
だが、それが分かっていても口を突いて出る感情は止められなかった。
自分の罪悪感を誤魔化すように。 自らの過ちを転嫁するように、怒鳴りつける事しかできなかった。
「滅茶苦茶よっ! 何が《祖人》よ! 全部うまく行ってたのに、アンタが来てからトラブルしか起きてない!
アンタなんか、土に埋もれてれば良かったんだっ!」
「……ごめん」
「このっ!」
情緒が不安定であったところに告白されたコウの言葉は、アンズの冷静さを失くしてしまった。
半ば八つ当たりのような行動を自覚しても止められない。
ぐちゃぐちゃになった感情が先行して、謝られるたびに突き動かされてしまう。
空気を切り裂いて唸りを上げる自らの振り上げた手が、どうしても止まってくれなかった。
コウは目を瞑って衝撃に備えた。
船内に再び響いたのは、肌を叩く乾いた音ではなく、金属を叩く甲高い音であった。
「痛ぁぁっ! ちょっ、痛たたたた……」
「メル? あ、アンズ、大丈夫か?」
勢いを殺す間もなく、飛び込んできたメルの腕とアンズの手が交差して、ぶつかり合った。
メルはアンドロイドで、機械。 鋼鉄の腕である。
痺れるような手の痛みに、流石のアンズも腕を抑えて蹲る。
「クウルも……見てたのか?」
「見てた。 メル、ありがとう」
「すみません。 アンズさん、腕は大丈夫でしょうか?」
メルの声にアンズは何も言えずに首を振る事しかできなかった。
そんな彼女の頭上から、クウルの冷静な声がふりかかる。
「アンズ、喧嘩しちゃダメだよ」
「っもう! クウル! 止めないで、全部コイツのせいだったのにっ!」
「アンズ、本当に全部コウ君のせいだと思ってる?」
「―――っ、そ、それは……」
突然と言って良い闖入者に、アンズは矛先をクウルに向けたが、逆に尋ねられて言葉に詰まってしまう。
「勝手に悪いとは思うけど、大声で話してたから全部聞こえちゃった」
「だったら!」
「僕たちは義務を怠った。 責を受けるなら、僕も含まれる」
「……」
「コウは知らなかったんだ。 知らない者の責任を取れなんて、それこそ無責任な事を僕たちは言えない。
アンズも、僕も、逃げていたんだから」
「私はっ、逃げていたわけじゃない……」
第三者から、自分でも自覚していた部分を指摘されて、アンズは勢いを失って、クウルは首を振った。
自分のミスを棚に上げて怒鳴り散らした所で、やり直しができる訳じゃない。
出撃前に仲間の機体ホーネットの蓄電用のコードが引っこ抜けていた事に気が付かなかったのは、ホーネット乗り全員の責任でもある。
もしかしたらそれは、スヤンが一番悔いているかもしれない。
誰か一人でも確認していれば、いや、ホーネット乗りだけではなく、誰かが一度でも見て気付いていれば、防げた事態のはずだ。
アンズはスヤンに、今後の事はどうあれ、その事だけはしっかりと伝えて対策をしなければと心の中で思った。
目を覚ました《祖人》に、この星の事を説明することは義務だ。
どんな理由があっても、その人間の命と周囲の安全を守るためには説明しなくてはならない。
アンズも、クウルも中途半端な、それこそ自分勝手な理由で罪悪感の様な物を抱いて、丸投げしてしまった。
この星に住んでいてれば知らなかったで済まされない事故はたくさんある。
今回のホーネットの蓄電コードの事もそうだ。
そういう意味では二人とも、義務を全うすることが出来なかった。
コウはクウルが、自分を庇っている事を察して手を振った。
「クウル、でもさ……でも、俺からも説明を聞くことを怠ってたと思う。 君と暇をつぶしに雑談しに行った時も、シップを案内してもらってからアンズとすれ違った時も。
それに、ここに居る人たちと話をする機会はそれこそ沢山あったんだ。 飯を食ったりしに行った時とか、艦内をぶらついた時とか。
だから、やっぱり俺も悪いと思う」
「……コウ、ごめんなさい。 僕たちも謝らないといけないね」
「いいんだ、俺の方こそ、ごめん」
目の前で頭を下げ合ったコウとクウルを見ながら、アンズは居心地が悪くなってしまった。
頭の中で怒りや情けなさや、様々な感情が混じりあって。
かといって目の前の二人の様に頭を素直に下げたくない気持ちすらあって、自分が酷く矮小な存在だと思えてしまいそうだった。
クウルがずるいと、アンズは思ってしまった。
シップの中で通信や各種機材の管理が仕事であるクウルは、ホーネットの搭乗員と比べれば比べ物にならないほど安全な場所に居るから。
でも分かっている。
アンズはホーネットに乗れなければ役立たずだ。 逆にクウルがホーネットに乗っても何もできやしない。
適材適所で仕事が分担されているのだから。
だから、その事を口に出してしまえばそれはただの暴言で、それこそアンズは自分を許せないと思う事になるだろう。
これ以上、この場に居るとまずい。
きっと酷い事を言ってしまう。 コウに対しても、クウルに対しても。
瞬間の葛藤を抱えてアンズが選んだのは、踵を返してこの場所から物理的に距離を離すことであった。
「あっ!」
「アンズ……」
止める間もなく走り去ってしまった彼女を見送って、コウとクウルは顔を見合わせた。
「アンズも、判っているハズなんだけどね……」
「良いんだ、それよりありがとな! 結構、アンズの平手は痛かったからさ」
明るい口調でおどけた様に笑うコウに、クウルも釣られてくすくすと笑いを零してしまった。
ズレ落ちてきた眼鏡を人差し指で押さえつつ、口を開く。
「アンズにまだ用があるなら、メルに案内させるけど」
「……その前に、ちょっといいか? ホーネットって艦外機あるじゃんか。 あれさ、俺が専攻してた奴と似ているんだ」
コウは壁に拠っかかって、突然に自分の事を話し始めた。
アンズやクウルに、何ができるのか、という問いに応えようと思ったからだ。
「三年前―――っていうか、俺からすれば三年前だけど、十三歳の時に宇宙空間での艦外作業機候補生になったんだ。
最初の内はホント、落ちこぼれでさ。 ミスばっかりで、教官に怒られてたよ。
人が死ぬかもしれない事故も、起こしたことがあってさ」
当時の事を思い出すように、平手打ちされた頬を擦りながら言葉を縫むぐ。
単純なミスも数えれば、それこそ星の数ほど失敗してきた。
教官はもとより、自分の面倒をよく見てくれた先輩たち、同僚たちを含めてどれだけ迷惑をかけたことか。
そのたびにコウは怒られたし、逆に怒ることも沢山あった。
人死にが出るかもしれない危険な事故になる可能性を秘めたミスも、この場所に違わず多かったと思う。
最初は何もかも分からなかったから、何度も止めた方が良い、才能がない、と周囲に諭されたこともあったし、自分の進路に悩んだこともあった。
「はは、でもさ。 そんな俺でも、最終的にはテストでトップの成績に成れたんだぜ。
遊びに誘われても行かないで、ずっと艦外機のシミュレーターに乗っててさ。
あんまり自慢できることは無いけど、これだけは俺の数少ない、自慢できることだって思ってるんだ」
「そう……苦労していたんだね」
「ああ、うん。 まぁ、苦労はしていたけど……」
最後の成績表が送られてきた時の感動と、その時に学んだことは、諦めずに頑張ればいつかきっと結果になって返ってくるということだ。
何度も挑戦して、失敗して、それを繰り返して手に入れた技術と知識は裏切らない。
多感期であるコウにとって、人生の大きな教訓として刻み込まれた体験だった。
「だから、失敗しても俺は諦めないってぇこと!」
クウルに真っすぐ向かい合って、コウは拳を握って笑顔を見せた。
きっとこの話は結局、ここに着地する為の物だったとクウルはくすりと笑う。
「謝るのも、諦めない?」
「うん。 俺、またアンズに謝って来るよ。 それでさ、艦外機……あのホーネットっていうのにも、乗れるようにジュジュに頼むんだ。
千年前とかそういうの、此処じゃもう関係ないもんな! 同じ星に生きてるんだ! 皆にも迷惑を掛けちまった……だからさ、これから俺、頑張るっすよ!」
ああ、とクウルは思った。
彼は今、きっと惑星ディギングという星の住人になる宣言をしたのだと。
その宣誓を、クウルは偶然とはいえ、こうして此処で立ち会って聞いているのだ。
それが判った時、自然にコウの事が同じ星を生きる人間なんだと理解できた。
《祖人》ではなく、コウという一人の人間をまっすぐに見ることが出来たのである。
クウルの口はいつの間にか開いていた。
「コウ、私も教える」
「え? なにを?」
「僕はクウル。 クウル=リヒト・ウルリック・クラウウェルク。 君に、預ける」
「ああ、なんだ。 それ、クウルの本名? 愛称だったんだな、クウルって」
「うん」
「でも、長くて覚えられそうにないっすね」
そう言って笑うコウに、クウルは別にいい、と一つ頷いてから隣でぼんやり立ち尽くすメルへを顔を向ける。
視線に気づいたのか、短く電子音を鳴らしてメルは首を傾げた。
「メル、アンズの部屋にコウを案内して」
「了解しました」
「あ、よろしくな、メル」
コウは気分を盛り上げる様に、声を出して手を伸ばした。
「逸れない様にしっかりついて案内する様に。 コウ、僕は仕事があるからこれで」
「ああ、クウル。 またな!」
コウに差し伸ばされた手をじっくりと数十秒ほど見つめ、メルは得心したかのように頷いた。
「いっ!? 痛っ! メル!?」
「逸れない様にしっかりします。 案内を開始します」
鋼鉄の腕がモーター音を奏でてコウの腕を力いっぱい握ってくる。
抑揚のない声でコウの右腕をしっかりと挟みこみ、悲鳴を上げるコウを引きずる様にして歩き出す。
「いたたたたたっ、ちょ、え!? 痛い、メル何やってんだ!? 痛いっす!」
「案内しています」
「いやそれは判るけど折れる! 折れるって! もうちょっと優しく……何処にも行かないからっ!」
「了解、速度を緩めます」
「そこじゃないの! 優しくして欲しい所はそこじゃないって! クウル! ちょっと戻ってきて何とかしてくれぇ!」
悲鳴を上げながらアンズの部屋へとコウを案内していくメルに、クウルの視線は釘付けだった。
命令をしっかり認識して遂行する、自作のアンドロイドに感動していて、コウの声は右から左に通り抜けて行ったのである。
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