第2話


 U駅から直線に出ると海だ。


 かつては四国高松との往復航路が複数あり、駅もにぎわっていたらしい。数年前までかろうじて営業していたフェリー航路は途絶え、今、U駅から海を越え直通で四国へ渡る方法はない。

 

 初めて話をしたその日、タイムクライマーは駅で電車を待っていた。 


 彼の自転車はまだ走っている途中のようにスタンドが水平のまま壁に横付けされていた。ホームで電車を待つ間、椅子に座るタイムクライマ—から一歩離れたところに僕は立った。


「何時のに乗る」


 あまりにも突然だったから話かけられているとは思わなかった。


「何時のに乗る」

 

 それまで、彼の言葉の繰り返しに対し返事をするという発想はなかった。

 三回目を聞かなかったのは彼がじっと僕を見つめたからだ。


「ああ、えっと、四時三十六分です」

「そうか」


 それ以上の返事もなく彼は直角に座り直す。


(尋ねておきながら何だ)

 べつに話がしたいなんて全く思っていなかったけど、ただ中途半端な会話が違和感だったからぼくは続けた。


「そちらは何分?」


 返事がなくてもいい。しばらくしてこたえがなければこれは独り言だということにすればいい。彼みたいに。


「そちらは何分?」


 その時目の前に滑り込む鉄のかたまりが、他に何のためにここに来たのかというように彼は言った。


「四時三十六分」


 人々はタイムクライマーが乗るために次々と降りる。


「四時三十六分に乗る」

 彼は続ける。


「さあ行こう」


 ホームにはぼくとタイムクライマ—ふたりだけだった。

「ぼくは今日から岡山の塾に通うんです」

 その説明で彼と同じドアから、終点岡山駅を目指し、同じ電車に乗り込むことをぼくは正当化する。


「行先が決まっているんだな」


 それはもう質問でも感想でもなくれっきとした独り言で、それ以後、彼は終点まで口を開かなかった。


 毎週末、ぼくは彼と同じ電車で市街地まで出た。タイムクライマ—は改札を出ることはない。もしかしたら一呼吸遅れて改札口をくぐっているのかもしれない。ぼくは塾に遅れるわけにはいかなくて、それ以上彼に付き合えない。

 

中三の夏休みになって僕は毎日、夏期講習のために朝から夕方まで塾に行くことになった。だから今度は、彼が夕方乗り込む「四時三十六分」から降りることになる。


「時間通りだ」


おじさんは、ぼくとすれ違いに電車に乗り込む時小さく呟く。


「時間通りです」


 合言葉のように僕も小さく呟く。


 僕はコーギー犬を飼っていて、毎朝の散歩では大抵同じ時間、決まったコースを歩く。


 駅に向かう女子高生がある日ぼくをじっと見て、クスクス笑っているのを見た。


「ほら、来たよ。コーギー男子」

「じゃあ大丈夫、間に合った」


(ぼくは時計代わりなんだ)


 馬鹿にされているような、でも存在を認められたような、おかしな気持ちだ。


「もしもし」

向こうでおばさんが会釈をする。

「はい?ぼくですか?」

「そうそう」


面識のない人だった。母さんより少し齢をとった、けれど母さんより品の良いおばさまといった風だ。


「あなた、うちの兄とお知り合い?」


「兄?」


「ほら、駅で。いつも同じ電車で」

 ああ、タイムクライマーのことか。


「兄、電車の中で人様にご迷惑かけたりしていないかしら」


 おばさんは夕方になると出かける兄が心配で、同じ電車で出かけるぼくを見て、いつか尋ねてみようと思っていた、とのことだ。


「いや、ぼくも、別に話はしないんで。でも、電車でも駅でも、特に明らかな迷惑行為はないです。安心してください」


 まるで保護者のようにぼくは答えた。

 おばさんは、安心したように頷き、続けた。


「兄は、電車の運転手だったんです」

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