ビルを出た私の目を焼いたのは、去り際のお天道様だった。咄嗟に払い除けるように翳した右の掌を仄かに透過する光に、既視感を覚えた。

 

 くらげが出るぞと脅かされて、海水が冷え始める頃に渋々足だけ濡らしに行ったのは、端から端まで3km近くもある大きな海水浴場だった。

 

 広大な駐車場に佇む母の赤い軽自動車と、煮え切らない不機嫌さを湛えたグリーンヘイズの空。近づけば近づくほど濃くなっていった曇天を、私は未だに恨めしく覚えていた。

 

 あの日の『ぼく』は学校終わり、眩い夕日を背に制服のまま海面を蹴るあれをしたかったのだ。したかったのに。海風が髪を揺らし、スカーフを揺らし、指定靴と靴下を手に『ぼく』は、ヒロインのような顔で土気色の波打ち際を歩く。

 

 車から降りてきた母は折り畳み式の携帯電話を構え、母らしい微笑みを投げながらこちらへ歩み寄る。砂が入った、と悲しそうに言う彼女に思わず笑ってしまった。

 

 刹那、何かが私の背を撃った。確かな温度を感じた。

 

 そんな光だった。確かに締めた筈の栓が、不意に緩んでしまった。

 

 あの時母が送ってきたメールの『ぼく』は、笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る