第10話

決めたルールは1つだけ、それは“付き合っているとバレないようにすること”だ。

ごっこなので本当に付き合っていると思われるのは好ましくないのだ。

昨日は颯のこの突飛なアイデアのおかげでよく眠ることが出来なかった。洗面所の鏡に写る自分の顔を見るといつもよりしょぼくれて見える。貧相な顔つきが余計に貧相になってしまった。


「ふぁ〜ぁ〜…真澄おはよう〜。」

ぼーっとしていたからか、いつのまにか爽が起きてくる時間だったようだ。

「あ、おはよう。ごめんね、すぐ退くね。」

急いで顔を拭き、場所を空ける。

「うぅん…急いでないからゆっくりでいいよぉ…。…?真澄ぃ、どうしちゃったのぉ?」

「えっ、えっ?何が!?」

爽からの質問にドキリと心臓が跳ねる。

普段と同じように振舞っているつもりではあったが、何かおかしなところでもあっただろうか。

「んっとねぇ、なんかぁ今日はいつもより儚い感じがするぅ。」

「…えぇ?」

爽からのまさかの発言に大きな声が出てしまった。儚い?誰が?僕が?

「うんうん!やっぱり今日はなんか儚い?っていうの?危なげな感じがするぅ!」

「いや、そんなことないよ。」

「いやいや!そんなことあるってぇ!!真澄、普段から“深窓の令嬢”って言われて狙われてるんだからぁ!気をつけてよねぇ!」

「し、深窓の令嬢!?!?!?」

誰だそんなふざけたあだ名で呼んでるのは!


初めて耳にする自分への評価に、驚きが隠せない。遥や颯、真治達は“学園の妹”やら“ミスターパーフェクト”やら呼ばれているのは知っていたが、自分にまでそのあだ名が付けられているとは思ってもみなかった。

「そうだよぉ。まぁ、色白で濡れ羽色の肩までのサラサラヘアー、綺麗な二重の切れ長おめめの真澄だもんねぇ。そう言いたいのも分かるよぉ〜。」

うんうんと頷きながらあだ名に同意する爽に、何と返せばいいのか分からなくなり、『そんなことないよ。早く準備しなよ。』とだけ言って洗面所を後にする。

時計を見てみるといつもなら出発する時間になっていた。思っていたよりも洗面所に居たらしい。慌てて制服に着替え、カバンを持つと爽に一声かけて学校へ向かった。


寮の玄関口まで来るとなにやら人集りが出来ていた。皆同じ方向を見て色めき立って話をしている。何か珍しい物でも有るのだろうか、と気にはなったものの今は急いでいるためこの輪の中に加わるわけにはいかない。後から爽にでも聞こう。

「遅いぞ。真澄。」

その言葉に、小走りで学校に向かっていた足は止まる。

バッと後ろを振り向くと、桜寮の玄関の壁に背中を預けるようにして、颯が立っていた。

「は、か、会長…!?」

いきなりの颯の出現に、脳内がパニックになる。

「お前、こんな時間に寮を出てるのか?」

待ちくたびれたぞと言わんばかりの雰囲気で僕に近づいてくる颯であるが、周囲から物凄く注目を浴びていることに気づいて欲しい。

「いや、今日はたまたま…いつもはもっと…。」

「だろうな。そんな慌てて学園に向かうお前はあんまり見たことないからな。」

格好悪いところを見られてしまった恥ずかしさと、周囲からの視線の居心地の悪さで早くこの場を離れたい気持ちでいっぱいだった。

「あの、僕、学校に行くね…?」

「俺も行く。というか、お前を待ってたのに置いていくとはどういうことだ。」

「えっ?ぼ、僕を待ってたの?」

「じゃなけりゃわざわざここまで来ねぇだろ。」

颯は牡丹寮に住んでいるため、確かに用がなければ桜寮まで来ることは無い。でも、その用が僕を待つことだったとは。


なんで?という顔をする僕に、グッと顔を近づけると耳元で

「“恋人”は、登下校も一緒にするんだろ?」

と囁かれてしまった。

周りからはキャーという悲鳴が聞こえる。

「だから来たんだ。おら、行くぞ。」

不意打ちの耳打ちに混乱する僕のことなんかお構い無しにスタスタと歩いていく。僕もそれについて行こうとすると、集まったギャラリーの中から質問が飛んできた。

「会長!会長って副会長と付き合ってたんですか!?」

その言葉に何と返せばいいのか分からず、狼狽える僕とは反対に、颯はその質問も想定済みだったのか、特に困ることなく答えていく。

「何言ってんだ。生徒会のことで話があるだけだ。」



「…恋人だってバレないようにって颯が言ったくせに…。」

あの返答でみんな納得をしてしまったのは、少し不満が残るが、とりあえずはバレてこの関係が終わりにならなくて良かったと思う。

しかし、不満はそれだけではない。

昨日颯は言ったのだ。“恋人だとバレないようにすることがルール”だと。今までどんなに忙しいときでも登下校中に一緒に生徒会の話をした事はない。なのにいきなり寮まで訪れ、一緒に登校するとなると疑われてしまうのは当たり前なのだ。

「あぁ、言ったな。」

「こんなことしたら、疑われるよ?」

「恋人じゃなくても一緒に登下校くらいするだろ。」

それを言われるとぐぅの音も出ない。

「それよりも、だ。」

「?」

「みんなの前で会長って言うの、辞めろ。」

颯のことを会長と呼び始めたのは、去年の暮れ、颯が新生徒会長に任命された時からだった。もともとは呼び捨てをしていたのだが、他の生徒会メンバーへの示しがつかないと思ったことと、みんなが会長と呼ぶので僕もそれに慣れてしまったことから、それからはずっと生徒会の会長、副会長として仕事をしている時には会長と呼んでいた。

「別に良いだろ。誰も気にしねぇよ。」


「いや、でも会長は会長だし…。それにほら、他のメンバーにも示しがつかないし、さ…。」

「美作や松井、山田のことは呼び捨てじゃねぇか。」

痛いところを突かれてしまった。みんなのことを役職で呼んでしまうと、「書記」「庶務」「会計」となんとも言えない呼び方になってしまうため、会長以外はちゃんと名前で呼んでいるのだが、それが仇となってしまうとは。

「み、みんなだって颯のことは会長って呼んでるじゃん…?」

そう言って暗に“仕事中に呼び捨てで呼ぶことは出来ない”と伝えると、気に食わなかったのかムッとするといきなり立ち止まった。

「颯?どうしたの?」

「呼ぶまで動かない。」


そう宣言すると、腕を組み仁王立ちのままプイッとそっぽを向いてしまった。

こ、子供か!

「えっ、颯!?」


「…。」


「ほら、早くしないと学校に遅れるよ!」


「…。」


「颯だって遅れたら困るでしょ?」


「…。」

本当に動かない!


どんな声掛けをしても黙りを決め込んで、1歩たりとも動く素振りを見せない颯に、本気を感じる。

このまま置いていってしまおうかとも思ったが、好きな人相手にそんなことできるわけが無い。さんざん悩んだ結果、もうこれは呼ぶしか選択肢がないのだと悟った。

颯の頑固さに折れた僕は、降参の白旗をあげる。


「わ、分かった…仕事中でも呼ぶから、さ…学校、行こ?」


恥ずかしさから颯の顔を見ることは出来なかったが、言い終わったあとにチラリと伺ってみると優しさを滲ませた笑顔でこちらを見ていた。

そんな顔、しないでよ。これは、ごっこなんだから。


「そうだ、それで良いんだよ。」

腕組みをといた颯は、片手で僕の両頬を掴むとグッと押し潰して『変な顔』と笑ってきた。笑われたことが悔しくて、颯の手を外そうと試みるが、力の差があるのか離すことができない。

それにもまた笑われ、両頬からパッと手を離すと手を外そうと掴んでいた僕の手を逆に握りこんできた。

手を繋ぐ格好となり、慌てて周りを見る。


「大丈夫だ。この道は他の奴らは来ねぇよ。」

僕の心配が分かったのか、颯はそう言った。


「学校までな。」


握られた手のひらにじんわりと汗が滲んだ。

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