第9話
一瞬、颯が何を言っているのかが分からなかった。
「な、に、言ってるの…?」
生徒会室ではあんなに毛嫌いしていたじゃないか。この数時間で一体どんな心境の変化があったというのか。
「いや、さっきお前は、ご飯を食べさせるのを“恋人同士がすること”だと言っただろ?」
確かに言ったが、それが恋人となることとどう関係があるのだろう。
「お前も知っている通り、俺は幼稚舎からこの学園に在籍している。それこそ物心ついた時から今までずっと女子と過ごす時間が無かった。」
颯の口から発される“女子”という言葉にドキリとする。
「しかし、俺たちはもう3年生だ。大学があるとは言え、4年後には卒業し社会に出ていかなければならない。」
改めて言われると、卒業の2文字が急に現実味を帯びてくる。もし、同じ大学に行けたとしても4年後には離れ離れになるのだ。
「社会に出た時に、恋人の1人もエスコート出来ない人間でしたなんて情けないこと、この俺が我慢出来ると思うか?」
念には念を押し、やるからにはパーフェクトを目指す颯のことだ。いくら自分が男子校出身だからといって、相手に頼りっきりになるのはプライドが許さないだろう。
それを分かっているので、問に対して首を横に振って否の答えを返した。
それにうんと頷くと、近くに立っていた僕の片手を取り、手の甲にちゅっと口付けを落とした。
いきなり触れられたことに驚いたが、それ以上にキスを送られたことに動揺した。
自分よりふた周りくらい大きな手のひらは、思っていたよりも冷たくてガッシリとしていた。甲に触れた唇は柔らかく、そしてとても温かかった。
顔に熱が集まるのを感じるが、片手を繋がれてる今、どうすることも出来ない。
「そこで、だ。俺のことをよく知っていて、同性愛に興味のないお前と恋人の練習をすることを思いついたんだ。」
熱くなった頬が、今度は急に冷たくなるのを感じる。
「恋人、の、練習…?」
「あぁ、実際の恋人同士のように付き合ってるフリをするんだ。そうしたら俺もお前もエスコートの練習ができる。Win-Winじゃないか。」
名案だとも言わんばかりに得意げな顔をする颯。
「僕じゃなくても、颯の恋人のフリならみんな喜んでしてくれるでしょう…?」
バレンタインや誕生日には抱えきれないほどのチョコやプレゼントを貰っているのは知っている。純粋に友人や先輩として慕ってくれている人からの物もあれば、そうでは無い物も紛れているのは分かっている。
「それはダメだ。卒業したら終わる関係だ。本気になられても困る。だから、俺と同じお前に頼んでるんだ。」
彼は気づいているだろうか。
真摯な顔をして話している内容が、僕を深く傷つけていることに。
卒業と同時に終わる、恋人ごっこ。
その手を取ってしまったらきっともっと傷つくことになるのだろう。終わりの見えている関係なんて、不毛でしかない。
なのに、なぜ、僕は手を振り払えないのだろうか。
僕で練習するなよなんて言ってしまえばいい。
でも、ここでこの手を離してしまったらもう二度と繋げないのか。
どうせ叶うことが無いのなら、今この時だけでも…。
1年間だけ、夢を見ていたい。
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