第十一話 quatre's past -神を信じる少年の過去-

 海斗や結城がレジスタンスとして動く約一か月前、正式に兵士となるべくクローン達の適正テストが訓練場で行われていた。

 知識や体力だけではなく洞察力や動体視力などありとあらゆる分野を数値化し、適正値に届いていないものを振るい落とす運命の試験。

 その受験者一覧の中にカトルが居た。

 この頃はまだカトルという名前を持ってはおらず、製造番号が自分と他人を識別する唯一の手段であった。

 この頃のカトルは今ほど感情を表に出さず、任務を遂行するための殺人兵器と遜色ない男の子であり、その従順さが功を奏したのか受験者の中では一番の期待を掛けられていた。

 だがそんなカトルは適正テストを受け、その結果に大きく絶望することとなる。

 適正テストの評価はまさかの不合格。

 全てのグラフが高くまとまっているが、基準値に達していないのである。

 特に柔軟な発想が苦手なのか、戦術の項目が他の値に比べて非常に低くなっていた。

 このテストは個々の点数と全体の総合点に基準点があり、その基準点を一つでも満たさないと落ちてしまう。

 当然適正テストに受からなければ価値無しとなり、処理待機場に移送されてしまいカトルは何の役にも立たずに肉塊になることになる。

 だからカトルは次に掛けた。

 適正テストは第一次と第二次があり、二回までは試験を受けることが出来る為、その間カトルは補修室で全ての実技を受けなおし、次の試験へすべての時間を費やしていたある日。

 赤毛で目の下に酷い隈のある男が話しかけてきた。


「よう、頑張ってるね」


「どうも」


「お? 元気のない返事だねぇ……まぁ良いんだけどね! 俺もバリバリ元気って訳じゃないし」


 男は白衣を着ており、補修担当の職員であることはすぐに分かった。

 だが普段の職員は挨拶もなく、余計な会話も一切せずにただ補修のスケジュールだけをこなしていたため、いつもと違う対応にカトルは戸惑っていた。

 普段他人と過度なコミュニケーションや、職員との必要以上の会話は規律で禁止されているため、男の明るいコミュニケーションにどう返すのが正解なのか瞬時に答えが出ず困惑していた。


「補修、よろしくお願いいたします」


「堅っ苦しいねぇ……まぁお互い規律を重んじる身だから仕方ないか」


 全く重んじてる気配はないが、男も理解はしているようだ。

 ならば何故分かっていながらコミュニケーションを取るのか、カトルにはその矛盾が頭に引っ掛かっていた。


「あの……今日の補修は?」


「ああね、まぁ無理なく休憩から始めよう」


「えっと……それでは困ります」


「大丈夫大丈夫、タダの休憩じゃないから……もっと大事な事さ」


「もっと大事ですか?」


 今のカトルにとって休憩は補修よりも大事なことではない。

 だが補修室の職員でありながら休憩から始めようとする矛盾。

 普段から真面目なカトルのもどかしさは加速していく。


「俺とお前でぐうたらすんの、その間に関係ないことでもだべってさ」


「それでは困ります!」


「それが困んねぇんだよな」


 男は突如黄色い木の実の欠片をカトルの口に突っ込む。

 何かわからず突っ込まれた木の実を舌の上で転がすと、少しの酸味と豊かな甘みが口いっぱいに広がった。


「何ですか? これ?」


「レモンさ、それより食ってみてどう感じた?」


「……甘いです……そして美味しいです」


「そいつが甘く感じるってことは、お前は疲れてバテバテって事さ」


 男も手に持っているレモンを一口食べる。


「うん、甘い! 俺も疲れてんな!」


 目の下の隈からある程度察してはいたが男も疲れているようで、レモンを剥いて無心で口に運んでいる。

 そしてレモンを食べ終わるとぼさぼさの赤い髪をかき上げ、ニヤリと笑ってカトルを見つめていた。


「まぁそんな訳で、これから少々休憩の時間だ」


 椅子を二つ用意し、カトルの前に赤い髪の男は座る。


「お前最近ずっと補修室に入り浸ってるだろ? 訓練は良いのか?」


「訓練は受けてます、その前の時間とその後の時間にここにきてます」


「なるほど、ご多忙だなぁ」


 椅子を傾けて座りながら男は笑う。

 本当はこんなことをしている時間は無いはずなのに、なぜだかこの男と話している間カトルは普段からあった焦りを忘れることが出来た。


「まぁ適正テストに落ちて焦るのは分かる、俺だって部署を転々と転がされ続けて落ち着く暇もないし、今まで怒られまくってさ……自分が無能すぎて焦ってる」


 どうやら男の疲れの原因は彼自身の至らなさから来ているようだ。

 だがそんな状況なのに彼は笑ってこんな話をしている。


「だけどまぁ……まだもうちょっと転がされるだろうけどさ、どっかいい部署に拾われるのを俺は祈りながら全力を尽くしてるのよ」


「祈りながらですか?」


「そうそう、神様にね……だからお前も祈っておけ、次の適正テストの結果をさ」


「神に……祈る……そんな事をしても何の解決にもならないと思いますが……」


「祈るのはタダなんだ、別に良いだろうよ」


 その時カトルは初めて神に祈るという選択肢を与えられた。

 実力だけが全てのこの場所で、祈るのは時間の無駄だと思っていた。

 だが祈っていればこの男の様に、絶望的な状況でも余裕を持っていられるのだろうか?

 カトルは今日の今日までずっと焦りながら補修を受け、頭の中にずっと合格することだけを考えていた。

 だが今この男と話していて頭の中の焦りが少し落ち着いた気がする。

 そして落ち着いた頭に男の言葉がすらすらと入ってくる。


「神様ってのはちゃんと祈り続ければ、いつかは報いてくれるのさ……まぁ、ちょいと気まぐれ屋さんだがね」


「神様は……存在するんですか?」


「存在ねぇ……まぁ深く信仰してる人たちにはしてると言いたいところだが……何とも証明のしようが無いんだよな」


「ならなんでそれ程までに信頼できるんですか?」


 カトルの質問に男は笑いながら答える。


「人ってのは一人じゃ生きてけねぇ、どんなに優秀でもな! 何でだか分かるか? 縋る者が居ないからさ! 人は生きてりゃ絶対に挫折する時が来る、そんな時に頼れる物が無けりゃ立ち直れねぇ……だから神って言う証明の出来ねぇ存在が居る! 何故ならその存在に縋りたい奴らが世の中にいっぱい居るからさ」


 男は立ち上がり両手をいっぱいに広げ演説を始める。


「お前だって今落ちたらどうしようもなくなっちまうだろ? だが神様に祈っておけば千に一つの確率が百に一つの確立になるかもしれねぇ! ……まぁそれでも結果ってのは残酷な事を伝えるかもしれないが、それでも一人でがむしゃらに頑張り続けた挙句自分一人で結果の重みに潰されるよりはよっぽどいい」


「それは甘えだと……」


 確かに自分の結果が悪かった時、運が悪かったと諦めるのは簡単なことだ。

 しかしそれではいけないと、カトルは思う。

 カトルには後がない、これで落ちてしまえば処分されてしまうのだから。


「……確かにお前はこれ以上落ちれないかもしれない、もし落ちてしまったら処理待機室行きだからな……でももしかしたらそこから這い上がれるかもしれないだろ? かつては再評価を受けて処理待機室から抜け出した奴もいる、だから焦らず肩の力を抜いておけよ」


 カトルも過去に何人か価値無しの烙印を押された者が再び評価され、処理待機室から抜け出し前線に配属された事例を聞いたことはあった。

 何でも性格に問題があり落とされたが、能力の高さから再評価を受けたようだが。

 だがそんな事例は一握りの確率、あてにする物ではない。


「再評価は極稀です、僕がそうなるとは……」


「なに、推薦書なら書いてやる! 俺はお前がずっとここに入り浸って真面目にやってんのを知ってんだ」


 カトルの頭をぐりぐりと撫でながらにっこりと笑う。

 一般職員の推薦書など書いたところで反映されるとは思えはしなかった。

 それこそ神に祈るのと変わらない……。


「ふふっ……」


「お? やっと笑ったな」


「すいません、貴方の推薦書と神様に祈るのとどっちが確率が高いか考えてしまって……」


 この男は無能を自負し、実際に部署を転々としている。

 そんな男の推薦書など誰が読むのだろうか?

 だがそんな事とはお構いなしに彼は推薦書を書くだろう……彼はそういう男だとカトルは確信した。


「ははは、言うねぇ! ……まぁ確かに同等位だな」


「なら貴方は神ですかね?」


「柔軟な頭してるなお前、俺が神かぁ……悪くねぇ」


 神と言われたのが嬉しいのかうんうんと頷き、悦に浸っている。

 今までこんなにも自分を表に出している人間はカトルの周りにはいなかった。

 そして彼に触れているうちに、いつの間にかカトルも自分を表に出していた事に気づく。

 どうやら彼は周りを明るくする天才なのかもしれない。


「まぁ俺が神様ならまず先にこの国を滅ぼしたいなぁ……」


 ぼそっと小さな声でつぶやいたのをカトルは聞き逃さなかった。


「……この国が嫌いですか?」


「嫌いも何も、異常すぎて理解できない」


 この国の思想に染まったカトルにはそれこそ理解できない話だった。


「お前はこの国の事をどう教わった?」


「この国は、他国に戦火を広げて侵食していったイヴァンディア連合を打倒するために残りの国で構成された世界を正す神聖な国だと教わりました」


 イヴァンディア連合は悪の枢軸であり、それを打倒し世に正しさと平等を与える為に聖戦を仕掛けるフォルン公国。

 その歴史だけがカトルの知る国の歴史の全てである。

 だが彼はそれを聞くと深くため息を吐いた。


「まぁ真実は敢えて言わない事にしておくが、俺はその歴史をお前みたいな子供に仕込むこの国が理解できない」


「理解できないから、滅ぼすんですか?」


「違うな、悪性の塊だから滅ぼすんだ」


「この国のどこに悪があるんですか?」


 悪はイヴァンディア連合という認識だけが教わった事。

 であるならこの国の悪とはどこから来るのだろうか?


「それは、お前が探しな」


 それだけ言うと椅子を片付け、帰る支度を始めた。


「今日の補修はこれにておしまい、適正テスト頑張れよ!」


「肝心の補修を受けてないです、それに他の方もまだ来てないですし」


 いつもなら何人か補修を受けに来ているのだが、今日は誰も来ていないしそもそも補修すらしていない。

 いったいこの男は何をしに来たのかカトルには分からなかった。


「ああね、実は人払いしておいたのよ」


「何のために?」


「期待の新人が補修室に入り浸ってるって聞いてな、気になったんだ……後のない天才はこの国の真実が見えてるのかね」


「……で、どうでしたか?」


「さぁて、また次逢えたら教えてやるよ」


 それだけ言うと部屋を後にする。

 結局彼の名前も真意も分からずじまい。

 ただ言えることは、彼から見たこの国とカトルから見たこの国の景色は違って見えるらしい。

 それが気になり続けたカトルは、彼がひっきりなしに口にしていた神という存在を調べ始める。

 軍の書庫に勉強用の資料を取りに行くと嘘の申請を出し、一日神について調べ上げた。

 カトルは最初彼を理解できなかった、だが神を理解すれば少しは彼の事を理解できるかもしれないと思ったのだ。

 そうして調べるうちに神についての性質が何となく分かった気がした。

 神は全てを作り、善きものに祝福を与え悪しきものに裁きを与える。

 そして人の祈りを一身に受け祈りを叶える。

 それらの性質の中で悪しきものに裁きを与えるという性質は、彼が神ならこの国を亡ぼすと言ったあの一言を思い出させる。

 彼にとってこの国は神として裁きを与えるに値すると言う事なのだろうか?

 カトルは時も忘れて読みふけっていると、後ろから急に肩を叩かれた。


「こんな所で何をやっている?」


 職員の一人がいつまでたっても出てこないカトルを不審に思ったのか、見回りに来たようだ。


「すいません、興味深くてつい読みふけってしまいました」


「なんだこれは? 誰がこんな本を……まぁ次は気を付けるように、あとこの本は没収だ! いったい誰がこんな俗物的な本を……」


 折角手にした神について乗っている資料を職員に没収されてしまう。

 だがここで取り返しに行くような真似をしては、素行不良として拘束されてしまうかもしれない。

 惜しい気持ちをぐっとこらえて、勉強用の資料を持って資料室を後にする。




 それから一ヶ月後、カトルは二次試験を受けるが不合格判定を食らってしまう。

 グラフは前回より好調で部門ごとの点数は合格点を取っている。

 だが総合点ではギリギリ合格基準に届かなかった。

 谷から突き落とされたかのような深い絶望感。

 自分が立っているのか座っているのか浮いているのかすらわからない浮遊感。

 カトルはただただ立ち尽くすしかなかった。

 そのうちに職員に呼び出され、指定された部屋に入ると部屋の中には銃を構えた兵士たちがこちらを睨んでいた。


「呼び出された理由は分かるな」


「……はい」


「君は皆と同じだけの訓練を受けておきながら、皆の基準に達することが出来なかった! よって君を価値無しとする!」


「……分かりました」


 奥歯が砕けんばかりに噛み締めながらもその言葉を口にする。

 兵士としての道は愚か、人生そのものが終わったのだ……完全に。

 うっすらとした意識の中、気づけば処理待機室に連れていかれた。

 そしてされるがまま拘束具を取り付けられ、柱に固定される。


「お前の処理は明後日だ、それまで精々悔やむんだな」


 そう告げられようやく目が覚めたかのようにカトルは暴れ出した。

 口には猿轡が嵌められており唸り声しか出ないが、死にたくないという衝動を抑えきれずに全力で声を上げながら暴れ続けた。

 そして一時間も騒いだ後、カトルの声はガラガラになっており、騒ぐ手段を奪われたカトルは次に悔し涙を流し続けていた。

 周りからもすすり泣く声や怒号、そして壊れたラジカセの様に同じところばかりがループする鼻歌も聞こえてきた。

 ここに居るものは皆自分の様に落ちるところまで落ちたどうしようもない連中。


(僕は……こんな所で終わるのか……)


 いつの間にか心の奥にあった悔しさは情けなさに代わっていた。

 一日中自分を責め続け、ただでさえ苦行なこの時間を更に苦しいものに変えながら……。

 だが拘束から二日たった頃、カトルの記憶に一つの言葉が浮かんできた。

 それはあの男が言っていた祈るという言葉……困ったときの神頼みである。

 前のカトルならそんなことは無駄だと一蹴していたかもしれないが、この極限状態ではそうする外なかった。

 ただ祈り続ける、今日が命日にはならぬようにと。

 そんなカトルの耳に扉が開く音が聞こえる。

 遂に処理が決行されるのだろうか?

 もしそうなら祈りは届かず、神はカトルを見放したのだろうと……。

 全身の力が抜け、頭の中は真っ白になってしまった。

 しかしそんな最悪の予想は聞こえてきた一言で覆ったのだ。


「やあ初めまして、自分は結城涼真っていいます……今から君たちを解放してある場所に連れていきます……その際に絶対に騒がないでください、騒げばみんな死んでしまいます、自分は君たちを救いに来ました……だからお願いです、どうかみんなで生き延びましょう!」


 カトルの祈りは届いた!

 神はカトルに祝福を与えたのだろう、どんな状況とはいえ自分はまだ生きていられる。

 その事実が堪らなく嬉しくなり、結城の話を聞いて真っ先に首を縦に振る。


「ありがとう……今拘束具を解くから待ってて」


 三日ぶりに解かれた拘束、すぐに立ち上がることは困難だったが次第に感覚を取り戻す。

 死を待つだけだったカトルは、こうして神に助けられたかのように生き長らえることが出来たのだ。

 しかしカトルには一つだけ心残りがあった。




「僕に神という存在を教えてくれた彼は今どこで何をして居るんだろうか? このまま行けば僕は彼と敵対することになるんだろうか?」


 これがカトルの悩み。

 彼はこの不安を抱え続け、その不安が解けることをひたすらに神に祈っていた。

 そしてその祈りの強さ故夜にうなされる結果になった。


「……これは僕だけの問題です、気にしないでください」


 悪夢でうなされるほどに困っているのはカトルのみ……しかし仲間としてはそういう訳にも行かなかった。


「アホ抜かせ、ルームメイトとしては気になってしゃーないわ!」


「確かにカトル君の問題かもしれないけど、一人で抱え込まないでくれ」


 ルームメイトのセイもカトル達を気にかけている結城も、はいそうですかという訳にも行かない。

 しかしこの悩みを解決するにはどうしたらいいのだろうか?

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