Petals in love
私は花の精霊。見た目は人のそれと変わらず、人と同じ空気を吸い、同じ空の下で生きている。
かつては小さな花弁を広げて蝶を待つ花だった。花であった時は、自由に憧れた。生まれ落ちた土の上、毎日変わらぬ風に吹かれて、出来ることと言えば太陽と話すことくらい。
「太陽さん。明日は何処から来ますか?」
「東からだよ。せっかちな雲が一緒に来るよ」
答えは決まりきっていた。そうと知りながら、聞くことをやめられなかった。
「明日は何処から来ますか」
私の明日は、何処にありますか。
晴天の下、どうしようもなく気が塞ぎ、花弁を閉じて静かに俯いていた。すると青い蝶が舞い降り翅を閉じて言った。
「どうしたの」
「陽の光が怖い」
「どうして」
「あれは繰り返しの象徴、時間が止まってしまう。同じ時間の中に閉じ込められて、私は咲いているのか枯れているのか、わからなくなるの」
「面白いことを言うね。安定した時間の海は、心地よいと違うの? 不安を想起させない透明度、何処までも続く姿は永遠を思わせてくれるのに」
「永遠が欲しいわけじゃない。いま此処に居る意味が見たいの」
「そう」
蝶は手を伸ばして言った。
「いいことを教えてあげる。今日は満月。願い事を叶えてくれるそうだよ」
「そうなの?」
「うん、梟が言っていたから間違いない。でもね」
蝶は翅を伸ばして言った。
「本気の願いほど、覚悟が必要だよ」
蝶は翅を羽ばたかせ、青い空に吸い込まれて行った。
その夜、私は願った。そして、人の姿を得た。
***
人には脚がある。自由に動ける脚が。
人には声がある。呼び止める声が。
人には感情がある。受粉を喜ぶだけじゃない、数え切れないほどの気持ちの種類がある。
あるとき、太陽の下でその人に会った。笑顔を見た瞬間、初めての喜びと初めての苦しみを同時に味わった。会えて嬉しい、私を見てくれて嬉しい。だけどこれ以上近づけない、触れられなくて苦しい。
人間のみが持つ、恋という感情。
自由な人間がする恋は自由だった。
しばらくして、彼がずっと隣にいてくれるようになった。だから沢山愛した。時間も心も言葉も温もりも全部、求められるままに捧げた。それが私のしたいことだった。
「ごめん」
私がもらったものは、それだけだった。
自由な人間がする恋は自由だった。この世には、美しい花が所狭しと咲いている。
そして初めて涙した。
彼は顔を寄せ、頬にキスを落とし、無数の花弁となって風の中に舞い散った。
そこで私は気づいた。私は毒花であったと。
幸いにも、今宵は満月。だから願おう、消してください。
けれどその夜、私は窓のない暗い部屋の中に独りきり。閉じ込められていた。
「何をしたか、分かっているね」
人の世界には法がある。邪な心を睨む法が。
彼らが科す罰は肉体的懲罰ではない。罪を償うのは命。
人を溶かしてしまった咎で、私の寿命は削られた。あと二年、そう言われた。
その証拠に、胸元には薄い三日月の痣。この霞色の模様がさらに欠けて薄くなり、消えたなら、私の瞳も永遠に閉じられる。
二年も待てない。解放され、沈みゆく天の月に向かって手を伸ばす。けれどもちろん届かない。思い知った。私は何も変わってない。声が無く何も出来ず、無力で非力で、恨むことしかできない。涙が溢れた。
「大丈夫ですか」
視線を合わせず何も言わない私にハンカチを渡し去っていった彼。指先に残る温もり。
二年も待てない。また罪を重ねる前に、早く消してよ。
***
私の本質は花であるので、花の気持ちがよく分かる。故に花屋と呼ばれる花の棺桶に身を置いている。栄養が欲しいのか、新鮮な空気が欲しいのか、或いは愛でる視線を欲しているのか。今日も仲間と会話しながら、「いつもの一日」を期待した。
「いらっしゃいませ」
期待はすぐに崩れ落ちた。
「またお逢いしましたね」
ハンカチの人だった。自分自身に罪の香りを感じて、視線を反らす。始めることに意味はない。この先にあるのは、さよならしかないのだから。
*
ある時、彼は言った。
「本当は、何度か行ってるんです。あなたのお店」
気づかなかった。人は、見たいものしか見ていない。
別の日、彼ははにかんで言った。
「本当は、ずっと見てたんだよ」
信じられない。人は、信じたいものしか信じない。
始めても意味はないから、全てを話した。私の罪、私の価値、全てを。
お願いどうか、大嫌いになって。
彼は微笑みをこぼして言った。
「可愛い」
「心にも無いことを」
「ごめん、説明させて。君は、愛することは上手なのに、愛されることにはとても不器用なんだね。そのギャップが、たまらなく可愛いなと思って」
「そうですか」
「信じてないね。まあ、当然と言えば当然かな。君が経験したそれは、長くて儚い片想いみたいだから」
耳が痛い。心が痛い。頭が痛い。花であったなら、感じる必要のなかった痛み。感情など知らなければ、涙とも無縁だったのに。けれどそれがなければ、笑顔もなかった。あなたの瞳に希望を感じることも、なかった。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「何でしょう」
「どうしてそんなに落ち着いていられるの。あと二年なんでしょう」
「遅かれ早かれ、全ては終わりを迎えます」
「それでいいの?」
「どうして?」
「どうしてって……。やり残したこととか、無いのかなって」
もし、一つだけ、願っていいのなら。
「……あの」
「うん?」
「……手を、繋いでも、いいですか……」
ゆっくりと彼の手が迎えに来て、次第に広がる温もり。この先に幸せがなくてもいい。今この瞬間、私は希望と繋がった。その事実があるだけで、十分だから。
泣いたらだめだよ。強くいなきゃだめだよ。
私は毒花だから。これ以上希望を汚しては、だめだよ。
「ねえ」
視線を手元に落としたまま、何も答えなかった。
「こっち向いて」
頑なに拒んだのに、もう一方の手でそっと顎をすくい上げられた。すぐそばで輝くその瞳。
「その二年間、本気で愛するから、君の二年間、俺に頂戴」
涙が止まらなかった。彼はそれを拭ってくれたけど、決して溶けたりしなかった。悲しい涙と嬉しい涙は、全く違う色をしている。今宵、月は薄く瞬き、密かに優しく微笑む口元のよう。
あの夜、月に願ったことがようやく叶った。
「運命の人の腕の中で、落花させてください」
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