【母からのメッセージ】
「またね」
「……うん」
一言二言、軽い会話をした璃子は、洒落た自転車で今までの進路とは反対方向へと走り去る彼にゆるく手を振った。
まるで気化したみたいに関係が変わってしまった。一人になって、改めてそれを実感した璃子は、貧血を起こしたようなふわふわとしていて重い感覚に包まれながら、家に入る。すると、ダイニングの出入口から彼女の父が身を乗り出してくる。
「おかえり」
「あ、お父さん……。ただいま。今日、いつもより早かったっけ」
「予定より早く仕事が終わったんだ。さっきまで玄関前に、彼がいただろう? 夕飯、一緒に食べてきたのか?」
「ちょっとだけ食べちゃったけど、お腹減ってるかも」
「そうか。この前出かけた時に食べた中華、美味しかったって言ってたから、テイクアウトしてきたんだ。食べよう」
「ほんと? やった」
制服からラフな格好に着替えた璃子が食卓につくと、少しだけ冷めてしまっているものの、食欲をそそる香りを届ける料理が彼女を出迎えてくれた。
「さすがに炒飯は無理か?」
「うん。こっち食べる」
大きな叉焼の角切りが贅沢に入っている炒飯は気になるものの、胃袋の容量をオーバーしてしまうと潔く諦めた璃子は、甘じょっぱい粽を齧る。
「気に入ったのなら、また行こうか。今度は、彼と……それから母さんも誘ってみるか?」
お茶の葉と海老を炒めたという日本では珍しい料理に夢中になっていた璃子だったが、父親の言葉によってピタリと手が止まり、箸をテーブルに置いてしまった。
「……いいよ、そんなことしなくて」
「彼の顔を見てみたいんだ。璃子は頑なにうちに招待しないから……」
「じゃあお母さんは呼ぶ必要ないよ」
「母さんも、気にしているんだ。その……初めての彼氏だからな」
「今さっき別れたから、彼氏じゃない」
今度は、父親が動きを止め、手にあるレンゲをテーブルに置く。
「喧嘩でもしたのか」
「喧嘩だけが別れる理由じゃないって、お父さんが一番分かってるでしょ」
自分が驚いてしまうぐらい、冷ややかな声が出た璃子は、はっと口を押さえた。
「璃子」
残り少ない粽を口に放り込み、吐き捨てるように『ごちそうさま』と呟いた璃子は、席を立とうとした。しかし、あまり怒ることのない父親がもう一度、そして部屋中に響くぐらいの荒い声色で彼女の名前を呼んだことで肩を震わせ、動きを止める。
恐る恐る背を向けた父の方を見ると、彼自身も大声を上げたことを後悔しているかのように顔が歪んでいる。
「……母さんが、会いたがっているんだ」
「会わない」
「母さんが嫌いか?」
「お母さんに会うと、隣には絶対あの人がいる。それが嫌なの」
それ以上話す気になれなかった璃子は、背中に当たる声に気づかなかったフリをして自室に逃げた。
逃げてばっかりだ。と小さく呟いた彼女は、スマホのホーム画面の片隅で、もう三日ほど赤いバッジがつきっぱなしになっているアイコンをタップし、届いているメッセージにようやく既読のマークをつけた。
メッセージ自体は、ベランダで育てているゴーヤでこういう料理を作ったとか、気分転換に少し遠出したとか、他愛のないものばかり。滑らせるように璃子はそれらの近況報告を目に通す。
しかし、最後の方にあった海岸沿いを撮影した写真によって顔を顰めた璃子はスマホをベッドに放り投げ、今度は浴室へと逃亡する。
はにかむ母親と、その隣で真っ白な歯を見せて笑う女性の写真は、スマホの自動スリープによってパッと消えて真っ黒になり、薄暗い部屋の有象無象の一部と成り果ててしまった。
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