【自転車】




「りーちゃんと放課後に一緒にいるの久しぶりだな」

「ごめん、私がすぐに帰っちゃうから……」

「いやいや、俺が部活終わるの遅いせいだよ」

 本当は安定感がなくて怖い自転車の荷台に座るのを我慢して辿り着いた駅前のマクドナルド。その店内の片隅にあるカウンター席で、璃子は会話を途切れさせないように必死だった。

(先輩となら、こんなことないのにな)

 璃子と部長以外はほぼ幽霊部員ゆえに、狭苦しくも丁度いい広さの部室で軽快に言い合える二人だけの空間。ほんの少し前までいたその場所が、もう恋しくなり始めている。そんな自分の見苦しさを誤魔化したくて、璃子は口にフライドポテトと巨峰シェイクを詰め入れた。

「──それでさ、今日の練習でめっちゃ綺麗にスリーポイント決められたんだよ」

 あ、この組み合わせに似てるかも。と、ふと璃子は隣の彼にそんな印象を抱いた。

 ポテトとシェイク。美味しい組み合わせ。けれど、毎日食べるには苦しい。目の前の彼もそう。バスケ部の人気者で、とても優しい性格。けど、いつもその優しさを貰っていると苦しくなってくる。

 だけど、苦しくなるのは自分のせい。我儘で、臆病なせいで、安寧を選んだからだ。そう自嘲した璃子は、そろそろ話題が尽き始めていることに焦りながら目の前の窓に広がる景色を見下ろす。


「あっ」

「え? どしたの」

「……そういえば、そろそろ県選抜だったよね。何日だっけ、応援しに行かなきゃ」

「応援! 嬉しいな。二十七日だよ」

 どうにか、彼の意識を窓の景色から逸らせたことに安堵しつつ、璃子はもう一度目を凝らした。

 毛先がくるくるしているチョコレート色の長い髪、マシュマロみたいに白い肌。そして、ビルの二階にある店内からでもその輝きが分かる蜂蜜色の瞳。日本の海沿いにあるこの町より、ロンドンの街中の方がよく似合うその姿は間違いなく、文芸部長である彼女だった。

 待ち合わせの目印として親しまれているカメラ型の時計看板の下。そこで手持ち無沙汰にスマホをいじっていた部長はやがて、目の前の路肩に停まった車によってパッと顔を上げた。

 璃子が想像する外国車より静かな北欧製の車から降りたのは、背の高い男性だった。真夏の眩しい日差しで金髪と青い瞳を輝かせながら彼女の方に歩み寄った彼は、一言二言話をすると、彼女を車の助手席へとエスコートした。

 やがて、男性の運転によって発進した車は、他の車に紛れて遠くへと去ってしまう。


 隣の彼に返事をする気力さえ残っていなかった璃子は、その光景を呆然と眺めていた。

「りーちゃん。あの島、なにか知ってる?」

「心霊スポット」

 甘いチョコレートと蜂蜜、煌々と輝く金と蒼。その二つが目に焼きついてしまった璃子は、再び座っている荷台の恐ろしさも忘れ、投げやりに自分が知っている情報を左隣にいる彼へと投げかけた。

 そんな二人を乗せた自転車が走る道路。そこから見える海では、ゴツゴツとした岩が波に打たれている。

 その中でも一際大きな……島というべき巨大なそれは、素行がよろしくない学生の間で、度胸試しのスポットとして有名だ。すぐ近くにある奇勝地の崖が、昔は自殺場所として有名だったのもあり、海を彷徨う幽霊が辿り着くなんて噂が絶えないのだ。

「行ってみない?」

「ごめん、無理」

「あ、怖いのダメだった?」

「……別れよう」

 丁寧に整備されているのがよく分かる、小気味よいブレーキ音とともに自転車が停止したことで、横座りをしていた璃子は必然的に両足をアスファルトにつけた。

「りーちゃん、好きな人いるだろ」

「……あの島、本来は縁結びの神様がいる所でしょ。あなたに、そんなことさせたくない。私みたいに、なっちゃダメ。こんな最低なヤツ、きっぱり忘れてください」

「そんなりーちゃんが好きなんだよ」

「ダメだよ、頑張っても、あなたのこと好きになれないんだもの。優しくて素敵な人なのに、楽しいはずなのに、私にはもったいないぐらいの人なのに」

「……りーちゃんは、それが怖かったんだろ。だから、俺と付き合ってくれたんだ」

「ごめん」

「りーちゃん、俺に謝ってばっかだな」

「だって、私、ずっと申し訳なかった。周りの子達に、『彼氏いたことないんだ』って聞かれるのが怖くなってた頃に、あなたが告白してくれて、もしかしたら好きになるかもしれないって、馬鹿だったの。結局、あなたのこと好きになれない自分自身を罵ってばかり」

 話せば話すほど、肌が真っ白になるぐらいにきつく握り締められてしまう璃子の手は、大きなバスケットボールを容易に持てる片手によって解かれた。

「手、大事にしなきゃ。俺、りーちゃんの小説のファンでもあるんだから、手に怪我したら泣いちゃう」

「放っておいて。……やなヤツだって、思ってくれたらいいのに」

「無理だね。家まで送らせて。それまでは、りーちゃんと俺は恋人。彼氏としての俺の最後の我儘。ね、お願い」

 最後の我儘の代償として璃子が彼の背中に体を寄りかからせると、彼が愛用している制汗剤の爽やかな匂いが漂ってくる。それがどうしようもなく璃子のささくれた感情を落ち着かせてくれた。

 好きとは違う。そう、信頼だ。彼には信頼しか抱けないのだ。璃子はそうやって、三か月前の自分の浅はかな決断を後悔した。

 高校一年目の夏。別れというには、あまりにも優しい出来事に、璃子は荷台の上で揺られながら、静かに涙を流すのだった。


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