伍:夢

「いやぁ、大盛況、大盛況!」

 先週から二週間の日程で行われているのは、国内外で活躍する若手アーティストの作品展示会。

 販売会も兼ねているので、購入希望者は作品名と金額を記入した紙を指定の箱に入れ、最高額を付けた人に後日四月朔日わたぬきから購入の意思確認が行われる。

 そこで入金すれば売買成立となる。

 この購入方法は、四月朔日わたぬきの『若手っていう理由で作品が買いたたかれるのを防ぎたい』という思いが込められている。

 それに、展示中の作品に〈売約済み〉という札を貼るのは美しくないというのも理由の一つだ。

「作家さんたちも楽しんでいるみたいですね」

 今日は珍しく少し綺麗めのジャケットを着ているエレクトラムは、シャンパンを乗せた銀のトレイを持ちながら四月朔日に話しかけた。

「自分の作品を熱心に評価してくれる人に出会えるチャンスだからね。是非とも素晴らしいパトロンと出会ってほしいよ」

「オーナーも買うんですよね?」

「もちろん! もう五枚くらい入札用の札を書いたよ」

「おお、さすがですね」

「ラブラドル君も何か展示してみればいいのに」

「いやいや。わたしが発掘してくるもののほとんどは呪物ですよ? 解呪したとしても、人間に売るのはちょっと気がひけます」

「そうかなぁ。素敵だと思うんだけどなぁ」

 四月朔日は本気でそう思っているようだ。

 こういう催しが開かれるたびに展示を勧められる。

「いいのがあったらですかね。じゃぁ、わたしはそろそろ館内の巡回に戻りますね」

「うん。よろしくぅ」

 普段、こういった展示会の時はウェイターにはならないのだが、学芸員の一人が高熱で休むことになり、急遽エレクトラムが助っ人に入ることになったのだ。

「ふぅ。ジャケットは肩がこるなぁ」

 エレクトラムは休憩室へ行き、いつものカーディガンに着替えると、一階と二階の巡回へと戻った。

「……気のせいなのはわかってるけど、なんだか顔の周りがシャンパンくさい。珈琲休憩とっちゃおうかな」

 エレクトラムは喫茶店へ向かい、マスターに頼んで持ち帰り用の紙カップに珈琲を入れてもらった。

 珈琲の香りには鼻に残った臭気においをリセットする効果があるらしい。

 正面出入り口から外へと出て、晴れた寒い晩秋の夜空の下、白い息を吐きながら珈琲を飲んだ。

「……都会は明るいねぇ」

 前の道路を行きかう車のライト。

 少し離れた場所には巨大なビル群。すべての電気が消えている光景は見たことが無い。

 エレクトラムが生まれ育ったアヴァロン島とは大違いだ。

「穏やかに移り変わる季節はとっても好きなんだけど、夏の暑さだけは慣れないなぁ」

 アヴァロン島は基本的に寒い。

 若干の春はあるが、夏という気候は存在しない。あっても、日本でいう所の初夏くらいの気温。

 どちらかと言えば、寒い方が得意ではある。

「ふぅ……。戻るか」

 エレクトラムは飲み終えた珈琲のカップを博物館の外に備え付けてあるゴミ箱に捨てると、館内へと戻って行った。

「一度封鎖いたします! ご気分のすぐれない方はすぐにお申し出ください!」

 何やら三階から大きな声が聞こえてくる。

 急いで階段を上って三階の展示室前へ行くと、そこには動揺した来館者たちと、困った顔をした四月朔日と学芸員たちが立っていた。

「どうしたんですか?」

「おお! 待っていたよラブラドル君!」

「え、一体何が……」

「それがね……」

 四月朔日によると、今回展示している若手芸術家アーティストの作品の中に、呪物が混ざっていたらしく、来場者の多さに興奮して発動してしまったのだという。

「ああ、そういうことですか……。じゃぁ、解呪を……」

「や、やめてください!」

 そう叫んだのは、作者の女性だった。

「え、で、でも……」

「私、魔法族のアーティストで……。あののろいも込めての作品なんです! 今日は暴発してしまいましたが……、ふ、普段は大人しいんです! 美しい作品なんです!」

「ううん……」

 エレクトラムは泣きながら訴えてくる作者に狼狽うろたえつつ、「一度、作品を見せていただいてもよろしいでしょうか」と案内を求めた。

「わたし、さっきまでウェイターをしていたのですが、まさか呪物だなんて気付きませんでした」

「あ、ああ……。それは私が絵のそばにずっと立っていたからです。買ってくれた人にだけ、のろいがかかっている旨を説明しようと思っていたので、感知すらできないよう結界を張っていました」

「な、なるほど」

「だって、アーティストの間ではこの〈二十一時の博物館〉は夢への懸け橋として超有名ですし、それに、魔女族の魔法使いが働いているのも知っていたので……」

「だから必死に隠したんですね」

「そうです。呪物だとわかったら、きっとおいてもらえないだろうと思って……。今回の展示会はやっと巡ってきた大きなチャンスなんです! 失敗したくないんです!」

「あ、そ、そうですよね……」

 しかし、他の来館者に被害が及ぶのはとても困るし、四月朔日も望まないだろう。

「こ、この絵です」

「ああ……」

 たしか、とても美しいフランス人形を抱いた少女の絵、だったはず。

 それが今は血の滴る大鎌を持ったフランス人形の絵に変化している。

「これ……、出てきたりします?」

「夢には出ますが、こちらの世界に出てくることはありません」

「あ、そうなんですね」

 夢に出てくるのも正直どうかとは思うが、それも含めて芸術アートなのだと言われたら、エレクトラムには何も反論できない。

「えっと、その……。のろいがかかっていることを購入してくれた方にだけお伝えしたいという気持ちはわかるのですが、この通り、いろんな方の目にすでに触れてしまったので、出来ればキャプションか何かに明記していただきたいです。この博物館のことをご存知ならば、呪物の展示室がどうやって守られているかもご存知ですよね?」

 作者の女性はハッとした顔をしてうつむき、黙ってしまった。

「芸術は万人受けするものというよりは、個人で向き合い、その価値を自分自身の中に見出して愛していく、というのはわかります。でも、安全は万人にいきわたらなければなりません。ここが博物館である以上、それをないがしろには出来ないんです」

 女性は鼻をすんすんと鳴らしながら、ゆっくりと頷いた。

「解呪はしませんが、キャプションへののろいの明記と、展示期間中の強固な結界はこちらでご用意させていただきます。もしのろいが発動した後の絵も来館者の方々に見ていただきたい場合は、写真にてご用意いただけますと幸いです」

 女性は顔を上げ、自身の作品を見つめながら、大きく一度頷いた。


 一週間後、なんとか無事に展示会を終え、購入希望の用紙が入った箱を開けてみると、溢れて床まで雪崩れてしまうほどの紙が入っていた。

「すごい! 前回よりも多いぞ!」

「あののろいの絵の騒動で話題になりましたからね」

 学芸員たちは「もうくったくただよ。あの絵の説明、何度したことか」と、休憩室のソファで溶けたように座っている。

 疲れているところを何とか奮い立たせ、全員で集計すること一時間。

「展示してあった作品全部に購入希望があるぞぉ!」

 四月朔日の言葉に弱弱しいながらも歓声が上がった。

 この二週間、慣れない接客をしながら博物館の通常業務もこなしていた学芸員たちは、力の抜けた声を出しながらも、大喜びしている。

「頑張った甲斐があったー!」

「これで全員有名になったら嬉しいよなぁ」

「誰かの夢が叶う瞬間ってどうしてこうも嬉しいんだろう」

「だからこういう展示会って疲れるけど嫌いになれないんだよねぇ」

「つい頑張っちゃうよな」

「そうそう。ああ、今日はよく眠れそう」

「俺は論文あるから寝れないけど」

「私もだわ」

 他愛のない雑談の中にも、喜びがあふれている。

 そのくらい、〈二十一時の博物館〉にとっても大事なイベントなのだ。

「あの作品も購入希望があってよかったですね」

「本当だよ、ラブラドル君! 七人も購入希望がいるよ」

「わぁ、作者さんも喜びますね」

「うんうん!」

「それで、オーナーは買えそうですか?」

「今回は無理そうかなぁ。お客様の方が何枚も上手みたい。ああ、欲しかったなぁ」

 四月朔日は残念そうに自分が書いた紙を見つめている。

 いつもは一作品か二作品は購入出来ているのだが、今回はどの作品にも夢のある価値が見出されており、手が届かなかったようだ。

「嬉しい悲鳴だね」

「そうですね」

 薄暗かった空に、太陽の光が輝き始めた。

 ただ、今目の前にある夢の方が眩しくて、エレクトラムはそっと微笑んだ。

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