肆:琥珀
「……艶々だね」
呪物展示室に安置されている
「でも、ちょっと伸びすぎかな……、髪」
先週は肩くらいだった髪の毛が、今はかなり伸びて展示用ケースの中をうねっている。
「どうする? またあの人が来る前に整えてもらう?」
梅乃ちゃんは瞬きして「うん」と表現した。
「じゃぁ、閉館後にいつものお寺に行こうね」
梅乃ちゃんはまた瞬きをしてみせた。
〈二十一時の博物館〉には梅乃ちゃん以外にもこうした人形が数多く展示されている。
日本人形やフランス人形には、亡くなった我が子を偲び、子供の髪を使って作られているものもあるため、呪物になりやすいのだ。
本来は独りでに動かないはずの人形だが、髪が伸びたり瞬きしたり笑ったりは序の口。
梅乃ちゃんや他の力が強い
『恋バナ聞かせて』や『館内BGMで流行りの曲が聞きたい』、『今日の服似合ってるね』など。
みんな仕事中にスマホを見続けるわけにはいかないので、休憩時間に「メール見たよ」と話しに行くことも。
始めはおびえていた新人も、一ヶ月もすれば慣れてしまい、人形たちからのメールにまったく違和感を抱かなくなる。
「朝陽が昇るの、遅くなったなぁ」
もうすぐ立冬。
暦の上では冬がやってくる。
「お、閉館だ」
閉館を知らせるチャイムが鳴り響いた。
エレクトラムは残っている人がいないかすべての階を確認し、必要な雑務をこなして
「お疲れ様、ラブラドル君。梅乃ちゃんをよろしくね」
「はい。また可愛くしてもらってきます」
帰る前に呪物展示室へ行き、展示用のアクリルケースから梅乃ちゃんをゆっくり慎重に取り出すと、ふかふかのクッションを敷いた鉄製の箱に入れ、ふたを閉めた後に封印用の札を貼った。
いくら仲の良い人形だとは言え、呪物は呪物。
外に持ち出すには特別な技術が必要なのだ。
これからエレクトラムと梅乃ちゃんが向かうのは、台東区にある寺。
そこは一見すると地域に根差した古き良き伝統と歴史を持つ由緒正しい寺なのだが、実は魔法界ではとても有名な仏教系退魔師の育成所としての役割も担っている。
梅乃ちゃんの髪を切ってくれるのは、そこの住職の娘。
美容師の免許を持っており、当然退魔師でもあるので切った後の呪物たちの髪のお炊き上げもお手の物。
まさに適任者というわけだ。
杖に乗って空を飛ぶこと十五分。
朝焼けの中に佇む静謐な雰囲気を醸しているお寺、
「おはようございまーす」
「お、エリーじゃないか」
エレクトラムは石畳の上に降り立つと、住職の
「やっとうちの修業を受ける気になったのか?」
「ち、違いますよ。今日は……」
来た理由を説明しようとしたとき、墓地がある方から小柄な女性が走ってくるのが見えた。
「あ、
「おうおう、来たな。いつも言っていると思うが、散髪の頼みはもっとはやく言ってくれ。おかげで、こんな時間に起きる羽目になったぞ」
「す、すみません」
十年前に起こった大規模な百鬼夜行で夫を亡くしてから、実家であるこの
夫の遺体は依然として見つかっていないという。
「冗談だ。呪物の散髪が出来る術師は限られている。私にまかせておけ」
「いつもありがとうございます!」
エレクトラムは小脇に抱えて持ってきた梅乃ちゃん入りの鉄の箱を渡し、頭を下げた。
「じゃぁ、二時間後くらいに梅乃ちゃんは私が博物館まで届ける。
「え、迎えに来ますよ」
「いいんだ。見たいものもあるし」
「あ……。わかりました。では、よろしくお願いします」
エレクトラムは再度二人に頭を下げると、杖に跨り、再び空へと飛びあがった。
(きっとあれを見に来るんだろうなぁ……)
武器防具の展示室の一番眺めのいい場所に、一振りの刀が展示してある。
名は
十年前、百鬼夜行を食い止めるために戦い、自らの魂と刀を使って妖魔たちを封印した英雄、
その英雄こそが、
百鬼夜行はそうとは知らない人間の間でも、真冬の台風という異常気象が話題となり、ニュースでも取り上げられた。
あれはまさに、日本という国の危機だった。
各宗教宗派の退魔師に多くの犠牲が出た。その傷跡は、今もまだ当事者たちの心に深く刻まれ、癒えることはない。
各国の救助隊が被災地に救援のために派遣されたが、ただの台風では起こるはずもない数々の悲劇を目の当たりにし、涙を流したという。
事件当時、エレクトラムはまだ十二歳。子供だった。
日本という国で起こった百鬼夜行という惨劇は、アヴァロン島でも連日話題に上ったが、大人たちが話している内容は難しく、正確な情報までは理解できなかった。
でも、父と母が新聞を読んで涙を流しているのを見て、大変なことが起こっているのだということだけはわかっていた。
だからかもしれない。日本という国に、強烈な興味を持ったのは。
父と母が悲劇に胸を痛めるほど気にかけている国。
「平和だな……」
エレクトラムはマフラーでしっかりと首元と口を覆い、自宅へと戻って行った。
二十時、いつも通り起きたエレクトラムは身支度をし、博物館へと向かった。
今日はいつも以上に寒い。
ニュースでも、天気が悪ければ雪になっていたかもしれないと気象予報士が言っていた。
「おはようございます」
従業員用の扉から入り、すでに来ている四月朔日や学芸員のみんなに挨拶をする。
「あ、ラブラドルじゃん。久しぶりぃ」
「おかえりなさい、笹野さん。ピラミッドの調査はどうでした?」
「俺もユダの銀十字架見たかったなぁ」
「ヴァチカンに行けば見られますよ」
「そんな金ねぇよ……」
笹野は溜息をつきながら「あ、そうそう。これ、お土産」と、箱を渡してきた。
「これは……。おお、ラピスラズリ」
「そ。知り合いに魔女族がいるって言ったら、教授が『役に立つと思う』ってくれたんだ」
「おお、嬉しいです。ラピスラズリには魔除けの効果があって……」
その時、エレクトラムの頭にある考えが浮かんだ。
そして、自分でも驚くほど速く、ある場所に向かって走り出していた。
(まだ、生きてるかも!)
エレクトラムが向かったのは武器防具の展示室。
目的はそう、
目の前まで来ると、アクリルケースを外し、話しかけ始めた。
「あの、聞こえてますか?」
すると、刃がわずかに光を帯びた。
(やっぱり)
「まだ体力はありますか?」
刃が強く光った。
「ラブラドル君、何をするつもりなんだい?」
四月朔日が展示室の入り口で心配そうに見つめていた。その後ろには笹野をはじめとする学芸員たちもいる。
「わたし、
「……え! で、出来るのかい⁉」
「そのためには、大きな生体物質の宝石が必要なので、まずはそれを探さないと……」
すると、古生物学担当の月島が四月朔日と目配せし、走って行ってしまった。
「ラブラドル君。ここは博物館だよ? それなりの大きさの琥珀や珊瑚、マザーオブパールなら、すぐに用意できるとも!」
「じゃぁ……」
「琳花さんに電話してこよう。三階の展示室を使ってくれ」
「はい!」
四月朔日がスマホで連絡を取り始めると、他の学芸員たちも駆け出した。
館内にあるありったけの宝石を集めてくれるという。
エレクトラムは刀を持ち、三階へと急いだ。
一時間後、すでに開館している博物館に、琳花が息を切らして駆けつけてきた。
足がもつれそうになりながら、三階までの階段を上る。
展示室の前につき、深呼吸をした彼女は、ゆっくりとその扉を開け、中へと入った。
「……ただいま、琳花ちゃん」
少し枯れた低い声。
十年間、刀の中で戦い続けてきたのだろう。
やつれてはいるが、筋骨隆々の名残が伺える。
「え、エリー、四月朔日さん……、これって……」
琳花の視線の先に立っているのは、黒髪が膝まで伸び、髭がぼうぼうの男性だった。
それでも、その精悍な顔つきと、美しい黒い瞳が、誰なのかをすぐにわからせてくれた。
「……お、おかえり! おかえり……、あなたっ」
琳花は
「会いたかった! ずっと、ずっと、待ってた!」
泣きじゃくる琳花の姿にもらい泣きをしたエレクトラムと四月朔日は、自然と拍手をしていた。
「え、え、エリー」
琳花が泣きながら声をかけてきた。
その背を、
「ど、どうして……」
「梅乃ちゃんのおかげなんです。あと、笹野さんの指導教授」
「……へ?」
「梅乃ちゃんが人形なので気づくのが遅れましたが……。有機物で作られているとはいえ、人形が髪を伸ばしたり恋をするのってかなり不思議なことですよね。普通はそんなこと起こらないです。ということは、人形の中に眠っている何かがちゃんと齢を重ねていて、しかも生気があるってことなのかもって思ったんです」
それに、と、エレクトラムはラピスラズリを手に乗せながら微笑んだ。
「ラピスラズリの退魔の力を説明しているときに思い出したんです。宝石にはそれぞれ力があって、その中でも、生体物質の宝石には、悪霊や妖魔を閉じ込める力がある、と」
そこで、エレクトラムは
「遺体が無いということは、魂魄のすべてを封印に使っていると思ったんです。だから、こうして身体ごと分離することが……、うわあ!」
説明している途中で、琳花と
「も、もう、危ないですよ」
エレクトラムは照れて顔を真っ赤にしながら呟いた。
「嬉しくて嬉しくて……。この恩は一生かかっても返せないよ」
「いえいえ。わたしの方が恩返ししたんです」
「……それはどういう」
「日本を守ってくれましたよね。ここは父と母にとって大事な国なんです。それを守ってくれた人に恩返しをしたまでなので、お気になさらないでください」
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
「さぁ、どうぞお家に帰ってください。お子さんたちが待ってますよ」
「ありがとう。君は恩返しだと言うが、それでも、私は君への恩を忘れない。これから先、妻のしわくちゃになるだろう笑顔や、育っていく子供たちの姿を楽しみに生きられるのだから」
「まずは病院で検査してもらってくださいね。散髪は琳花さんがやってくれるでしょうけど」
「もちろんだ。夫の髪を切るなんて、最高の仕事だよ」
二人は手を取り合い、いつまでも微笑みながら家へと帰って行った。
「いいねぇ……。素晴らしいことをしたね、ラブラドル君」
「へへへ」
「刀は元の位置に展示するとして、この大きな琥珀はどうしようか」
刀を乗せている机には、ソフトボールほどの大きさの琥珀も乗っている。
それも、百鬼夜行の首領入り。
「呪物の展示室にでも置きますか?」
「そうしようか。その方が安心だしね」
琥珀を運ぶために持ち上げたその時、それはエレクトラムの腕の中で脈打ち始めた。
(まぁ、そうだよね。
力を取り戻すことはそうそうないだろうが、警戒は必要だ。
中に入っているのは、かつての大妖怪なのだから。
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