閑話休題69~カエル公爵の一日~

 ヒッポカンプ公爵である。


 セイレーン様によってカエルにされてしまった私の一日は夜明けとともに始まる。


 夜明けとともに太陽の光が水槽の中へと差し込んできて私は目が覚める。

 水槽の中に設けられた小さな石の島の上で夜を過ごした私は、目が覚めると同時に食事タイムに入る。


 毎日飼育係の者が水槽の中に虫の幼虫やプランクトンなどを餌として入れてくれているので、それらを食べに水の中に入って行く。


「ゲコ、ゲコ」


 水の中を泳ぎながら、べローンと舌を伸ばしながら、一匹一匹虫を食して行く。


 私は最初これらの虫たちをうまいとは思えなかったのだが、慣れなのか、それとも私自身の味覚がカエルのそれに近づいて行っているのか、その辺はよくわからないが、今ではそれなりに満足感が得られるようにはなっていた。


 さて、朝食の時間が終わったら元の石の小島に戻って日向ぼっこだ。

 変温動物の悲しいサガで、今の私は自分で体を暖めることが非常に困難だ。

 今のままでは寒くて凍えそうだ。

 ということで、島の上で日光浴をして体を暖めるのだ。


 この時間が私にとって一日の中で一番幸せな時間だ。

 いつまでもこんな風にしていたい。


 そう思いながら時間までのんびりと過ごす。


★★★


 そこからしばらくして王宮の城門が開き、私にとって最悪の時間が来てしまう。


 海底王国の庶民共が私のことを見物に来る時間がやって来てしまったのだ。

 毎日数十人単位でやって来て私のことをジロジロ見ては物笑いの種にして行くのだ、


「うわー、カエルだ。カエル!」

「これがセイレーン様のお怒りを買った者の末路。恐ろしいわ。絶対にセイレーン様のお怒りを買わないように気をつけなきゃ」


 今日もそうやって庶民共がやって来て、私のことを見ては悪口を言っている。


 くそう!何たる屈辱!

 庶民風情がこのヒッポカンプ公爵様に悪口を言うなど本来なら死罪に該当する行為だ。


 それなのに、ここにいる見張りの兵士はそれをとがめるどころか、一緒になって私の事をニヤニヤと見ているだけだ。

 職務怠慢にも程があると思う。


 怒った私は兵士を叱りつける。


「ゲコ、ゲコゲコ、ゲコゲコーー!!(貴様、ちゃんと仕事をしろ!)」


 そうやって大声で兵士に向かって叫び続けるものの兵士からの反応はない。

 うるさそうな顔で私の方を見るだけである。

 その様子を見て私はハッとする。


 そうだ!今、私はカエルだったのだ。

 兵士に言葉が届くわけがないのだった。


 そのことに気がついた私は、何をしても無駄なのだと悟り、心が空虚な気分になり、ただ呆然と過ごすのだった。


★★★


 そうやって現実と直面した私がぼうっとしていると、見物客の一人が何かを水槽の中に投げ入れていた。


 何だろうと思って、投げられたものの軌道を追いかけていると、投げられたものはポーンと水槽の中に着水し高い水しぶきをあげる。

 その水しぶきが収まり、その場に現れたものを見た私はギョッとする。


 (へ、蛇?)


 そう水槽の中に投げ入れられたものは蛇だったのだ。


★★★


 突如水槽の中に入って来た蛇に私は心底恐怖した。

 蛇に睨まれた蛙という言葉があるが、その言葉の通り私は恐怖で一歩も動けなかった。


 こういうのを本能からの恐怖というのだろうか。

 体の芯から体が震え、体を支える前足と後ろ足にも全く力が入らなくなり、折角のカエル座りも崩れてしまって、腹を地面につけてかろうじて姿勢を保つような有様だった。


 カエルだからか汗こそかかないが、もし人間と同じように汗がかけるのだとしたら、今頃全身が脂汗でにじんでいることと思う。


 それに汗こそ出なかったが、下の方はずぶ濡れだ。

 恐怖のあまりそうなったのだ。


 幸いなことに今の私はカエルなので量が少なく周囲にバレることはないと思うが、もし万が一、この私ヒッポカンプ公爵が蛇におびえて失禁したなどと知られたら、もう一生おもてを歩けない。


 いや、今はそんなことを考えている暇はない。


 早く逃げなければ蛇に食われてしまう!


 蛇に頭から飲み込まれる姿を想像すると本当に恐ろしくなり、ますます体が震えて来る。

 本当ならすぐに逃げるべきなのだろうが、体が震えすぎて上手く動かせない。


 ああ、このままでは……。


 そう私が思った時。


「!!!」


 蛇が空高くジャンプした。いよいよ私目掛けて襲い掛かって来るみたいだった。


 もうダメだ!


 私は覚悟を決め目を閉じた。


★★★


 目を閉じて蛇に食われるのを待つだけの私だったが、いつまで経っても蛇は襲ってこなかった。

 不審に思った私が恐る恐る目を開けると。


「よいしょ」


 と、見張りの兵士が蛇をつまみ出してくれていた。

 どうやら蛇がジャンプしたように見えたのは、兵士が蛇を持ち上げただけだったようだ。

 それを見て命拾いしたと感じた私は心底ほっとし、腰が砕けたかのようになよなよッと地面に倒れ伏す。


 そこまでは良かったのだが、次の瞬間、私は再び屈辱にまみれることになる。


 蛇を捕まえた兵士が持ち主へ、今回の場合は子供だったのだが、蛇を返す時にこんなことを言ったのだった。


「おい!ボウズ。カエルを見るのは別に構わないんだが、水槽の中に蛇のおもちゃを投げ入れるなんてイタズラをやっちゃダメだぞ!」

「は~い。ごめんなさい」


 何と私の前に立ちはだかったあの蛇。本物ではなくおもちゃだったのだ。

 それを知った私は心底怒りがわいてきた。


 おのれ!クソガキが!絶対に死刑にしてやる!


 そう決意した私は兵士に命令する。


「ゲコゲコゲコ。ゲコゲコ。ゲゲゲゲココココーーーーー!!!(そこの兵士、そのガキを捕え、牢屋にぶち込むのだ!)」


 そう必死に叫んだのだが、もちろんその声は兵士には届かない。

 うるさそうにまたかという顔をするだけである。


 それでも諦めきれない私は何度も叫ぶ。

 しかし、結果は変わらない。

 そして、再び私は気付くのだった。


 あ、私ってカエルだった、と。


★★★


 そんな虚しいことがあった夜、私は小石の島に一人座り必死に祈るのだった。


「ゲコゲコゲコ、ゲコー(ああ、神よ。セイレーン様よ。どうか私を今の状況から助けてください)」


 もちろんその私の祈りに対して神からの返答はなく、この先もずっと私は屈辱にまみれた日々を送ることになるのであった。

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