第32話 海の主

 航海4日目。


 この日は荒天だった。

 朝から滝のような雨が降り、激しく船が揺れている。


「旦那様、気分が悪いです」

「アタシも」


 エリカとリネットさんはどうやら船酔いになったらしく、ベッドに横になっている。


「何だか肌寒いです」


 一方、ヴィクトリアは寒いのか、毛布にくるまってソファーで震えている。


 ピンピンしているのは俺だけである。


「まあ、こんな日もある。今日はゆっくりしようか」


 悪天候なら仕方がない。

 今日はおとなしく剣磨きでもしようと思った。


「だが、その前に」


 体調の悪い女性陣を何とかしてやる必要がある。


 まず、部屋にある薪ストーブに火をつけた。

 すぐに鉄製のストーブの中から熱波が吹きだし、部屋を暖めていく。


「これを飲め」


 そしてヴィクトリアに熱いお茶を飲ませてやる。

 寒冷地で兵士に飲ませる体がよく温まる薬湯だ。


「ああ、体が温まります」


 ヴィクトリアはすぐに暖かくなったのか、毛布を剝ぎ、扇子で自分を扇ぎ出すくらいになった。

 ちょっと効果がありすぎたかなと思ったが、寒さで震えている方がかわいそうに見えたのでこれで良しとする。


 こちらの方が明らかに余裕があるしね。


「酔い止めの薬をもらってきてやったぞ」


 エリカとリネットさんのために船員さんから酔い止めの薬をもらってきた。

 何でも、さまざまな薬草をブレンドした秘伝の薬らしい。

 ベテランの船員さんでも船酔いになる人は多いらしく、常備しているとのことだ。


「効きそうか?」

「はい、なんとか」

「大分ましになった」


 薬を飲むと青白かった二人の顔に生気が戻った。秘伝の薬というだけあって効果抜群のようだ。


 ただ、すぐに全快というわけにはいかないようで、引き続きベッドに寝かせておくことにする。


 女性陣に目途がついたので、後は剣磨きをする。

 剣磨き用のウエスと油と砥石を取り出す。

 鞘から剣を抜くと作業を始める。


 武器の手入れの方法は上級学校の授業で習った。

 俺は防衛軍の幹部養成コースにいたから、そういう授業もあったのだ。


 俺が黙々と剣を磨いていると、すっかり回復して元気になったヴィクトリアが話し掛けてきた。


「突然の嵐って、なんだか変じゃないですかね。昨日まであれだけ天気がよかったのに」

「そうか?海の天気は変わりやすいって聞くぞ」


 ヴィクトリアは首を横に振り、俺の考えを否定する。


「いいえ。おかしいです。絶対変です」

「えらい自信だが、その根拠は何だ」

「女神の勘です」


 勘かよ!何の根拠もなくてびっくりだ。


 ただ、”女神の”という形容詞が気になる。

 半ば記憶の彼方に忘却されつつある事実だが、こいつはこんなのでも女神だ。


 そのなんだ。女神的に何か引っかかることでもあるのだろうか。

 とても気になる。


「何か気になることでもあるのか?」

「ちょっと寒すぎませんか」

「そうか?雨が降れば気温は下がるものだろ」

「それはそうなんですけど、ちょっと寒すぎませんか。もう夏なのに、ストーブを焚く必要があるくらい寒くなるなんておかしいです」

「ふむ」


 そう言われればそんな気もしないでもないが、こいつは寒がりだ。北部砦でもよくエリカの布団に潜り込んでいたし。

 ただ、だからと言って問答無用に却下するのも違うような気がする。


 さてどうしようかと、俺が腕を組んで考えていると、突然部屋の外から悲鳴が聞こえる。


「大変だあ!モンスターだあ!」


 俺は剣を持ちゆっくりと立ち上がった。


★★★


 俺たちは武装して船の甲板に向かった。


 最初は俺とヴィクトリアの二人で行くつもりだったが、


「私たちも行きます」


と、エリカとリネットさんも体調不良を押してついてきた。


 「海竜シードラゴンか」


 現場にいたのは海竜だった。

 アルビノというやつなのだろう。全身真っ白だった。


 急いで武器を構え、既に対峙している船員たちに近づく。


 だが、何か船員たちの様子がおかしい。

 妙にざわついている。


「どうしたんだ」

「白い海竜……海の主様だ」


 ルース船長が震えた声で言う。


「海の主?」

「そうだ。海神様のシモベの海の主様だ。俺たちはもう終わりだ。主様を怒らせてしまった」


 ルース船長の言葉を聞き、船員たちが絶望した表情になる。

 中には絶望のあまり泣き叫ぶ者もいた。


 確かに船乗りにとって海神はもっとも大事な神だ。

 その僕の怒りを買うことは船員にとって最も恐ろしいことだろう。

 だから船員たちのこの態度はよく理解できる。


 俺は改めて海竜を見た。

 低いうなり声を上げ、睨むようにこちらを見ている。

 その姿は確かに怒っているようにも見えた。


「でも、何か違う気もする。確かに怒っているようにも見えるが、何かある気もする」


 俺が悩んでいると、ちょいちょいと俺の袖を引っ張る奴がいた。


 ヴィクトリアだ。

 ヴィクトリアは俺を物陰に引っ張っていくと耳打ちする。


「あの子は魔物ではありません。神獣ですよ」

「神獣?」

「ええ。以前、おばさ……セイレーン様の神殿の庭の池で泳いでいるのを見たことがあります」

「ということは、やっぱりあいつがここの海の主ということで合っているんだな」

「間違いないです」

「それなら、この嵐も」

「あの子が起こしているのだと思います」


 なるほど。そういうことか。


「じゃあ、あいつは何に怒って嵐を起こしているんだ」

「えっ、別にあの子怒ってなんかいませんよ」


 ヴィクトリアが首をかしげる。


「怒って本気で嵐を起こしたのなら、この船なんかとっくに沈んでますよ」

「じゃあ、あいつは何で嵐なんか起こしたんだ」

「体調不良で力のコントロールができなくなったようです。なんでもお腹が痛くて気が狂いそうらしいです。ここに出てきたのも助けてほしいからみたいです」

「なんでそんなことがわかるんだ」


 その質問に、エヘンと、ヴィクトリアは胸を張って答える。


「ワタクシに思念波でそう伝えてきたからです。どうやら海底で苦しんでいたところに見知ったワタクシが通りかかったので、助けてほしくて出てきたみたいですね」


 なるほど、大体の事情は分かった。となると、この場合やることは一つだ。

 俺はヴィクトリアの肩をガシッと掴み聞く。


「それで、どうすれば助けてやれるんだ」


★★★


「皆、聞いてくれ」


 ヴィクトリアから事情を聞いた俺は全員に説明を始めた。


「あの海竜は俺たちを襲いに来たのではない。助けを求めてきたんだ」

「どういうことだ」


 ルース船長が俺の発言に対して疑問を投げかけてきた。

 俺はなるべく丁寧に説明する。


「うちの回復役が言うには、あの海竜は何か異物を飲み込んでしまって、もがき苦しんで気が狂う寸前らしい。それで助けを求めてきたらしい」

「どうしてそんなことがわかるんだ」

「さっき海竜が低い声でうなっていただろう?あれが助けを求めるメッセージだったんだ。それをうちの回復役が受け取ったというわけだ」

「アンタの所の回復役はそんなことがわかるのか。すげえな。それで、どうするんだ」

「開腹手術をする」


 海竜が飲み込んだ遺物は体の奥深くにあり、簡単には取り出せない。

 そこでお腹を開いて異物を取り出したのち、ヴィクトリアが治癒魔法をかけるという手術を行うことになった。


「よし、よし。いい子だからおいで」


 ヴィクトリアが海竜を手招きする。


「キューキュー」


 海竜が甘えたような声で鳴き、ヴィクトリアに頬ずりをしてくる。

 それを見て船員たちが一様に驚く。


「海の主様が言うことを聞いておられるぞ」

「まさか海の女神の巫女様なのか。海の主様が言うことを聞くのは海の巫女様だけだというし」

「巫女様だ」

「海の巫女様が顕現なさったぞ」


 いや、巫女じゃなくてそいつ女神だけどね。


 しかも、本人は隠しているつもりだけど、どうやら海の女神様の血縁者みたいだし。

 まあ、今は勘違いを正している暇はないから放っといて話を進めるとする。


「それで、船長さん。この辺りに手ごろな陸地ってないですかね。ほら、さすがに水の上では手術はできないのでね。どこかあると助かるのですが」

「それだったら、近くに風待ち用の無人島がある。あそこなら十分なスペースがあるから大丈夫だろう」

「それではそこに連れて行ってください」


★★★


 海竜はメーン号の後ろを大人しく付いてきた。


 俺たち『竜を越える者』一行は、船員さんたちが忙しく動き回っている中、後部甲板で不測の事態に

備えて待機している。


 待機。要は何もせずにじっとしているだけだ。俺たちに船関係で手伝えることなどないので当然だ。


「もう少しの辛抱だから、我慢してついておいで」


 時折、ヴィクトリアが海竜に発破をかける程度だ。


 そんなヴィクトリアを見て俺は思うのだ。


「本物の女神みたいだ」


 海竜に優しく声をかけるヴィクトリアは、慈愛に満ち溢れていて、かつて過去の映像で見た彼女の母親によく似ていた。

 まさに女神!

 普段のヴィクトリアからは全く想像できない姿だった。


 こいつもこんな素敵な表情をすることができるんだなと感心するばかりだった。

 他の二人も俺と同じ感想を持ったらしく、特にヴィクトリアが女神だと知らないリネットさんは、


「ヴィクトリアちゃん、まるで別人のようだ」


と、驚愕しっぱなしである。


 なんか悪い気がするので、ここでヴィクトリアの秘密を告げようかとも思ったけど、船員さんの目もあるので次の機会にすることにする。

 今言っちゃったら船員さんも確実に信じちゃいそうだから仕方ないよね。


 そうこうしているうちに陸地に着いた。

 船を港の堤防に横付けする。


「こっちだよ」


 俺たちは船から降り、海竜を堤防の上に誘導しようとする。

 海竜は誘導されるままに堤防に前の尾びれをかけ、陸に上がろうとした。


 その時。


「グオッ?」


 突然海竜の目から光が消える。そして闇が瞳を支配する。


「ガアアアアア」


 海竜が咆哮をあげ、前足を振り下ろす。


 ドガン。


 それだけで、すさまじい音とともに堤防がえぐれた。


 どうやらぎりぎりで間に合わなかったようで、海竜の気が狂ってしまったようだ。


「仕方がないか」


 俺は剣を抜き、魔法の準備をする。エリカとリネットさんも武器を構える。


 ただ一人、ヴィクトリアだけが違う行動をする。

 俺に全力でしがみついてきて攻撃を止めさせようとする。


「ダメです!あの子を殺しちゃダメです」

「ダメですと言っても、このままだと皆殺しにされるぞ」

「ワタクシが何とかして見せますから、お願いします」

「でも」

「お願いします!」


 必死に訴えかけてきた。


 その姿を見た俺たちはそれ以上何も言えなくなってしまった。


 それを了解の合図と見たヴィクトリアは俺から離れると、海竜に近づいて行った。

 怖いのだろう。体を震わせていた。

 それでも手を大きく上げ、優しい声で語りかけながらゆっくりと海竜に近づいて行く。


「怖くないからね。大丈夫だから、大人しくしてね」


 ヴィクトリアの必死の言葉が届いたのだろうか。海竜の目に光が戻り、優しい顔になる。


「どうやら何とかなったようだな」


 俺たちは安堵のため息をついた。


 だが、それも束の間。


「グオオオッ」


 次の瞬間、再び海竜の目から光が消え、今度はその長い首を大きく振る。


 海竜の首がすさまじい勢いでヴィクトリアに迫る。


「言わんこっちゃない」


 俺は急いで海竜とヴィクトリアの間に割って入った。


 ドン!


 間一髪間に合い、ヴィクトリアへの直撃は免れたが、俺たち二人は海へと放り出されてしまった。

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