肉じゃが 〜男心を掴むには〜
昼下がり、大学内のカフェテラス……いや、そんなオシャレなものじゃない。至って普通の食堂。窓から吹き込む少し冷たい風が、初夏のあたたかい空気と混ざって、心地よかった。ずっとここで、のんびりまったりしていたい。
「彼女の手料理がうますぎてさぁ——」
「へー」
……コイツの彼女自慢が無ければ。
「何作ってくれたか知りたい?」
「いや別n」
「カレーだよカレー! 可愛い彼女が作ったカレーとか最高だよなー!」
コイツに食堂に誘われたときは、必ず惚気話に付き合わされる。もはや百パーセントと言っても過言でもない。ぶっちゃけウザい。
「料理するってのは聞いてたんだけど、まさかあそこまで上手いとは思ってなかったw」
コイツは『彼女いない歴=年齢』だった俺に、ただマウントを取りたいだけだ。最初こそ俺一人だったターゲットも、噂ではさらに拡大したそう。最近声が掛からなかったのは、たぶんそれが原因。
「ほら『胃袋を掴むには、男心を掴め』って言うじゃん。一瞬で胃袋掴まれたわーw」
「ふーん」
逆な。『男心を掴むには、胃袋を掴め』な。目的変わっちゃうから。てか、カレーなんて俺でも作れるわ。
突っ込めばいいんだろうけど、早く話を切り上げたいので余計な口出しはしない。俺も毎回よくコイツに付き合ってたな。
「お前も早く彼女作れよなw」
「もうできたので大丈夫でーす」
「……えっ」
見事な間抜け面で固まって見せてくれた。ふっふっふ……完璧……!
「まあ、そういうことだから。じゃあ俺はこの辺でー」
「ちょっ、なんだよそれ! 詳しく聞かせろぉ!」
コイツは見事なまでに、俺の想定通りのリアクションをしてくれる。喰らえ、トドメだっ!
「悪ぃ、可愛い彼女と約束あるから!」
「ぐはっ……!」
会心の一撃が決まった。これまで取られてきたマウントの分、取り返してやったぜ……!
図書室の一角には、自習用に何台かテーブルが置いてある。彼女とは、そこで待ち合わせだった。すっかり気分爽快な俺は、軽い足取りで階段を駆け上がっていく。
「はぁっ……着いた」
極力音を立てないように、そっとドアを押す。真っ昼間から図書室に用のある大学生はごく僅かで、かなり空いている。難しそうな歴史書の棚を抜けると、椅子に腰掛ける想い人の姿があった。お勉強に集中していて、こちらには気づいていない。
一歩一歩、慎重に踏み出して、背後に忍び寄る。空気の流れを悟られないよう、たっぷりと時間をかけて両手を上げ……
「わっ!」
「きゃぁっ‼︎」
静かな空間に、彼女の甲高い悲鳴が響いた。可愛らしいポニーテールを揺らしてこちらを振り向く。余韻が残るうちに彼女は手で口を塞ぎ、ギロっとこちらを睨んだ。
「ちょっとやめてよっ」
「へへっ、引っかかったー」
彼女の顔はみるみる赤くなる。
「……嫌い」
「ごめんて」
彼女はそっぽを向いてしまった。ご機嫌取りをするべく、俺は向かいの椅子に座る。
「なあ、今週末デートしない?」
「……いいけど」
彼女はちょっとツンデレ。日頃から優しめなツンツンで、滅多にデレない。今は二人きりだからデレを期待していたんだけど……イタズラはやめておけばよかったかな。
「じゃあしよう! 行きたいとこある?」
「特にない。自分があるから誘ったんじゃないの?」
だんだん当たりが強くなってきた。やっぱりちょっと怒ってるらしい。
「うーん、行きたいとこっていうか、したいことっていうか——」
「何? ハッキリして」
腕組みをして高圧的な態度を取るが、俺より一回り小さい体では、ただ可愛いだけ。
「……手料理食べたい」
「はあっ⁉︎」
彼女は再び口を抑えた。こっちを睨むけど、今のは俺に非はない。
「わ、私が料理苦手なの知ってるでしょ!」
「知ってるけど」
「じゃあなんで……」
アイツの彼女マウントを聞いたからというのもあるが、これは以前から望んでいたことでもある。
「ただ作って欲しいだけ」
「無理無理無理! 却下!」
断固拒否されたけど、俺にはとっておきの秘策がある。
「どうしても食べたいんだよー、ダメ?」
少し首を傾げて、精一杯の可愛さを見せる。側からしたら可愛い子ぶってる男なんてキモいだけなんだが。
「……まあ、どうしてもって言うなら……」
我が彼女ながら、なかなかにチョロい。
「よっしゃ! じゃあ、土曜日の昼に家行くから」
「あんまり期待しないでよ」
「りょーかいりょーかい」
高三で同じクラスになってから、ずっと好きだった。そんな愛しい彼女の手料理を食べられるだなんて、まさに夢みたい。今週も頑張ろう!
「はぁ……」
ベッドに横になりながら、昼間の失態を思い出した。ため息が枕に落ちる。
つい、いいって言っちゃった……どうしよう、料理なんてほとんどできないのに。
こういうときって、何を作ったらいいんだろう。私にも出来そうな簡単やつ……カレーとか? ダメだ、手抜きだと思われちゃう。かと言って、凝った料理も力入ってる感すごいし……でも『男心を掴むには、胃袋を掴め』ってよく聞くし、ちゃんとしたものを作りたい気もする。
まあ、料理音痴が一人で悩んだところで解決しない。私はスマホに手を伸ばした。
『もしもし?』
「お母さーん、久しぶりー」
以前と良い意味で変わり映えの無いお母さんの声に、心が落ち着いた。
『全然連絡寄越さないから心配してたわよ。一人暮らしは慣れた?』
「うーん……まあまあかな。でも大学楽しいよ」
『ふふっ、なら良かった』
身体を起こして、何を作るわけでもなくキッチンに立った。なんとなく、お母さんに近づける気がするから。
『それで、何か用事?』
「え?」
『わざわざ電話してくるってことは、何かあるんでしょ』
さすがはお母さん、私のことは何でもお見通しだ。話が早くて助かる。それに自分を理解してくれてると思うと、ちょっと嬉しかった。
「……うん、ちょっと相談」
『好きな男の子でもできた?』
「違うよw 彼氏いるし」
「ええっ‼︎ 聞いてないんだけど!」
お母さんの大声に驚いて、スマホをシンクに落としそうになった。そういえば言ってなかったっけ……
「あはは、報告してなかった」
『一大事じゃない! ちょっとお父さん!』
お母さんの声が遠くなった。時間的に、お父さんはもう晩酌を始めているだろう。
「ちょっ、やめて恥ずかしい! まず話聞いてよ……」
お父さんが知ったら『どんな男だ!』って問い詰められるのは明白だ。彼のことは、また後日ちゃんと紹介しよう。
「——で、何を作ったらいいか悩んでるの」
『うーん、そうねぇ……』
事の顛末をお母さんに話すと、意外と真剣に考えてくれた。しばらく静寂が続く。
『……肉じゃがなんてどう?』
「に、肉じゃが⁉︎」
何それ、難しそう……!ハードルの高さに圧倒された私は、冷蔵庫にもたれてしゃがみ込んだ。
『家庭料理のど定番だし、王道でいいと思うんだけど』
「それは確かに。でも私に作れるかな……」
率直な疑問をぶつけてみると、なぜか大きなため息が聞こえた。
『あのねぇ……料理苦手って言うけど、実際そうでもないんじゃない?』
何を言い出すかと思えば、私の料理下手を疑いにかかってきた。上手いこと持ち上げてモチベーションを上げる作戦だろうか。
「紛れもなく苦手だけど。簡単なおかずしか作れないし、味もイマイチだし」
『普段から挑戦しないだけでしょ』
私の言い訳をズバッと切るお母さんに、重箱の隅をつつかれたような気分だった。作戦も何も無かったらしく、淡々と事実を突き付けていく。
『苦手って言う以前に、やってないんじゃない?』
「うぐっ……返す言葉もございません」
思い返せば、一人暮らしを始めたばかりの頃は張り切ってキッチンに立っていたけど、慣れるにつれ最低限の料理しかしていなかった。怯む私に追い討ちをかけるように、スマホ越しにさっきよりも大きなため息が聞こえる。
『それで、どうしたいの?』
「どうって?」
『どうしたいから、電話してきたの?』
そういえば自分の料理遍歴を回想するのに夢中で、電話の目的をすっかり忘れていた。私のしたいこと……私は——
「彼に美味しい料理を作ってあげたい。だから、料理教えてほしい……です」
『……ふふっ、彼氏くんのこと、大好きなのね』
「は、はぁっ⁉︎ 別に好きじゃ……ないことはないけどっ」
突拍子も無いことを言われて、恥ずかしさのあまり視界がグルグルと回る。言わせておいて何でそんなっ……!
『もう、ツンデレなんだから。愛想尽かされる前に直しなさいね』
「ツンデレじゃないもん!」
昔から、冷たいとよく言われてたけど、ツンデレとかそういうのじゃない。ただちょっと、人に甘えるのが苦手なだけ。
『まあとにかく、金曜日うちに来て。何時でも大丈夫だから』
「うん、ありがとう」
彼の心もとい胃袋……絶対掴んでみせる!
「おまたせ」
見慣れないエプロン姿の彼女は、今日もツンツンしている。今日こそデレてくれないかなぁ……
「お、待ってました」
彼女はお玉が漬かった鍋と鍋敷きを持ってテーブルの前に膝をつく。鍋の蓋が開いた瞬間、肉じゃがの匂いが部屋中に流れた。上手く説明できないけど、俺ん家のとはちょっと違う。
「やば、めっちゃうまそう……」
「作りすぎちゃったから、好きなだけ食べて」
皿と箸をテーブルに並べながら、彼女はそう話した。肉じゃがを皿に盛りつけて、俺の前に出してくれる。今の夫婦っぽいかも。
「い、いただきます!」
「召しあがれ」
彼女の視線を感じながらじゃがいもを箸で崩す。すんなり通る箸が、いもの煮え具合を教えてくれる。塊の一つをつまみあげ、口へ運んだ。
「……どお?」
「めっ……ちゃ、うまいっ!」
口に入れた瞬間じゃがいもはほろっと崩れて、優しい味わいが広がった。醤油の香味が鼻を抜けていく。実家の肉じゃがよりもほんの少しだけ甘めで、これはこれで美味しい。
「ほ、ほんと?」
「うん、マジでうまい! なんだよ、料理苦手とか嘘じゃん!」
玉ねぎは噛まずとも溶けるくらい柔らかく、にんじんにも味が染みていた。肉も柔らかく煮込まれていて、すごく食べやすい。
「嘘じゃないよ。昨日お母さんに教わって、なんとかね……」
平然を装っているけど、彼女の耳は少し赤く染まっていた。これは、照れているときの合図。
「……俺のために、頑張ってくれたの?」
「っ……前から料理は上手くなりたいって思ってたし……今回はきっかけに過ぎないっていうか、その——」
一瞬で顔を赤くした彼女が、わかりやすくたじろぐ。あともうひと押し!
「ねえ、こっち来て」
少しだけ右に寄って、カーペットをトントン叩いた。
「な、なんで?」
「いいからいいから」
半ば流されるように、彼女は俺の横に腰を下ろした。至近距離で見つめられ、迫り上がってくる気恥ずかしさを必死で押し殺す。
「ありがとう」
箸を持たない左手で頭を軽く撫でてやる。
「やっ……やめてよ、恥ずかしい……」
さらに赤くなる彼女に、何とも言い難い高揚を覚えた。
「いいじゃん、今は二人っきりだし」
「でもっ」
「ほら、あーん」
「むぐっ」
抵抗する口にじゃがいもを押し込んでやった。もぐもぐしてるほっぺが可愛い。
「……今日くらい、甘えて?」
彼女はピシッと固まってしまった。甘えるのが苦手なのは知ってるけど……まあいいか、強要するのはよろしくない。
「ははっ、冗談——」
そのとき、俺の右肩に負荷がかかった。さっきまでもぐもぐしていた彼女のほっぺたが腕に当たっている。
これは……『肩ズン』というやつでは……?
「何……甘えてって言ったじゃん」
目は合わせてくれなかった。身体が熱いのは、温かい肉じゃがのせいか、彼女の体温か、それとも……
照れ隠しで口に放ったにんじんが、異様に甘く感じた。
「じゃあ、今日はご馳走様。また何か作ってよ」
「……考えとく」
彼を見送って、食器も片付けないまま真っ先にベッドに飛び込んだ。
喜んでくれた……よね? だって『うまい』って言ってたし、鍋一杯分食べ切ってくれたし、なんか……甘やかしてくれたし……
彼の腕、寄りかかってるだけだったけど、体温が伝わってきて暖かかった。上手く甘えられたかな? 私にしては頑張ったよね。
「料理……頑張ってみようかな」
もっと、彼に喜んでもらって……もっと、彼に近づけるように。
「そういえば昼ご飯、肉じゃがだけだったな……w」
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