コーヒーとカレーとタバコとウイスキーのみせ
水谷威矢
コーヒーとカレーとタバコとウイスキーのみせ
振り返るとそこには、昨日まではなかった店の看板があった。
昨日まではなかった、というより、昨日までは私がこの道で振り向いて通りの店をまじまじと見ることがなかった、という方が正しい。
カレーの匂いに釣られて目に入った、変わった名前の店。
この店が何の店なのかを示すための看板な訳ではなく、コーヒーとカレーとタバコとウイスキーのみせ、という名前の店という訳か。
コーヒーとカレーの店であれば分かるが、タバコとウイスキーとは、風変わりなものだ。
妻にしつこく言われて仕方なく禁煙を始めて久しい。
お陰様でもう喫煙することはなくなったが、なんとなくこの店は気になる。
ちょうど夕飯に困っていたところだ。
ちらちらと雪が降って体も冷えかけていることだし、今日は暖かいコーヒーとカレーにしてみよう。
からころと鳴らしながら店に入ると、店内には若い男性の店員が一人いた。
「いらっしゃいませ。お客様、おたばこは吸われますか?」
タバコのみせ、と書いてある以上は喫煙OKの店なのだろうから、その心配をしてくれているのか。
「いや、吸わないんですけど、周りでタバコを吸われるのは大丈夫です」
本当はスーツにタバコの臭いが付くのは避けたかったが、そういう店なのだろうから仕方ない。
「あ、でしたら、お帰りになってもらえますか」
「は、なんで」
失礼な反応をしてしまったのは十分に理解しているが、突然であれば、こんな反応をしてしまうのも無理はないのではないか。
「あの、当店は全席喫煙専用席になってますので」
喫煙専用席とは、聞いたことのない言葉だ。
「え、それってどういう」
「ですから、喫煙専用です。喫煙されない方の来店はご遠慮させてもらってます。すみませんが」
そんな世論と逆行するような店でやっていけるのだろうか。
しかし、もう私の腹はカレーの腹になってしまっているというのに、タバコを吸わなければ店に入れてもらえないとは。
寒空の下、また他の店を探す気にもなれない。
一本くらい、蒸すだけなら妻も何も言わないだろう。
「あー、分かりました。吸います。でも持ち合わせがなくて、タバコの」
「承知致しました。では、お好きな席へどうぞ」
店員に促された私はカウンター席に座った。
「タバコは何があるんですか」
「エコーしかないですよ」
エコーって。
この若い店員がそんな爺くさいタバコを吸うだろうか。
どう見てもこの店員のセンスではないと思うが、もしかすると、こだわりコーヒーとこだわりカレーに続けて、エコーがこだわりのタバコだとでも言いたいのか。
「あー、じゃあエコーで」
「かしこまりました。どうぞ」
用意がいいのか、店員はすぐに一本のタバコを取り出して見せた。
「火です」
「あ、すんません」
間髪入れずにライターも取り出して来て、こんな形で私の苦労が終わるのか、と禁煙の余韻に浸る余裕も与えられなかった。
ただ蒸すだけのつもりだったが、どうせ吸うのならと肺にまで流し入れた。
なんとなく爺くさい安タバコだと敬遠していたが、この特徴のない味わいが返って、久しく煙を味わっていなかった口にはちょうどいい。
「お客様、カレーとコーヒーです」
もらったタバコをちょうど吸い終わったところで店員がカレーとコーヒーを持ってきた。
「え。まだ注文してないですよね。メニューとか見せてもらえないんですか」
「すみません。当店にはメニューはなくて。コーヒーとカレーとタバコとウイスキーがただあるだけでして」
「メニューがないって。じゃあこのカレーは何カレーなんですか。辛さは。もしかしてウイスキーも飲んでいかなきゃならないんですか」
矢継ぎ早に質問をしてしまったが、店員は特に顔色を変える様子もない。
「カレーは中辛のビーフカレーです。コーヒーはブラックのホット。ミルクも砂糖も置いてませんし、アイスでの提供もしてません。ウイスキーは食後に飲んで頂きます」
「な、え、それって、注文してないのにウイスキーまで出して金を取るってことですか。そんなの詐欺じゃないですか」
私が語気を強めて言うと、店員は何も言わずに入口の方を指差した。
店に入る時は気が付かなかったが、何か張り紙がしてある。
書いてあることを要約するとこうだった。
この店は喫煙者専用で、しかも必ず吸っていかなければならない。
タバコの持ち込みは可能だが、料金にはタバコ代が含まれる。
コーヒー、カレー、タバコ、ウイスキーはセットになっており、内容の注文は受け付けていない。
何も注意せず店に入ってきた私も悪いのだが、法外な料金を請求されないかとひやひやしていた。
果たして請求された料金は至極普通のものだった。
ただ、カレーは中辛より明らかに辛かったし、お冷やがないためホットコーヒーを飲むしかなく、果てはウイスキーはストレートで出された。
カレーの辛さとコーヒーの熱さ、ウイスキーのアルコールで乾いた風の寒さは感じられなかった。
それどころか、この冬の残暑は酷かった。
コーヒーとカレーとタバコとウイスキーのみせ 水谷威矢 @iwontwater3251
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