見えざる計画
第38話 暴君
朝七時、俺は家を出た。リビングに書き置きを残し、幼馴染の家を目指す。
犬の散歩やゴミ出しをする主婦。休日の風景を横目に、強くなるばかりの日差しを浴びて、スキップでもしたくなる心地だった。
彼女に気持ちを伝え、それが受理されるかを知りに、彼女の家まで行く。何も始まってはいないし、スタートラインにすら立っていない。だけど、もし計画に参加できれば俺たちの関係はただの友人から戦友になるのだ。昔から近くて遠い存在だった彼女と肩を並べられるのだ。階級も能力も劣っているが、それでも立つ戦場は同じはず。これがどうして浮かれずにいられるというのだ。
はやる気持ちが抑えきれず、縁石に躓く。派手に転ぶと、手のひらから血が滲んだ。どんなに落ち着けと自分に言い聞かせても鼓動は早鐘のように鳴り続け、爆発しそうなほどだった。
自然に歩みはジョギングとなり、ランニングになり、ダッシュへと移行する。虎帯ちゃんの家までは相当の距離があるが、それほどの苦もなく、大きな門の前で立ち止まる。
門は相変わらず立派だが、そこに併設された詰所の様子がおかしい。数日前まで綺麗で広さのある造りだったが、今はプレハブの、いやもっとひどい。ベニヤ板を立ち上がらせただけのような有様だ。どうしてこうなったのか、ひどいものだと眺めていると四角く切り出された板の間から強面の警備員が俺を睨んでいる。ここで愛想笑いなど浮かべれば舐められる。睨み返すと、彼は壁の板ごとずらして外に出てきた。
「何かご用ですか」
腰のホルスターにぶら下がる拳銃をこれ見よがしに見せてくる。いつでも抜けるようにしていてはまともに話もできないだろうに。
「氷澄大和と申します。虎帯ちゃ……虎帯さんと約束がありまして」
それを聞くと警備員はハッとして、「少々お待ちください」と引っ込んだ
ややあって、破顔して戻ってきた。
「氷澄さまですね。いやあ、お嬢さまがお待ちしております。さ、どうぞ中へ」
対応が違いすぎて面食らった。先ほどの応対とは雲泥の差である。この強面の警備員は手を揉みながら言う。
「いやあ、私たち警備一同、心からお待ちしていましたよ」
俺なんかにゴマをすったところで意味がない。「どうして?」と聞くと、彼は声を落とす。
「お嬢さんのですね、その、ご機嫌が……。こう、スイッチで切り替わるみたいに瞬く間に移りまして。石畳さんに聞くと、なんだか氷澄さん、あなたが関わっているそうじゃないですか」
「はあ、そう、ですか」
気の抜けた返事しかできない。俺は彼女のその激情を経験しているからわかるが、彼はそのことを知らないのだろうか。しかし今の言い方だってかなりマイルドなもので、おそれなのか忠義なのかはわからないが、敬意だけはあるようだ。
「嵐の矛先はその時々ですが、昨日なんて詰所の掃除がなっていないと言ってここを全壊させてしまったのですよ」
埃ひとつなかったはずなのに。そう呟いて強面に涙を浮かべた。
「ひどいものでした。魂鎧の装甲パーツで殴れば大概のものは壊れます」
しかも肩のパーツですよ。彼はほとんど泣いていた。
『肩パーツ……。だいたい縦二メートル八十。横一メートル五十。厚さ六十ミリの鋼の塊だぞ。人間が持てるものじゃない。ましてや殴れるのか?』
コノミコはあくびをしながら言う。当然のことながら、常人には不可能だろう。百キロは軽く超える鋼だ、何らかの重機でなければ移動させることもできない。
「と、とにかく会ってみます」
「ええ。ええ。そうしてください」
懇願するように彼は涙を拭う。結局俺が玄関に入るまで、彼は直立不動の姿勢でいた。
出迎えてくれた数人のメイドは変わらない様子だが、よく見れば若干やつれている。部屋の場所はわかっているため案内を断ると、なぜか安心したように微笑んだ。取り繕うように手で口を押さえた。
「失礼。お嬢さまのお部屋は、現在のところ、活性火山のようなものでして」
そんなところに近づきたくないのはわかるが、俺がこれから向かうというのに、それはあまりにも不吉な表現じゃないか。
警備員の男とメイド。二人の様子からしてここ数日の虎帯ちゃんはかなり危険だったのだろう。人が死んでいないだけマシかもしれない。
礼を述べて階段を登り、その嵐吹く火山に一歩一歩と近づいていく。その度に空気が重くなっているのは気のせいだろう。
生唾を飲み込み目的の階へ。早速足元には異変がある。
「何だよ。これ」
数十センチのナイフが芝のように群生している。幾本も刃の光をばらまいて床に突き刺さっているのだ。それどころか天井や壁にも無数のナイフや、日本刀すらもめり込んでいる。適当に数えても五十はある。想像を絶する狂気だ。
『ん、まあ……投擲の練習だ。熱心だな』
「ごまかせないだろ。外でやればいいだけだぞ」
『せっかく理由付けしたのに。これが正気なら、お前もこの廊下みたいになっちまうぞ』
穴だらけの装飾された気品ある廊下。見れば見るほど無残だ。ナイフが引っこ抜かれた痕跡はどれも深い。
刃のサバンナを慎重に進み、突き当りの扉をノック。俺の拳は震えていた。
「虎帯ちゃん、俺だ。氷澄だ」
彼女は一体何をしているのだろうか。屋敷で暴れたのはなぜなのか。感情に波があることは俺もたっぷりと知っている、それがこの部屋の中で爆発しないように祈るしかない。
「虎帯ちゃん、氷澄だ。入るぞ」
返事のないままドアを開けた。また椅子で踏ん反り返っているのかと思っていたが、どうもそうではない。ベッドでだらしなく大の字で寝ていた。
皺だらけのタンクトップとふた回りほどサイズの合っていないダボダボの半ズボン。そんな姿の彼女を見たのは初めてだった。
静かな寝息が聞こえる。時間も早いから起こすのにも気が引けた。ただ寝顔を見るのも恥ずかしい、もといつまらないので、いつも彼女が座っている椅子に腰掛けた。
引き出しを開けようかと考えたが、さすがに失礼だろうし、何より妙な写真が出てくることが怖かった。
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