第11話 久しぶり

 目が覚めて最初に見たものは、美女の引き続き振り下ろされる拳だった。鼻の頭で受け止めると逆流した鼻血が口に入り込み、視線は合わせたまま顔を背けて吐き出した。


「意識を飛ばすな」


 無茶を言う。だが、なぜだ。この理不尽には懐かしさがある。


「名前」


 またしても彼女は静止した。歯ぎしりし、俺の首を絞めた。力は半分だけで、息苦しいだけで会話に不便はない。


 静まり返った格納庫。普段ならばもっと人が大勢いるはずで、誰かしらは残って作業をしていたりする。


 しかし、ここは俺たちだけしかいない。その二つの声も魂鎧が、あるいは鋼の山に染み入って、薄気味悪いくらいに静かだった。

 彼女は何か言った。距離は近いはずなのに聞こえない。口の開け閉めだけだったかもしれない。


「聞こえねえよ」


 拳が飛んでくると思ったが、そんなことはなく、彼女は静かに言う。


「…………い」


 なんだ。何かが起こりそうで、寒気がする。彼女が口をひらけば、俺の中で何かが変わってしまいそうだった。


 コノミコの笑い声がする。げっげっげと汚く笑う彼女は、いつも俺を安心させるのに、この時ばかりは不安を煽るだけだった。


『怒って泣いて、忙しい女だ。キザにおとすなら今だぜ』


 逆立ちしたってできないことを言ってまた笑う。そして、俺に馬乗りになる女は吹雪のような冷たさを含ませて言うのだ。


「――――虎帯だ。これでも思い出さないか」


 夢に現れる少女。目の前にいる女。真紅の魂鎧。それぞれが繋がって、全身が痺れた。

 点が線で結ばれると、どうして今まで気がつかなかったのかと自分の鈍感さを嘆きたくなるが、そんな場合じゃない。


 俺は俺の神を、俺を捧げる相手を忘れていたのだ。


「虎帯。――」


 頭ではわかっていてもそれが行動として表に出せない。肺も、喉も、舌も口もうまく動かせず、ただ名前を呼ぶことしかできなかった。


「そうだ。私が誰か思い出したか」


 頭の中まで痺れている。スリルとも恐怖とも違う震えが手足に噛みつき、歓喜でも、興奮でもない快感が暴れている。


 彼女は俺に起きている不思議な感覚に気がついてか、見つめあったまま無言でいた。ややあって、目をこすり、血を拭う。


「思い出した」


 すると彼女は見違えるように表情を明るくする。頬に赤みがさした。


「あまりにも、その、変わっていたから。ごめん」


 視線は外さない。獣のルールのように、目を合わせるのをやめれば負けのような気がした。


「夢にも見ていたはずなのに、俺は勘が鈍いらしい」


 彼女の頬はどんどん緩んでいく。もう仏頂面はどこにもなく、とろけたような瞳で涙を浮かべている。


「夢にまで……! では全て思い出したのだな」


 興奮しているのか、喉に添えられた手がぐっと締められた。引き剥がそうと手を重ねると、彼女は開きっぱなしの口からよだれを垂らした。


「どうなんだ!」


 力任せに上半身を起こされ、咳き込む。だが彼女にとってそんなことはどうでもいいらしい。頭突きでもしそうな位置で、そう叫んだ。あの時と前後こそ違うが、状況だけは似ている。


「若松虎帯。それが虎帯ちゃんの名前で、俺の知らないことを色々教えてくれた人だ」


 首から手が離れたかと思うと突然抱きついてきた。渾身の力が込められていて支えることができず、なすがままに倒れた。美女にのしかかられるなんてのは男としての自信がつきそうだが、散々にぶん殴られていてはそれもない。


「嬉しい! 私は今感激している、心が騒いで駄目になりそうだ! 大和はやっぱり私のものだ!」


 その大胆な喜びのアピールに、俺も嬉しくなる。胸から伝わる鼓動や耳にかかる吐息にではなく、昔馴染みの友人との再開にだけ、俺もまた感動していたのだ。


『スケベ』


 ……うるさいぞ。






「大和!」


 基地での入院は数日で終わり、すぐさま登校するようにとの達しがでた。虎帯ちゃんは興奮しっぱなしで、ニコニコしながら基地に消えた。呂律が回っていなかった。


 いつもの場所より少し手前、東風は交差点の青信号の手前で俺を待っていた。


「大丈夫? 心配したんだから。無茶しないでよ!」


 ごちゃまぜの感情を無造作に叩きつけられ苦笑いすると、東風は泣き出した。


「なんで泣くんだ」

「心配だったんだよ!」


 何度も連絡してくれたらしいが、絶対安静とのことで俺には届かなかったらしい。顔の傷には絆創膏を張っているが、他に目立つ怪我はない。

 入院というのも、ほとんどが虎帯ちゃんに殴られたものだ。本来の戦闘では鎧が文字通りに死守してくれたために軽い打撲程度におさまった。


「泣くなよ、東風。俺は元気だから。いつも通りの俺だ」

「だって、本当に」


 その先は言わなかった。口にすれば実現しそうだったのだろう、その配慮が心地よい。

 学校につくまで東風は俺に寄り添うように歩いた。少しでもつまずこうものなら、


「ねえ、まだ休んでいた方がいいんじゃないの」


 と、いつもの活発さを慈愛に転換させる。


「平気だって」


 それは教室に入っても同じで、クラスメイトたちは一瞬驚いたが、俺を見るなり安堵したような雰囲気に包まれる。


 信楽が、堀田が、鈴木が、クラスメイトたちは暖かな声で迎えてくれた。逃げた後悔を謝罪されても、何も言えない。だって彼らの行動こそあの場では正しいものだったから。


「いや、俺が悪いんだ。逃げた方が良かったよ」


 すると田中がかかとを鳴らしてやってきた。開口一番、叱咤するように言った。


「あれは命令だった。違反したのはお前だ」


 鋭い目つきだが、若干、他のクラスメイト同様に後悔のような色があった。


「田中! そんなの今言うことじゃねぇべや!」


 東風は悲鳴のように叫ぶ。彼女の訛りはあまり聞かないのでなんとなく幸運な気がしたし、自分のためにしてくれたことにも感謝した。田中にはその流れで、笑ってみせる。


「俺が間違っていたよ。お前は正しい。だから、何か思っていることがあるなら、それは違うぞ」


 そう伝えると、田中は苛立ったように席に着いた。


「おい、田中!」


 東風が食ってかかろうとすると、チャイムがなった。


「おはよう! お、氷澄も来たか。サボっていたぶん、とりかえせよー。それじゃあ、世界中央の行軍進路の確認からやってみっか」


 井伊先生の登場で収束した田中と東風の争い。あのまま進めば椅子や机が飛び交っていただろう。東風ならばそうするし、田中もそうしたはずだ。


「中央は大陸に点々と輸送経路を作り、ここ日本へと侵攻してくる。その距離は約一万キロだ。しかし、鉄道路線と航空機による物資運搬方法を確立させているし、なにより、現在、我々にはそれを潰す方法がない」


 いつもは右から左へと流れる授業もなぜだか耳に残り、肌を焼く日光も爽快である。


「なぜか。中央はすでに我らへと攻撃を仕掛けていて、その防御に手一杯だからだ」


 対馬にある018特別駐屯地では空中、地上、海上で、その場所を奪い奪われを繰り返している。大陸と日本を断絶する海。その中間にある大きな島々は、世界中央には移動の中継として、日本にとっては、侵攻への足がかりとなる重要拠点なのだ。


『へえ。意外と覚えているもんだね』

「現在も、対馬では激しい戦闘が日々行われている」


 こうしてコノミコが茶化すから授業を聞き逃すこともある。というのは言い訳がましいにもほどがあるが、事実でもある。


 いつもとは違う。今日は授業がすんなりと頭に入り込み、姿勢も崩れない。

 終始そうであれば良かったが、いつのまにか、先生の怒声で目が覚める。


「起きろバカタレ。入院していたくらいで私が手加減すると思うなよ」


 平謝りしての午前中を終え、午後は基礎訓練だ。これはグラウンドを走ったり、筋トレをしたり、作戦を覚えたりする。演習に比べると華やかさのような、疲労や傷から命を感じるといったことはないが、これも戦争をする上で必須なものだ。


 今回は作戦を覚える授業である。突撃を例にるならば、誰が、どこでどういったルートをとるのか、武装や部隊の数などを細かく定め、あらゆる状況を想定する。日本は山が多く、世界中央はひらけた場所が多い。敵地の戦う場合、山間での戦闘方法はあてにできないからだ。

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