第10話 夢見たあとで

「大和。こっちに来なさい」


 夏休みになると虎帯ちゃんは、俺をよく魂鎧がたくさんある施設に連れていってくれた。格納庫か基地だったのだろう、とにかくずらりと並ぶ鎧たちに毎度圧倒されていた。

 それらを指差しながら、彼女は難しいことを言うのだ。


「ほら、あれを見て。00年式よ。97年式に比べて装甲が分厚くなったのに、最高速度は上がっているの。もちろん縁生との繋がりにもよるけど、それでもすごいと思わない?」

「うん。すごい」


 俺は半端な返事しかしていなかったと思う。まだ子どもで、魂鎧という名前すら知らなかったはずだ。


「あれは十センチ散弾砲ね。いってしまえば、小さな弾がばら撒かれるの」

「へえ」


 気の無い返事に彼女はため息をついた。


「どうも真剣味がないわね。いいわ。こっちにおいでなさい。いいものを見せてあげえう」


 手を引かれていくと、やたら厳重な鍵の扉があった。あれは特定のパスワードと、何か入館証のようなものが必要だったのではないだろうか。小さな女の子らしからぬ手早さで首紐の先にあるカードをかざし、数字を打ち込んだ。


「こっち。はぐれてはダメよ」


 非常灯もぼんやりとした薄暗い廊下の先に、俺は地獄がある気がした。おそらく直近にいたずらがばれたとかで祖父から聞いたからではないだろうか。悪いことをした者が死後に行くとされ、針の山や炎の川がある、とにかく怖いものとしてイメージした地獄がある気がした。


 扉が開くと辺り一面真っ赤で、怨嗟の声が響き渡るのではないか。そう真剣に怖がって、虎帯ちゃんの手を強く握り、後ろに隠れた。

 彼女は笑って俺の頭を撫でる。


「大丈夫よ。何も怖くないから」


 暗い廊下には俺と彼女しかいない。信じられる者も頼れる者もこの少女しかいないのだ。その唯一の存在がゆっくり扉を開いた。


「御覧なさい。あれが」


 二体の魂鎧があった。真っ赤なものと、真っ白なもの。あの時、確かにイメージの中の地獄は吹き飛び、目を奪われたのだ。


 決して滑らかではない角ばった線の装甲に。神秘的な二色の鋼の光沢に。灯りは点らずとも、生き生きとした双眸に。

 赤色は、もしかすれば地獄の炎を連想させたかもしれない。しかし、俺はそこに温かみを感じた。

 白い方のペイントは少しくすみ、ちらほらとむき出しの鋼色があり、それが風雨にさらされている地蔵のような印象だったから、そのおかげで恐怖は薄れた。


「どう? 怖くないでしょう」

「うん」


 さっきの鎧よりもひと回りかふた回り小さいのも手伝って、恐怖に圧迫されることはなかった。


「あの赤いのは、何?」


 虎帯ちゃんは微笑みを携え、堂々と言った。


「『叢(むら)雨(さめ)』よ。我が若松家に伝わる鎧なの」


 言葉の意味はわからなかったが、その響きは彼女の声と相まって殊更に綺麗だった。


「叢雨は激しいけどすぐ止んでしまう雨って意味なの。あんなに赤いのに、雨だって。変わっているわよね」


 頷いたのか、首を振ったのか。それとも俺の返事など求めていないのか、虎帯ちゃんは続ける。


「ざあっと降ってはい終わり。そういう雨だから、一瞬で敵をやっつけちゃおうってことかしらね」


 なるほど。と俺は知ったかぶりをした。


「ねえ、虎帯ちゃん。あの白いのは?」


 あれはね。と、やけにもったいぶった。


「『神供』というの」

「ジンク……」


 繰り返してみても、あまりに実感がない。そんな言葉があったのかと、そしてそれを知る彼女に感心したほどだ。


「神様へのお供え物ってこと。あれはその身を神様に捧げるために戦うのよ」

「どういうこと?」


 俺は質問ばかりしていた。その度に解説してくれたし、俺がそうするのをにこにこ喜んでいた気がする。


「捧げるのよ。その全てを。何もかも捧げるの。死ぬことも、そこに含まれるわ」


 魂鎧が死ぬとは壊れるということだろうか。そうなればパイロットはどうなる。


「俺、死にたくないよ」


 率直な答えに彼女は眉尻を下げた。


「それはそうよ。私だって、あなたが死んだら嫌だもの。だけど」


 虎帯ちゃんはまた俺の手を引いてその場を離れた。鍵を開け、一気に格納庫まで戻る。あれほど圧倒されていた叢雨たちへの興味はもう薄らいでいた。


「聞いて」


 彼女は俺を目の焦点が合わないほど近くまで引き寄せ、呟く。


「あなたはいつか私のために死ぬわ。いいえ、私が、私のために殺す。でもね、それが神供であって、大和はそうならなくてはならないの。私があなたにとっての神様だから」


 瞳は爛々と黒い輝きに満ち、その言葉の真実がどうであれ、俺は彼女を完全に信じた。純粋な少年になんて物騒なことを教えるのだと、このシーンが夢に出るたびに思う。


「忘れてはダメよ。あなたは私のもの。来るべき決戦の日のために生きるの。私があなたの寄る辺であり、希望であり、全てであり、神なのだから」


 なんて大言。なんて妄言。狂気そのものだが、俺は信じた。俺はいずれ捧げられる。彼女は俺の全てで、神である。ませた少女の暴言とすればそれで済むが、俺は大真面目に信じた。


「うん。わかったよ。忘れない。虎帯ちゃんが俺の神様なんだね」

「そうよ。わかってくれて嬉しいわ」


 至近距離でのとびきりの笑顔。忘れていたが、彼女はとても可愛い。

 格納庫を出て夏の日差しに体を晒す。もう一言か二言か喋ったと思うが、そこからはグニャグニャとした記憶が前後を無視してぶちまけられた。

 東風と初めて会った日のこと。祖父と散歩したこと。国士学園の入学式。

 そして颯爽と窮地に現れた真紅の魂鎧。

 記憶の星々は線になり、鼻の奥に熱さを感じた。

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