夏の日の少女
第9話 格納庫の奇行
あ、入院したんだ。と、激戦の後だし怪我もしたので当然だけど、目を覚ました瞬間に理解した。
清潔の中に埃っぽいような匂いがする。間仕切りのカーテンを開けても誰もいない。薄い乳白色の病院の衣装は好きではないから、畳まれた学生服に着替えた。なぜか新品である。
「爺ちゃんに電話しないと」
『午後八時をお知らせしまーす』
「おう? お前、いつのまに時報になったんだ」
『だったら腕時計くらいしておきな。お知らせが三つあるんだ』
廊下に出ると、基地のようだ。慌ただしく、学ランの俺を気にする者はいない。案内板を見つけ、公衆電話よりも格納庫が目についた。
『一つ。ここは日本国軍046駐屯地。あの吉永って奴がいた場所だ』
「そうか。式に出させてくれるかな」
誰かが戦死すれば戦中でも簡易的ながら追悼式をする。最後を見た者の一人としてとして、その責任があるだろう。
『二つ。お前の魂鎧は完全に壊れた。破棄だ』
「……格納庫に行こう」
さよならくらいは告げてもいいだろう。これまで一緒に戦った友人なのだから。
『おおセンチだこと。放っておけよ』
「お前の時はそうしてやるよ」
『ひゃあ。くわばらくわばら」
うるさいこともあるが、コノミコはよく従ってくれるし、鎧との繋がりの役目もしっかり果たしてくれる。性格がどうあっても、彼女を手放すなどありえない。
『そんで三つ目。お前、探されているぜ』
「誰に」
しばらく進むとシャッターがある。ここから先が倉庫や格納庫があるのだろう。横に備え付けられたドアを開くと錆びた音がした。
『いや、なんかさ。お前が寝ている時に、何回か人が来ていたから』
起きるのを待っていたんじゃないかな。コノミコはそう言った。
「お前、寝ていないのか」
『ベラベラ話してうるさかったからね』
格納庫は油と鉄の匂いがして、それがどうにも嬉しい。05年式と00年式、95
年式、93年式が整然と並び、工具こそ散らばっているが、こういった格納庫にしては綺麗な空間だった。あの時の魂鎧の武甲もそこにある。
知っている型ではないが、見覚えがあるような気もする。もちろん戦闘中のことではなく、昔どこかで見たことがある気がするのだ。誰かの特注か、それとも代々受け継いだものなのか。
戦商売の家系には、家宝として受け継がれる魂鎧が存在する。もしかしたらそういった代物なのかもしれない。
トラックのそばに高く積まれた鉄くずがある。
「これが俺の」
『そうみたい。あーあ。コイツ、結構根性あったんだけど、死んじゃったか』
荒っぽい操縦にも粘り強く反応し、限界を超えても従ってくれた。それを根性と呼ぶなら、それは正しい。この生気を失い、ガラクタとなった姿を死んだと表現するのも、正しい。
佇む魂鎧だった鋼の寄せ集めは、泣いているようにも、俺を守りきれたことを誇っているようにも見えた。
瓦礫の下の方に頭部があった。ひび割れ、目の部分となるカメラがむき出しになっていた。よく観察すると隣には足が、その上に重なるように腰がある。折れた刀の一部だろうか、鋭いかけらを拾い上げると。そのわずかな衝撃にも耐えきれず、五センチ程度の破片にまで砕けた。おそらくどこを拾い上げてもこのくらいになるのだろう。それをハンカチで包みポケットに入れたのは、形見のようなつもりだった。
「ありがと。命の恩人だよ、お前は」
『まったくセンチメンタルだぁね』
コノミコが言うには俺を誰かが探しているらしい。何か用事があるのだろうか。愛機に別れを済ませ格納庫を出ようとすると、視線を感じた。
彼女は真紅の魂鎧の足に腰掛けていた。
挨拶だけでもするか。そんな考えでいたが、俺の移動に合わせ立ち上がり、軍靴を鳴らしてこっちに来た。
「なるほど。優しい男だ」
適度な距離というのを知らないのか、止まることなくパーソナルスペースを破り、俺の鼻先まで接近した。
「ふふん。やはり背は高いな」
長い黒髪。黒い瞳。背丈は俺の目線に頭のてっぺんがくるくらい。正規軍の制服は深い緑色で、彼女のそれには所々に黒いシミがある。袖や首筋は程よく日焼けし、健康的だ。
厚みのある軍服からでもはっきりとわかるほどに胸部が盛り上がり、尻もでかい。どれくらいベルトを締めているのかはわからないが、腰は細そうだ。
前髪を無造作に垂らし、太い眉にかかっている。すっきりとした鼻筋と乾燥で端のきれた唇は赤い。美人である。
雰囲気は男勝りだが、それ以上に女性らしさも存分にある。俺の人生で最も刺激的な同年代の女だった。
『へえ。なかなか』
……厳しいな、お前。
「あの、近いです」
彼女の顔は俺の鼻先にある。つまりは胸が触れ、つま先もこつんと接している。
しかし、俺はあえて一歩も後退しない。下心からではなく、初対面の相手にビビっていたら戦場になど出られない。そういう意識の問題だ。
彼女は無言で俺を睨んでいる。むすっと口をへの字にしたまま、そこに敵意はないのだろうが、こっちの気分は良くない。
「赤間国士学園の氷澄三等陸兵です。あなたは」
『なんで名乗った?』
俺を警戒しているからこんなことをしているのかもしれない。名乗っておけば人違いを避けられるし。
「知っている」
距離は離れない。もう一歩でもいいから下がって欲しい。なぜこんなにも近寄って、近寄りすぎるほどに近づいているのか。
そこで思いついた。俺が退がるまいと思っているのと同時に、こいつも退がるまいとしてこうした態度でいるのではないか、と。
そうであれば俺が離れればいいだけだ。
『素晴らしい状況だ。だけど、ほら、もう行こうぜ』
もちろん俺だってそうしたい。だが彼女は俺を知っているみたいだし、もし上官で、あの救援に来たこの基地の人間だったら、邪魔だからと距離を置くのは失礼な気がする。
「ここには誰もいないぞ」
それが、助けを呼んでも無駄であるということだと理解するまでに多少時間がかかった。自分でも顔が引きつっているのがわかる。
「おい。なんとか言え」
彼女の殺気のこもった低い唸りに思わずつばを飲み込んだ。
「は、はい。ここには誰もいません」
「そうだな」
「いるのは俺と、その、ええと」
どの答えが正解だろう。当たり前の事実確認なんて無駄だし、二人きりだねなどと気取るのもつまらない。というかできない。
「ここには誰がいるというのだ」
また喉の奥がなった。そもそも彼女の名前も知らない。体は密着しながらだが、できる限り低姿勢で言った。
「すいません。お名前を頂戴したいのですが」
彼女の大きな目がくわと見開かれた。
もうとびきりに不機嫌になり、つま先を踏みつけられ、じんわりとした痛みが脳に伝わるわずかな時間で彼女は静かに叫んだ。
「名前だと?
忘れるもなにもない。知らないのだから。なぜ俺は大破した相棒に、窮地を救ってくれた真紅の魂鎧に、こんなに情けなくて恥ずかしい姿を見せなければならないのだ。
「あの……申し訳ありません」
頭を下げようにも距離の問題で無理だった。だから精一杯視線に気持ちを込めた。
「謝罪などいらん。私が何者か思い出せ、馬鹿者が」
あんたのことなんて知らない。
思えば、どうしてこんな風に同年代くらいの女の子に威圧されなければならないのだ。もちろん年齢が俺より下でも操縦が上手い奴はいるだろう。階級が上のやつだって大勢いる。性別なんて関係ない。
そもそも上とか下とかってなんだ。ああムカムカする。ぶん殴っちゃおうか。なんとかなるだろ。この窮地は脱出できるさ。先のことは知らん。もうどうにでもなれ。
『距離が近すぎて、拳が振り切れないと思うけど』
じゃあ別な案があるのか。などと八つ当たりしてしまうほど、この眼前の女によって精神が揺さぶられていた。
「おい。聞いているのか」
八方塞がり。彼女の言う通り、思い出すしかないのか。しかしいったい何を思い出せばいい。
「なんとか言ってみろ!」
あまりの高圧さにぶつんと何かが切れた音がした。脳のどこかから聞こえる理性のちぎれた音だろう。自制の壁は崩壊したのだ。
「……駄目だ。わがんね」
「あ?」
言ってしまえ。所詮俺は学兵だし、何かあってもたかがしれている。退学になったってかまうもんか。
「
彼女は血相を変えて俺の腹を殴った。完全に不意を突かれたため、跪き、胃液を吐く。彼女のブーツに飛沫がかかった。
病み上がりであることを除いても、俺が脆いのではなく、彼女の力が強烈だったのだ。
『やるぅ』
コノミコは口笛を吹いた。一体どっちの味方なのかわからない。
「わ、わか、わからないだと! そんなことがあるか!」
名前も知らない顔も知らない女に俺は胸ぐらを掴まれ、床に引き倒された。
「よく見ろ! この顔を! 多少は成長しただろうがどうして覚えていないのだ!」
乱暴すぎる。あまりにひどい。一応、俺は激戦を命からがら終えた身だぞ。そのことで威張りなんかはしないが、これはひどすぎる。
「わがんねェって言ってんべや」
彼女は馬乗りになって、そのまま拳を振り下ろす。
これをガードするのは簡単だ。だがそうすれば、俺は完全に彼女に負けたことになる。接近を許し、殴られ、倒され、暴言を吐かれ、ここまでされたんだから少しくらい意表を突きたいじゃないか。それがどんなにちっぽけな反撃であったとしても。
無言で殴られ続けること六回。鼻血が喉を伝い、それを飲み込む。口内は切れたが、歯は折れていない。まだだ。まだ耐えられる。
彼女は七回目の拳を振り上げ、静止する。
「なぜだ」
熱を持つ頬に、さらに熱い雫が落ちてきた。わずかな粘性もなく、するりと頬を伝って流れていく。次々と垂れてきて、そのうちの一つが口に入った。
彼女は不機嫌な顔のまま、灼熱の涙を流していた。
「本当に忘れてしまったのか。この私を」
一体俺とあんたにどんな関係がある。コノミコはきっとにやけながら静観しているのだろう。こんな時こそ俺を勇気付けてくれ。
「……知らね」
彼女は目をこすり、俺をまた殴った。衝撃で後頭部がコンクリートの床にぶつかり、脳みそが揺さぶられ、視界が真っ黒になる。
ああ。まだ殴られている。意識の途切れる寸前まで、彼女の拳骨は振り下ろされていた。
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