第8話 真紅の助け

『うは! ヤバい!』


 オオと吠える敵のブースターに、コノミコはまるで人ごとだ。

 だが、その軽さに冷静を教えられている気もするから、ただの無責任な縁生だと切り捨てられない。


『全体の四割は破損。そのうちの八割は全壊だ。……穴ぼこや 敵の鋼の 鋭さよ。一句できた』

「冗談やってる場合かよ!?」


 これで死ぬのか。おしまいか。だが時間は稼いだはずだ。

 腹は括ったはずだが、どうも生にしがみつきたがる自分もいる。未練となるのは、一人きりになってしまう祖父だろうか。それとも東風たちのことか。


「わからん。……さあ、死ぬか」


 言葉にすればあっけなく、しかし腕には力が入ったままだ。


『援軍も来ないし、な』


 それを聞いて少し気が楽になった。援軍がないのなら、それはつまり東風たちが戦場に戻ってきていないってことだ。


 頭と体が切り離されたように、力はみなぎったまま、別なことを考えている。


 コノミコは俺とは性格が違う。だから彼女の軽さや、図太さに少し憧れていた部分がある。少しはそれに近づけたのだろうか。

 奇跡の業は様々な事象がかみ合い、さらに縁生との信頼によって、ごく稀に発現するといわれている。今ならそれができるかもしれない。火事場の馬鹿力ってやつで。


 鎧の指が落ちた。とっさに刀の軌道に腕を置くと、あっけなく貫通した。だが運良く鋼が絡まる。パンツァーが刀を振り回すと、根元から腕がちぎれた。


 奇跡は起きない。そう鋼が教えてくれた。


「じゃあな」


 がらではないが別れの挨拶をしてみる。コノミコはそれほど驚かず、おうと返事をして、血相を変えた。


『ん? ん、待てよおい。この反応はなんだ』


 こんな彼女は初めてかもしれない。信じられないといった風に半分も残っていないモニターにレーダーでの探知範囲を写し出す。そこには高速でこちらへ向かってくる反応があった。


 異変はそれだけに止まらない。


 パンツァーは自ら刀を引き抜き、後退した。しかも撤退していくではないか。

 突如乱射される軽突撃砲。狙いは俺ではなく、射程圏外の謎の機体へと攻撃を開始し、後方から迫る不安要素に俺は叫んでいた。


「コノミコ! 状況は!」


『所属不明機体のお出ましだ。はっ。これ以上面白くなったらオチが怖いぜ』


 眼前に居並ぶ量産型パンツァーの上半身が吹き飛んだ。カメラがイカれていて見えないが、所属不明機の大口径砲だろう。

 ぐるりと周囲を旋回した。わざわざ俺の肉眼でも見える範囲で、それを行い、敵撤退の確認が終わると目の前に降り立った。レーダーには俺と、目の前の――真紅の魂鎧のみとなった。


 モニターが崩れ画面には何も映らなくなったから、音声だけが飛んできた。


「無事か」


 この声の主も女だ。テノールボイスがやたらと心配そうに語りかけてくる。


「応答しろ。生きているのか」


 安堵に惚ける俺の無事を確かめるように、音声の語気は強まる。


『おい、本当に死んじまったか?』


 コノミコの笑えない冗談が俺に返事を急がせた。


「赤間国士学園の氷澄大和三等陸兵です。援護に感謝します」


 簡潔な挨拶だが、そうしようとしたのではなく、体力と精神の摩耗でこのくらいしかできなかった。

 友軍機体と考えていいのだろうか。この窮地を救ってくれた鎧からは、通信が損壊したために音声すら届かなくなり、ガサガサとかすれたノイズしか響かない。


 残った片腕が先端から崩れていく。張り詰めていた糸が切れ始めているのだ。


「よう。応援は呼べるのか」


 コノミコに聞いてみた。コックピットの隙間から見える真紅の魂鎧はじっと動かず、あれほど鮮やかな殲滅を見せたにもかかわらず、威圧感はない。しかし本当に味方であるという確証がない。


『通信がイかれているけど、まあ、救命信号くらいはできるよ。モールスになるけど』

「なんでもいい。早くしないと、愛機が鉄くずになってしまう。それに」


 あれが敵であれば、そこまでだ。


『あはは。もうスクラップ確定だよ』


 気は抜けない。腕の末端は崩れ、足も限界が近い。音声のやり取りができていないのも困る。思考の交換ができていないからあの機体の行動が全く読めないし、あっちも俺がどんな行動をとるのか見定めているのだろうか。


『おっ。反応あり。近くの基地から人が来る。でかい運搬車も用意してくれた』

「そうか。じゃあ俺もできることをしないと」


 隙間、というか大穴の開いたコックピット。すまん、と一声かけて、蹴って穴を広げる。


『おい。何してんだ』

「あいつにそれを教えないと」


 何度か蹴るだけで簡単に穴が空いた。ちょうど俺の全景が相手には見えるはずだ。コックピットはそれなりの広さがあるが、さすがに立ち上がるには腰をかがめなければならない。俺は魂鎧を膝立ちにさせ、残った腕で肩までの道を作り、よじ登って手旗信号を送る。


『……こいつとの繋がりは切らないままにしておくよ。切った瞬間、廃材になるから』

「そうしてくれ」


 手旗信号は昔、海上で使われていた連絡方法だ。旗を振ることにより文字を構成させ、視覚による通信ができ、旗以外の機器を一切必要としない。だから今でも、こんな状況は予想されていないだろうが、パイロットたちは完璧にできるよう訓練している。


 感謝と味方がもうすぐ到着する旨を伝えた。無反応だった。


『バカだね。そんなことして』

「あれは恩人だぞ」

『それがバカだって言ってんの。あの真っ赤な派手好き、名乗りもしやがらねえ』


 同じ内容の信号を繰り返し送り続けても真紅の武甲は動かず、そして遥か遠くから鋼の駆動音がした。


『あいつが敵だったらどうする』

「それでもいい。言っただろう。恩人だ」


 コノミコもわからない奴だ。相手に借りができているのだからどんなことでも俺はしてやらなければならない。

 もし逃げたがっていれば。そのために信号を送った。

 もし俺を仕留めたがっていれば。そのために身を晒した。

 味方の姿は豆粒ほどの大きさからぐんぐん近づき、通信が届かないから、肩の上から信号を送った。


「自機大破。所属不明機体有り」


 簡潔にしなければいけない信号だが、この状況は伝えづらい。


 現れたのは05年式が二機と95年式が五機。それに運搬用のトラックが二台来た。それについての安堵の感動はなかった。おそらくは、もうその境地にいるのだろう。


『空が青いぜ。終わってみれば、たいしたピンチでもなかったな』


 それにはコノミコの存在が大きい。彼女がいなければ、あの緊張と重圧ですでに発狂していたと思う。

 もう一つ、あの真紅が俺の精神を落ち着かせた。

 臨戦態勢の味方が砲を構えて俺の前に出た。赤い鎧はそれに別段応じるでもなく、その声を周囲に響かせた。


「当方に敵意なし」


 ピンと張ったような迫力のある声だ。腰に下げた長刀と、いくつかの武装を地面に転がした。


 俺が聞いたのはそれだけで、あとは個人回線に切り替わったのだろう、ほんの少しだけの静寂の後で、俺を除いたどの機体も動き出した。


 友軍気から手旗信号で降りろといわれた。


『先に降りて離れないと、崩れた時に巻き込まれる』


 コノミコの指示に従い、繋がりを切ると、胴体がまず半分に折れた。上半身が頭から落下し、地面につくのと同時に膝が割れ、全体がいっぺんに砕けたように見えた。

 精神の摩耗が激しく、まぶたが重い。寝る旨を運転手に伝えた。


『それにしても』


 赤い魂鎧は前後を味方に挟まれ、先に基地に向かった。


『女難の相が出ておるのぅ』


 古臭い占い師のようにコノミコは言った。

 あのパンツァーも真紅の魂鎧から流れた声も、紛れもなく女のものだった。

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