第7話 魂の隙間から
『やろうぜとは言ったが、多分、お前死ぬぞ』
こいつ、ふざけやがって。
「おい! 逃げろと言っただろう!」
吉永が俺に気がついたのか、そう叫んだ。
「こちらは赤間国士学園の氷澄大和三等陸兵です。あなたを援護します」
「駄目だ! いいから逃げろ」
呼びつけておいて勝手なことを言いやがる。いらない反骨心が顔を出し、吉永を無視して配置についた。
『いいねえ。やっちゃおうぜ』
「状況はすべて口頭で伝えろ。これより戦闘を開始する」
引き金を引いた。すぐさま気づかれ、左肩を銃弾がかすめた。移動しながらも数発ずつ弾をばらまき、遮蔽物のある場所へと身を隠す。偶然にもそこは在軍の陣地となっていた。
「貴様! なぜ逃げなかった!」
これに答えたところで彼は納得しない。敵の姿も確認せず、腕だけ物陰から出して、射撃する。弾幕が薄まるとは思わないが、しないよりはマシだ。
「……氷澄とかいったな」
学兵の犬死を見届けると決意したのか、吉永の声は落ち着いていた。
「相手の機体数はこちらを上回り、ゼーレパンツァーも一機ある。いいか、いつでも離脱できるよう準備しておけ」
「はい!」
『む……敵総数十九。こちらは私たちを含めて十三。殲滅される恐れあり』
コノミコの声はようやく硬いものになった。
『やばい! 一体抜け出してくる!』
それに気づいたのは吉永も同じで、影から飛び出して迎撃に向かった。
「やむを得ん! 援護しろ」
周囲には俺しかいない。味方は散兵のごとく散り散りになっていることからも、勝ち目などはなく、目的は一機でも多く相手を破壊するというものに変わっているのかもしれない。
援護といってもたいしたことはできない。砲の経口だって大きくないし、弾数も考えなしに使えばわずかな時間ももたない。
吉永と敵機体を一対一にさせることができれば、彼次第だが援護になるはずだ。両手に砲を持ち、狙いをつける。遮蔽物のヘリに当て、顔を引っ込めさせる。どんな些細な攻撃でもいい、彼にとって最良の瞬間を演出しなければならない。
吉永の機体は、05年式で、部隊長クラスだ。ただし鎧の性能は良いのだが、激しい戦闘の末である、砲すらなく、ただ長刀があるだけだった。
彼の一騎討ちの結果によって、この戦闘の明暗が分かれるだろうと、なぜかわかった。
通信は切ってあるのに、吉永の魂鎧からは絶叫が聞こえるようであり、そのまま彼らは交戦した。
突撃の際の圧力が視覚から全身を揺さぶる。見えないなにかに押されるように、俺はコックピットの座席にもたれた。
鋼のぶつかる音は、なにものにも例えられない。近接攻撃に用いる長刀も、鍔迫り合いの駆け引きも、腹の底に響く音波で伝わり、思わず引き金から指が離れた。それは相手方も同じなようで、敵味方が二種類の鎧に釘付けになっていた。
しばらくの剣戟。キン、と間抜けな金属音がして、二機の間から、長刀が一本空に舞い上がった。
『逃げろ』
コノミコがいつもの軽さを捨て、驚くほど静かに言った。
なぜ。聞こうとするより早く、その理由がわかった。
吉永の背中から、角のようなものが飛び出ている。それは徐々に上へ上へと進み、ついには頭の先端から弾けるように抜き出た。
太い剣を空に掲げたパンツァー。味方であればなんと心強い光景だろうか。
しかし、あれは紛れもなく敵で、吉永の鎧は上体を綺麗に縦断されたのだ。
俺たちのコックピットは腹部にあるが、05年式は頭部にそれがある。小さな赤い染みが確認でき、
『逃げろ!』
コノミコは叫んだ。反転しようとするも、威圧されたのか、それともこれもゼーレによる影響なのか、体がうまく動かない。
であれば、できることはなんだ。俺がこの場で、逃走を封じられた場合、何ができる。
「逃げる? そんなことはできない」
後ろにいる味方の逃げる時間を稼ぐことだ。先生が増援を呼ぶかもしれない。それまでとは言わない。一瞬とはいえ逃げなかった奴らが逃げられるまでの時を稼がなくてはいけない。
それまで騒いでいたコノミコは俺の心を読んだかのようにおとなしくなり、わざとらしくため息をついた。
『どうなっても知らないよ』
一歩ずつ、しかし確実に接近してくるパンツァー。砲を撃てば、それが開戦の合図となりかねない。射撃をこらえることで、そんな小さなことでまで時間を稼がなければならない状況に、不思議と気分が高揚した。それは明確に訪れつつある死に対しての拒絶反応なのかもしれない。
「どうなっても? お前、さっき言ったじゃないか」
長刀を構え、無理矢理に笑う。
「素敵な状況だ。やろうぜ。だろ? コノミコよぅ。なあ、やんべ」
不意に出た訛りには嬉々とした含みがあった。こうなるともう止まれない。さっきとは違う、自然な笑みになっていた。
コノミコは唖然とし、そしてすぐにゲラゲラと汚く笑う。もう少しで刀の間合いに入るのに、彼女は息も絶え絶えに言うのだ。
『私としたことが……ちくしょう、臆病風に吹かれちまってたみたいだ』
パンツァーは吉永にしたように、俺の腹部へと剣を突き出す。それを下段へと弾き、短刀を抜く。
「行くぞ」
『おう』
剣戟が始まる。見るのとするのでは大違いで、その振動は呼吸をせき止め、その恐怖で知らずのうちに小便を漏らしていた。それでも二本の大小でパンツァーの攻撃を防いでいく。
パンツァーの剣は両刃で、太く、刀とは相手に与える傷の種類が違う。刀が斬ることを主としていれば、あれは押しつぶすことや、叩き斬ることを主にしている。俺たちが中央刀と呼んでいる幅広の剣だ。
それらがぶつかりにぶつかり、しかも性能にかなりの差がある場合、訪れる結末というのはある程度似通ってくる。
バキン。吉永と同じように甲高い音で長刀がへし折れた。今まで二本でようやく防いでいたものが、一本になればどうなるか。
『袈裟懸け! 避けろ!』
のけぞって被害を減らそうとするも、たやすく切り捨てられ、コックピットの前面が痛ましくえぐれた。鋼のかけらが顔に突き刺さり、額と頬が熱くなり、何かが流れた。それよりも考えるべきことがある。
えぐれた断面から、パンツァーが見えた。直接浴びる死の匂いが鼻腔を突き刺し、目の奥をぼんやりとさせる。
不幸中の幸いだが、こんなになってもまだ鎧は動いてくれた。
『ふはぁ! 派手にイッたなあ!!』
コノミコはまだ負けを認めていないようで、呆けている俺に、
『コックピット外壁、前面装甲大破。だが動く。手足が動けば大丈夫だ!』
何が大丈夫なのかは彼女のみが知ることだが、これほどパイロットを鼓舞させる言葉があるだろうか。
彼女に報いるため虚勢をはれ。まだ健在だと吠えろ。逃げ場もなければ選択肢もない。だが、これが俺の役割だ。ここで死ぬことが俺の役割なのだ。
「当たり前だ! お前こそ、不甲斐ないサポートするんじゃねえぞ!」
すると、パンツァーは数歩下がり、背中に取り付けられたブースターを高らかに鳴らした。太い切っ先が俺へと向いている。前のめりで、刺突の意思を見せつけるようなわざとらしい姿勢だ。
それでも避けられないだろう。これだけの被害状態だし、さばいたり、しのいだり、その技術的にも難しい。
『来る』
パンツァーが大きく膨らんだ。そう見紛うほどの速度で突っ込んで来て、切っ先は雨のたった一滴のような細さだ。
手足が動こうとも、体の軸がイかれている。カメラも潰れ、壊れたコックピットの隙間から、肉眼でものを見ている有様だが、闘志だけは燃え盛っていた。
『目で威嚇しろ! できることはまだある!』
こんな状態でどうして諦めさせないのか。もとより諦めるつもりもないのだが、ともかく俺は激励され、直撃寸前の刺突を掴んだ。
刃は止まらずコックピットを砕き、首元すれすれを中央刀が貫いた。ほんの少しこれが動けば、俺の首が飛ぶだろう。
「できることって、これか! 俺にはこれしかできないのか!」
コノミコに吠えなければどうにかなってしまいそうなほどの緊張と切迫が中央刀から発せられる。プレッシャーが質量を持っていればすでに死んでいるだろう。
『素敵だ! これが鎧同士の戦さだぜ!』
心は怯えに蝕まれ、深く食い込もうとする分厚い鋼を眼の前にしても正気を保って入られたのは彼女のおかげだ。勝手で独りよがりなコノミコに、俺は救われていた。
「素敵なもんか! 縁生だったら、この状況をどうにかしてみろ!」
おそらく、俺は笑っているのだろう。腕の力を抜けばすぐさま死の底へと落ちるのに、心が折れれば瞬時に鋼に押しつぶされるのに、この生意気な彼女がいるだけで赤々とした生気が滾るのだ。
コノミコは声も軽やかに、しかし絶叫した。
『はっ! 私にできるのは発破をかけることだけだ! 景気良く爆ぜろ!』
魂鎧の指がちぎれた。一本、また一本と離れ、どんどん鋼が首へと近づいて来る。コノミコの声援も虚しく、可視化された死がいよいよ俺の首を絞めて、いや、両断しようとしている。
「俺はまだやれるか」
『ふふん。信じろよ、相棒』
やけに冷静で、それが逆に覚悟を決めさせた。
心身の先端まで意識を集中させ、外れた指をかけ直す。鋼はどう繋がっているのかわからないほどに断裂していたが、中央刀を握りしめ、引き抜く。その過程で、
『右脚部損壊』
と、コノミコが言った。踏ん張れず、相手に体を預けるように、刀を引き抜くしかなかった。ややあって、コックピットの中から重圧は去ったが、依然として指からは力を抜けない状況が続いている。
通信が入った。無線に割り込み、壊れかけたモニターには中央製のフルフェイスをかぶった人物が映し出される。赤と黒のカラーリングは、流れる血と無窮の大地を表しているらしい。世界中央の国旗の色でもある。
「なぜ死なない。どうして生きている」
女の声だ。犬の唸り声のようだった。低く、威圧するように、胸の奥を揺さぶってくる。
『どういうつもりだ?』
俺が死なないことに疑問を持っていやがる。こっちはふんばるので精一杯だが、こいつはブースターを唸らせればそれですむはずなのに。
舐められている。だとすれば、気に入らない。
「殺してみろよ」
俺の啖呵を噛み締めるような間があり、通信は切れた。
そして困ったことが起きた。パンツァーのブースターが改めて爆音を響かせて、再び俺を貫く準備を始めたのだ。
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