第23話 婚約者

 気道を確保し、ヘッケラー侯爵の胸に電気ショックを与える。心臓マッサージを開始しすると共に、風魔法を応用して人工呼吸を行う。すぐに新鮮な空気が肺に送り込まれ、胸が上下し始めた。そして間もなく、ヘッケラー侯爵が息を吹き返した。


「う、うう……」

「おじい様、しっかりして下さい!」

「ここは……一体何が起きた?」

「心臓発作を起こして倒れたのです。今、お医者を呼んでいますので、そのまま楽にしておいて下さい」


 ザワザワと会場が騒がしくなって来たがこの場を離れるわけにもいかず、私たちはその場でヘッケラー侯爵家一同を励まし続けることになった。もちろんダンスパーティーはその場で中止になった。


 ふと視線を感じて振り向くと、そこにはバロム伯爵家のミレーユ様の姿があった。鬼のような形相でこちらをにらんでいる。私に何か恨みでもあるのだろうか。恨まれるようなことをした覚えは全くないのだが。

 気にしない、気にしない。そう自分に言い聞かせて医者が到着するのを待った。


「ドロシー、よくやってくれた。キミがフォクシー侯爵家にいてくれて本当に良かった」

「私にできることをやっただけですわ」

「ドロシーがいなかったらヘッケラー侯爵がどうなっていたことか。そうなれば、あいつも悲しむことになる」


 あいつとはギルム様のご友人のことだろう。そのような軽口が言えるほど仲が良いのだろう。あ、また涙が。

 医者の診断によると、ヘッケラー侯爵はだいぶ心臓が弱っていたようだ。息子が亡くなったショックが大きかったようである。


「ヘッケラー侯爵が無理をしなければ、今しばらくの時間がある。その間にしっかりと引き継ぎを行うはずだ」

「あいつなら大丈夫ですよ。父上も力を貸すのでしょう?」

「む、まあ、そうだな」


 ヘッケラー侯爵に頼まれて、フォクシー侯爵も協力することになっていた。今後はますます両家のつながりは強くなるだろう。実に良いことである。




 クルリクルリとフォクシー侯爵家のダンスホールでギルム様と一緒に踊る。ピアノの上に置いてある魔道具からは舞踏用の音楽が流れている。今、ダンスホールにいるのは二人だけだ。


「ずいぶんと上達しましたわ。これならどこの家のご令嬢と踊っても失礼にならないでしょう」

「ようやく及第点か。ドロシーはなかなか厳しいな」

「何をおっしゃいますか。すべてはギルム様が恥ずかしい思いをしなくてすむようにとの思いからですわ」


 話ながらもクルクルと踊る。最初からギルム様のダンスは完璧だった。そのため、ほとんど教えることはなかったのだが、個人的な理由により延長させてもらった。もしかすると、ギルム様もそのことに気がついているのかも知れない。


 社交界シーズンも中盤戦に差し掛かったころ、フォクシー侯爵家に一つの縁談が舞い込んで来た。これまではギルム様が縁談を断ればそれでその話はなかったことになるのだが、今回は違うようである。


「その縁談は断ったはずですが……」

「ああ、その通りだ。だが、先方からどうしてもと言われてしまってな。こちらとしても悪くない話なのだよ」


 フォクシー侯爵が持って来たのは社交界初日で出会ったバロム伯爵からの縁談だった。どうやらバロム伯爵だけでなく、ミレーユ嬢もこの縁談を推し進めているようだった。

 悪くない話、というのは確かだろう。どちらも今勢いのある家なのだ。


 フォクシー侯爵とバロム伯爵は旧知の仲。調べたところによると、二人は学園に通っていたときからの友人だった。その交友は今でも続いている。

 そしてお相手のミレーユ嬢は見目麗しく、多くの男性からの縁談が毎日、山のように来ているそうだ。


「どうもミレーユ嬢があまりの縁談の多さに参ってしまっているみたいでね。婚約者を決めて、穏やかな日々を取り戻したいそうなのだよ」

「そうですか」


 そう言って笑うフォクシー侯爵。ギルム様と同じだ。違うところと言えば、届いた絵姿を見もせずに断っているため、縁談など気にしていないことだろうか。ときどき、ギルム様は女性には興味がないのかと思ってしまう。


 まさか男色家なのかと思って誘惑してみると、いつも真っ赤な顔をして私に服を着させようとしてくるので、どうやらそうではないようだ。それにしても、ギルム様は自制心が強すぎるのではないだろうか?


 私の中に積み立てられた膨大なデータから計算すると、すでに懇ろな関係になっていてもおかしくないはずなのだが。意外とガードが堅い。

 そのようなことをギルム様に言うと、「ドロシーの危機感が薄いだけだ」とにべもなく言われた。


 心外だ。守りが薄いのはギルム様の前だけなのに。これまで私に手を出そうとしてきた男はすべて地獄へと送り込んでいる。ギルム様が心配するようなことなど何もないのだ。


「まあ、そういうことだ。急に婚約者にすればお前が戸惑うだろう。まずはお互いに親睦を深めることから始めるといい」

「……分かりました」


 ギルム様はどこか影のある表情をしている。うれしそうではないが、かと言ってフォクシー侯爵が決めたことなので断ることもできないようだった。


 ついにギルム様もフラフラとしていられなくなってしまったか。この縁談が悪いものなら妨害するのもやぶさかではないのだが、悪くはないのだ。ミレーユ嬢が少々残念であることをのぞけばの話だが。


 あの”自分が一番、自分が選ばれて当然”のような態度はよろしくないのではないだろうか? あれでは他のご令嬢の反感を買うだけである。そうなれば、いともたやすく足の引っ張り合いが始まることだろう。

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