第22話 メイドのたしなみ
気持ち良さそうに顔を拭くギルム様。フォクシー侯爵も一息ついたようで、どこかホッとしたような顔つきになっていた。
ギルム様が無難に最初の社交界をこなしたことで、肩の荷が下りたのかも知れない。
「ギルム様、屋敷に戻ったらすぐにお風呂にいたしましょう。そのあとは入念にマッサージをさせていただきますわ」
「ま、マッサージ?」
「はい。ダンスで普段は使わない筋肉を使ったことでしょうし、明日、筋肉痛になっては動きに支障が出るかも知れません」
背もたれから体を起こしたギルム様が目を大きくしてこちらを見ている。そのままチラリとフォクシー侯爵の表情をうかがっていた。どうしてそこでフォクシー侯爵を見るのか。一言、「それでは頼んだぞ」と言えば良いのに。
「いいじゃないか。遠慮なくやってもらうといい。私もセシリアにマッサージを頼んでみようかな?」
「ち、父上!」
「何を照れているんだ。マッサージくらい大したことではないだろう?」
押し黙るギルム様。これはチャンス。フォクシー侯爵から直々にマッサージの許可が下りた。つまり、マッサージと称してやりたい放題である。私の中にインストールされている、七百八あるマッサージのうちで一番気持ち良くなるものをギルム様に施してあげよう。
「ドロシー……はあ、何を言っても無駄そうだな。ドロシーが言うように、普段の訓練では使わない筋肉を使ったのは確かだ。こんなことなら、ダンスの訓練ももっとやっておくべきだったな」
そう言ってチラチラとこちらを見るギルム様。
ギルム様が何を言いたいのかは手に取るように分かる。奇遇ですね、ギルム様。私もちょうど同じことを考えていたところですよ。
「それではギルム様、毎日の鍛錬の中に、ダンスの練習も取り入れることにしましょう」
「ドロシーはダンスも踊れるのか?」
「もちろんです」
「それは楽しみだな」
まるでバラが咲くようにギルム様が笑った。
顔が熱くなる。
こちらを見るフォクシー侯爵の顔がどこかニヤニヤとしているのが印象的だった。
王城で行われた、王家主催の社交界のあとも、いくつかの社交界に参加していた。最初に大きなカエルを飲み込んだのが良かったのか、そのあとに参加した社交界では落ち着いた様子で無難にこなしていた。
もちろん私も一緒に参加して影ながら支えている。今では貴族の裏の顔まで知り尽くしているほどである。当然のことながら、話せる内容と、そうでないものがあるので、すべてを教えているわけではないが。
「ドロシー、次の夜会はヘッケラー侯爵家のダンスパーティーに決まったよ」
「それなら気合いを入れて練習をしなければなりませんね」
「そうだな。せめてそれまでに、ドロシーからリードを取れるようにしないといけないな」
「まあ、ギルム様ったら。負けませんわよ」
そうこうしている間に夜会の日がやって来た。いくらギルム様にダンスを教えていたとはいえ、メイドが一緒にダンスをするわけにはいかない。私はただ、ギルム様がどこかのご令嬢とダンスをする姿を見ているだけしかできないのだ。ちょっと悔しい。
会場に到着し、フォクシー侯爵と共にあいさつをして回る。当然、ヘッケラー侯爵にもあいさつをする。白髪交じりの髪をしており、先代侯爵と同じくらいの年齢に見えた。その隣にはギルム様と同じくらいの年齢の男性がいる。ヘッケラー侯爵の孫だろう。
ヘッケラー侯爵の息子はすでに病気で他界していた。そのため、次の侯爵は彼になる。この夜会はその紹介も兼ねているのだろう。ヘッケラー侯爵が元気なうちに周りを固めておきたいのだと思っているに違いない。
「よく来てくれた」
「お久しぶりです、ヘッケラー侯爵。父も呼んだのですが、領地運営が忙しいようで……」
「構わんよ。どうせ魔道具でも作っているのだろう? 実に良い暮らしだ」
そう言って笑うヘッケラー侯爵。それが事実なだけに、フォクシー侯爵もギルム様も苦笑いをしている。ヘッケラー侯爵の隣にいる青年がこちらをジッと見つめた。
「ギルム、ずいぶんと美人なメイドを連れているな」
「俺の大事な補助役だよ。彼女のおかげでなんとかやれてる」
「うらやましいな。俺も美人メイドに補佐してもらいたいよ」
笑い合う二人。どうやら二人は学園で本当の友達関係にあるようだ。良かった。ギルム様がボッチじゃなくて本当に良かった。思わず涙がこぼれそうになったのをこらえている間に、ダンスパーティーが始まった。
ギルム様が数人のご令嬢とダンスを踊り終わったころ、突如会場が騒がしくなった。少し離れた場所から「急いで医者を呼べ!」という叫び声が聞こえている。
「ドロシー、何があった?」
「どうやら人が倒れたようです。あれは……ヘッケラー侯爵?」
「なんだと? ちょっと道を空けてくれ!」
声がする方へ向かうと、そこではギルム様のご友人が必死に声をかけていた。
「おじい様、しっかりして下さい。おじい様! だれか、医者はいないのか!」
「医者ではありませんが、メイドのたしなみとして救急医療を身につけております。私に任せていただけませんか?」
「ドロシー、大丈夫なのか?」
「今ならまだ間に合います」
スキャンして調べたところ、どうやら心臓発作のようである。それならば救うことができる。心臓マッサージは人力でやらなければならないが、電気ショックと人工呼吸は魔法を使えば簡単に行うことができる。
「危険が伴います。少し離れて下さい」
「ドロシー、ヘッケラー侯爵を救ってくれ。父の親友なのだ。それに次期侯爵もまだ育ちきっていない」
そう言ってフォクシー侯爵が私の両肩をつかんだ。普段はそうやって淑女に触ることがない人物が我を忘れている。その手をつかみ、大きく一つうなずいた。
私をなめないでいただきたい。人体構造を熟知した私にとっては、確実に蘇生させることができる状態なのだ。
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