第19話 社交界が嫌な理由

 フォクシー侯爵領から戻って来てからしばらく月日がたった。日が落ちるのも早くなってきて、季節はいつの間にか夏から秋へと移りつつある。夕方になれば涼しい風が吹くようになり、大変心地の良い季節になった。

 その心地良いシーズンに行われるのが社交界である。


「今年からはギルムも参加してもらう。そろそろお前の顔を皆にも知ってもらわなければならないからな」

「分かりました」


 夕食の席でそう告げられた。ギルム様はなんでもないような顔をしているが、実際は行きたくないようである。血の気が引く音が聞こえた。地獄耳の私に隠し事は不可能なのだ。

 まずはどうして社交界に参加するのが嫌なのかを知らなければならない。そうしなければ対策の取りようがない。


 食事が終わり、ギルム様の部屋へ向かうとすぐに問いただした。社交界までには時間がない。ノンビリと情報を集めている時間はないのだ。


「ギルム様、社交界へ行くのがお嫌のようですが、理由を教えていただけませんか?」

「そんなことはない……と言いたいところだが、ドロシーにウソをつくとろくなことにならないからな」

「そのようなことは……」


 ない、と言いたいところだが、ギルム様がそう言うのであればそうなのだろう。そもそも、すぐにバレるようなウソを言うのが間違っているのだ。心頭滅却して、ウソをついても動じない心を持てば良いだけである。私のように。


「自慢するわけではないのだが、俺のところにご令嬢が集まって来るんじゃないかと思っている。お茶会でもそうだし、学園にいるときもそうだった。きっと社交界でも同じように集まって来ると思う。その相手をするのが疲れそうだと思ってな」


 心底嫌そうに「はあ」と大きなため息をついた。ご令嬢も優良物件を見つけるのに必死なのだ。それはしょうがないと思う。少しでも権力と経済力と顔の良い男に近づきたいと思うのが普通だろう。


「それが嫌なら、早く婚約者を決めるべきだと思いますが? 旦那様からの婚約者のお話を断っているのでしょう?」

「それはそうなのだが、なかなか踏ん切りがつかなくてな」


 そう言ってチラチラとこちらを見るギルム様。何やら私の様子をうかがっているようだ。

 今は食事も終わり、お風呂の順番を待つ時間。ゆっくりとリラックスしてる時間である。なるほど、そういうことか。完全に理解した。手早くメイド服を脱いだ。


「ちょっと、ドロシー、何やってんの!」

「生の方がよろしいかと思って」

「よろしくないから。そのすぐに服を脱ぐ考えに達するのはやめろ。だれかに見られたらどうするつもりだ」

「ここにはギルム様しかおりませんけど?」


 ギルム様は何か勘違いしている。こんなことをするのはギルム様の前だけである。私はどこでも脱ぐような痴女ではない。相手と場所はしっかりと選ぶのだ。

 服を着させようとしてくるギルム様と格闘すること数分。あきらめたのか、ギルム様がため息をついた。


「他にも理由はある。社交界へ行けば、父上が必ず話を俺に振ってくるだろう。それに答えられるかどうか……父上を失望させたくない」

「ギルム様……その心配には及びませんわ。私がそばにおりますもの。この世界の知識についてはお任せ下さい。書庫の本だけでなく、王都にある古代図書館の本もすべて記憶しておりますわ」

「お、おう、そうなのか。それでは当てにさせてもらおう。……えい!」

「あっ」


 不意をついたギルム様が私に服を着せた。別の話を振っておいて、その間に服を着せるとはいやらしい。いつの間にそんな外道なやり方を身につけたのか。どうせならそのテクニックを使って、服を脱がせて欲しいものだ。


「ギルム様、お風呂の準備が整いました」

「すぐに行く」

「ギルム様、お背中を……」

「却下だ。まったく、何度言えば分かるんだ」

「お許しが出るまで何度でも」

「ドロシーのそのあきらめが悪い性格、見習いたいところがあるな」


 褒められているのだと思うが、ギルム様の顔を見ているとそうでもないような気もしてきた。

 それにしても、フォクシー侯爵の期待を裏切りたくないとは。実にギルム様らしい発想だ。


 フォクシー侯爵のことだ。ギルム様が間違った受け答えをしたところで、さほど気にすることはないだろう。同じ失敗を何度も繰り返さなければ良いだけだ。それも含めて、今から社交界に慣れさせようと思っているのだろう。


 だがギルム様は一度の失敗も許されないと思っている。若いころの失敗は、若さ故の過ちとして認めれば良いだけなのに。ギルム様の頭の固さは警戒に値する。

 ギルム様がスタコラサッサと私を置いてお風呂へ行ってしまった。腹いせにベッドに潜り込んでマーキングしておこう。


「ドロシー、おい、起きろ」

「ん、ギルム様? どうして私の部屋に? まさか、夜ばいですか?」

「違うから。ドロシーが俺のベッドで寝ているだけだから。ああもう、シーツがめちゃくちゃだよ」

「……一緒に寝ますか?」

「体を清めて、自分の部屋のベッドで寝るように」


 そう言うとギルム様は私を部屋の外に押し出して鍵を閉めた。

 ちょこざいな。部屋の鍵など三秒とかからずに開けることができるのに。鍵を開けようと思ったが、手が震えていることに気がついた。それにこの胸の高鳴りはなんだ。顔も熱くなって来たような気がする。


 まさか、これが風邪を引いたというものなのだろうか。これはまずい。風邪を引けばギルム様にお仕えできなくなる。早く部屋に戻って休まねば。

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