第14話 地獄の大魔王

「急げ、限界まで走れ!」

「ま、待ってくれギルム。そんなに早くは走れない……」


 くそっ、なんて貧弱なやつなんだ。これでも加減して走っているのにそれよりも遅いとは。一体どんな体の鍛え方をしているんだ。

 遅れるネッカーを励まして体育館裏へと急ぐ。頼む、間に合ってくれ!


「どこだ?」

「はあ、はあ、ギルム、あそこだ!」


 ネッカーが指差す方向に二人の人間が倒れている。遅かったか!

 急いで駆け寄る。二人ともボロぞうきんのような姿になっているが、生きてはいるようだ。

 良かった。ドロシーが人殺しをしていなくて、本当に良かった。ん、失禁しているのか……?


「アーノルド、シュワルツ、しっかりしろ! 何があった? ダメだ。反応がない……」

「ネッカー、これを見ろ。何か刃物のようなもので服がズタズタに切られている。だが……周囲に血痕はない」

「どういうことなんだ?」


 器用に服だけ切ったのか? そんなこと……いや、ドロシーの実力ならそれも可能だろう。だがそれだけで失禁するだろうか。頭の中に嫌な予感がよぎる。


「まさか……」

「ギルム……?」

「ドロシーは治癒魔法が使えるんだ」

「……それで?」

「もしかすると、刃物で刺しては傷を治し、刃物で刺しては傷を治し、と繰り返したんじゃないだろうか?」


 ボロボロになった服。一体何度刺されたのだろうか。馬車の中でドロシーがスカートをたくし上げたとき、太ももにナイフを装備していた。恐らくあれで……。


「アーノルド、シュワルツー!」


 叫び声をあげるネッカー。だがそんなネッカーに残念なお知らせをしなければならない。ネッカーを救うためだ。仕方がない。

 ポン、とネッカーの肩に手を置いた。


「ギルム?」

「ネッカー、ドロシーの次の狙いはお前だ。ドロシーは俺に敵対する者を排除すると宣言していた。ほぼ間違いないだろう」


 ネッカーの顔から表情が抜け落ちた。もし逆の立場だったら、俺も同じような顔をしていたことだろう。ドロシーを敵に回してはならない。それは地獄の大魔王を敵に回すようなものなのだから。


「ギルム、なんとかならないのか?」


 ネッカーがすがりついてきた。それに対して俺は首を振って応える。現実は非情である。


「止めはする。そうすればドロシーも表立っては行動しないだろう。だが、常に夜道は気をつけなければならない」

「……」


 放心状態になったネッカーを置いて来た道を引き返した。これ以上遅くなるとドロシーが何を仕出かすか分からない。本当に困ったメイドだ。俺のことを思っているからとはいえ、何もそこまでしなくても良いのに。


 ****


 ギルム様がトイレから出てこない。まさか、大きい方だったのだろうか? それならもう少し待った方が……いや、様子を見に行った方が良いかも知れない。腹痛でうずくまっていたら――。


「ドロシー、どこへ行くつもりだ?」

「ギルム様! 腹痛はもうよろしいのですか?」

「なんの話だ。腹痛よりも、どちらかと言えば胃が痛いな」

「ではすぐに胃腸薬を……」


 ポケットから薬を取り出そうとした手をギルム様がつかんだ。驚いてギルム様の顔を見ると、見たこともないほど怖い顔をしていた。この顔も好きかも。


「どうして顔が赤くなっているんだ……。ドロシー、勝手に動くなと言ったはずだぞ」

「も、申し訳ございません。ギルム様にサプライズプレゼントがあると言われたものですから、てっきりお友達なのかと思ってその手伝いに……」


 ウソではない。あの三人は確かにそう言った。もちろん、逆サプライズプレゼントをしてあげたわけなのだが。これであの二人は再起不能だろう。残すはあと一人である。


「そうだな。あの三人は俺の友達だ。ちょっとイタズラが過ぎたようだがな。今は反省しているらしい。これ以上の手出しは無用だ」


 どうやらあの三人からは手を引けということのようだ。一人やり損ねてしまったがまあ良い。ギルム様がそう言うのなら、表立って行動するのは見送ることにしよう。なに、王都にいる限り、チャンスはまだある。


「分かりました」


 その後はちょっと疲れた様子のギルム様と共に学園祭を堪能した。食べ物が一切提供されていなかったのは、毒が仕込まれる恐れがあるからだろう。学園を運営するのも大変なようである。


「お帰り~。ドロシーちゃん、楽しかったかしら?」

「はい。とても楽しかったです。またギルム様と一緒に行きたいです」

「それなら良かったわ。ギルムは……どうしたの? なんだかやつれてない?」

「大丈夫です。ドロシーに振り回されて、ちょっと疲れただけですから」


 む、夫人の前でそんなことを言われるとは思わなかった。これでは夫人からの好感度が下がってしまうではないか。ここはギルム様に敵対する者を始末したことを話すべきだろうか?


 だがギルム様は友達だと言っていた。もし本当にそうであるならば、逆に悪い印象を与えてしまうかも知れない。うつむいて黙っておくしかなかった。


「あらあら、馬車の中でハッスルしちゃったのかしら?」

「し、してませんから、そんなこと! というか、母上は止めないのですか?」

「うん。だって、ギルムももう子供じゃないでしょう?」

「……」


 ギルム様が絶句している。これは夫人が私とギルム様の関係を認めているということだろう。なんということだ!

 その後、ギルム様から聞いた話によると、学園祭の翌日からあの三人組の姿を見かけなくなったそうである。どうやら危険を察知して逃げ出したようだ。




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