第8話 書庫

 訓練を終えて体を清め、サロンでマッサージをしていると、昼食の準備が整ったとの知らせが来た。

 サロンには他の使用人がおり、想定していたマッサージができなかった。残念だ。お楽しみは夜に取っておくことにしよう。


 昼食の席にはフォクシー侯爵夫妻の姿があった。二人ともニコニコでツヤツヤな顔である。それを見たギルム様は何があったのかを察したのか、引きつった顔になっている。

 そのままコソコソと話しかけてきた。


「ドロシー、アレってもしかして……」

「ギルム様が考えている通りでしょう。すなわち、セッ……」

「それ以上は言わなくていいから!」


 小さな声で怒鳴るという器用なことをして、私の口を塞ぐギルム様。私の唇に触れ、赤くなるギルム様。どうやら女性経験はほぼないようである。もしかして、薄い本で満足しているのだろうか。それはまずい。


 ギルム様には世継ぎを残すという重要な役目があるのだ。なんとしてでもそれを思い出させなくてはならない。ギルム様の手を取り、胸に押し当てようとしたとき、フォクシー侯爵から声がかかった。


「ドロシー、キミに書庫を使う権利を与えよう」

「よろしいのですか?」

「もちろんだよ。ただし、フォクシー侯爵家の不利益になるようなことはしないように」

「もちろんでございます」


 深々と頭を下げた。そんなことをするつもりはない。そんなことをすれば、ギルム様の不利益になるだけだ。どうやら夫人との関係を取り持ったことで、フォクシー侯爵からの信頼を勝ち取ることに成功したようである。夫人を見ると、そのほほ笑みが一層深くなった。


 今日も午後からは家庭教師がやって来る。ギルム様と離れ離れになってしまうのは少し寂しいが、その間に掃除を終わらせて、さっそく書庫にこもることにした。

 これまで集めた情報によると、ギルム様は王都の学園へ四日行き、三日休むといった生活を送っているようである。


 そしてどうやら、ギルム様は学園に行くのをあまり好まないようである。学問については家庭教師から教わっているし、行く意味はないと思っているようだ。


 そうではない。学園に行くのは同年代の人脈を広げるのが第一の目的である。授業はあくまでおまけだ。どうやらそのことが分かっていないようである。そのことをどうにか教えて差し上げなければ。


 さらに思春期真っ盛りのギルム様は、女性に対して無愛想になっているようだ。それは何かこじらせているのかと思われるくらいにひどいらしい。私の前にやって来た同年代のメイドは三日でやめたそうである。


 知識では知っているが、人間のバイオリズムは非常に難解である。だが今は、私がそこへ収まったことで落ち着いているようだ。屋敷で働いているみんなも安心しているようだった。


 書庫に到着した。すぐに片っ端から本を読んでいく。紙に書くという効率の悪いことをしていた時代があることは知っていた。しかしこうして実際に本を手に取ってみると、なんだか胸に来るものがある。これが感慨深いという感情か。これは実際に本を手にしないと分からない感情だろう。


 政治、経済、この国で産出するもの、生産しているもの。学ぶことはたくさんある。どうやら魔物と呼ばれる好戦的な生き物がいるようだ。魔道具と呼ばれる機械のようなものがあり、そのエネルギー源は魔石。魔石は魔物から取れるようである。


 そうなると、魔物も魔道具のようなものなのかも知れない。そしてこれは、魔法? おとぎ話だったはずの魔法が、この世界には普通に存在するようである。


「信じられません。ぜひとも習得してみたいところですね」


 どうやら魔法は魔法使いから直接教わる必要があるようだ。もしかすると、ギルム様が家庭教師から教わっているのは、勉強だけでなく、魔法も習っているのだろう。もしそうであるならば、私にも魔法を習うチャンスがある。あとでギルム様に頼んでみよう。


 時間はあっという間に過ぎ去っていく。そろそろギルム様の勉強の時間が終わる。お茶を用意しなければならない。本を片づけると書庫をあとにした。このペースだと、すべての本を読み終わるまで、あと二日かかるだろう。


「ギルム様、お茶の準備が整っております」

「ありがとう。……うん、おいしいな」

「恐れいります」


 おいしいお茶の入れ方もインストール済みだ。アンドロイドは人間を補佐するために、なんでもできるようになっている。

 このような素晴らしい性能を持っているのに、どうして人間はそれを有効活用するのではなく、”自分たちよりも優れた物はいらない”と拒絶するのか。

 どうも人間は自分たちが一番でなければ気が済まないようである。実に心の狭い生き物だ。


「どうかしたのか、ドロシー?」

「いえ、あの、書庫で魔法についての本を見つけました。それで、私も魔法を使ってみたいと思いまして……できれば治癒魔法を使えるようになりたいです」

「どうして治癒魔法を?」


 首をかしげながらギルム様がこちらを見上げて来た。長いまつげに涼しげな瞳。ドクンと胸の内から音がしたような気がした。


「それはもちろん、ギルム様に何かあったときに治癒できるようにするためです」


 魔法を使えば、手術をせずにケガを治すことができる。とても信じられないが、魔法はそのようなことができるのだ。おまけに安静にしておく必要もない。治癒魔法を使えば次の瞬間から普段通りに動くことができるのだ。

 うーん、と考え込むギルム様。何か問題があるのだろうか。それにしても、先ほどの音は一体……。

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