おんぼろアパート
「地元の先輩が同棲しててさ~ちょっと顔出すの付き合って~」
夏子から誘いの電話がきた。
「先輩知らないけど、行っていいの?」
「渡すもん渡して直ぐ帰るし、ゆうと会いたいから」
「あたしも夏子に会いたいから行くよ」
「あっ、そういえばこの間、ゆうに話しかけて来た女いたじゃん。ちゅう君の事で」
「あぁ、なんか言わされてたみたいな子ね」
「うん。パシリみたいな奴。あいつズラだったんだって‥気づいた?」
「えっ?全然わかんなかった」
「シメられて髪刈られたんだってさ」
「なんで‥」
「気軽に話しかけて来やがって、シメる?あいつら」
「いや‥今度また、あの子が何か言わされる事あったら、後ろにいた奴等に話つけるわ」
噂には聞いてたけど、本当にそこまでやるなんて、驚きを隠せなかった。後ろにいた女達も見た目もそれ程目立つ子達でもなかった。あんな子達が‥ほんとに見かけじゃ解らない。あたしも父親に理不尽な暴力を受けて育った。虐待や暴力は連鎖すると言うけれど、身を守る為、気は強くなったが逆だ。痛みを知っているからこそ、理不尽な暴力には嫌悪する。
夏子と待ち合わせて、先輩が同棲するアパートに向かった。ドアを開けると、ホコリまみれの階段があり、二階に上がると底の抜けそうな廊下で、部屋の扉も引き戸に南京錠、蹴飛ばせば簡単に壊れそうだ。昼なのに、薄暗くて怖い‥まるで廃墟だ。
「なお君、来たよ~」
夏子が声をかけると、引き戸がガラガラと開いた。
「おぅ、入れよ」
なお君は夏子の兄貴の友達で、中学を出てすぐ同棲を始めたらしい。短髪でガタいがいい。廊下で靴を脱ぎ部屋に入った。中に二人の女の人が座っていた。
「久しぶり~」
夏子が声をかけ、あたしもペコリと頭を下げた。
「ほんと久しぶりだね。元気だった?」
笑顔がとても可愛らしい人だ。
部屋は、あたし達が入ったら、もう一杯というほど狭い。お風呂もトイレもない。部屋の外に共同のトイレがあるみたいだ。こんな劣悪な環境でも、なお君とけいさんは互いに笑い合い、見つめ合い、幸せそうだ。二人を見ていたら、急にこの部屋が暖かく、羨ましくさえ思えた。どこに住むかではなく、誰と住むかなのかな‥
「二人は彼氏いんの?」
けいさんの友達の、あきさんに聞かれた。女が集まれば、こんな話になる‥苦手だ。
「今は特にいないかな~ゆうは‥驚くよ」
「ゆうちゃん彼氏いんだ~誰?あたしら知ってる人かな?」
興味津々といった様子で身を乗り出した。
「彼氏‥いないですよ」
付き合ってとは言われてない。
「言ったら騒ぎになっちゃうもんね」
夏子が面白がって煽った。
「誰?誰?どこの人?」
あきさんは益々盛り上がった。
「彼氏じゃないですよ」
ここは、ちゅう君の地元だ。軽はずみな事は言いたくない。
「単車で一緒に集会行けるなんて、憧れだよ」
‥憧れなのか‥あたしは二人で静かにいたい。
「単車で集会?誰?ほんと気になる」
苦笑いでやり過ごした。
「年は?それだけでも教えて」
何で、そんなに知りたがるんだろう‥
「一個上だよ。もういいじゃん」
何も言わないあたしを見て、夏子が変わりに言った。
「夏子の一個上で、集会行くって言ったらイケイケしかいないじゃん」
「あき、ずっとちゅうの事、気に入ってたよね」
「ちゅうの事、嫌いな奴いんの?アイドルでしょ。いるだけでいいの」
夏子がチラッと、あたしを見て笑った。
やっぱり‥ちゅう君の事知ってるんだ‥地元じゃないから、どれだけ凄いのか知らないけど、それは重要じゃない。ただ‥騒がれたくない。
「そろそろ帰るよ。なお君これ‥同棲祝い」
「おお、悪ぃな。また来いよ」
「ゆうちゃん、誰か今度教えてね」
「ちゅう君は、もうダメだよ」
夏子がそう言って、あたしの顔を見ると、悪戯っ子の様に舌を出し肩をすくめた。
「えっ何?」
「じゃあ、またね」
夏子は、あたしの腕を掴み速足で歩いてアパートを出た。
「アハハ‥笑える。見た?最後のあきちゃんの顔」
「キョトンとしてたね」
「言ってやれば良かったのに‥ちゅう君の事。あたいなら自慢しまくるけどな」
「いや~騒がれたくないんだ‥ちゅう君も一緒だと思う」
「それは難しいな~最強顔面だもん。アハハ‥それかガンつけまくって黙らせるとか?」
「その時は、お願いするわ」
「うん。任せて」
「アハハ‥夏子も最強だわ」
「アハハ‥あたいら最強」
その夜、いつもの様にちゅう君から電話がかかってきた。
「今日、出かけたんだろ」
「うん。夏子の先輩が同棲してるアパート行ったよ」
「そうか」
「壊れそうなアパートだったけど、幸せそうだった」
「同棲してみたい?」
「うーん‥今は考えられないけど‥いいかもね」
「そうだな」
「あのさ‥あきさんて知ってる?今日、会った」
「ふ~ん」
「可愛い人だった」
「ふ~ん」
「ちゅう君はさ、どんな人が好き?例えばテレビの人とかでもいいよ」
「他の女の話しない人」
「あっ、ごめん‥嫌だった?」
「許さない」
「えっ?‥」
「って言ったら、どうする?」
「‥泣く」
「フフッ二十分後、日の丸駐車場な」
急いで家を出て、自販機でミルクティーを買った。ちゅう君はまだ来ていない。
急ぐ必要なかったな‥二十分後だって言ったのに‥いつも、ちゅう君が待っていてくれた。あたしが待つのは初めてだ。今まで誰かを待った事あったかな?待つのは不安で寂しいものなんだな‥
「早かったな」
ちゅう君の顔が見れただけで、安心した。
「うん」
「乗れよ」
ちゅう君の背中は変わらず暖かかった。
色んな思いを抱えて来たんだろうな‥細いけど大きな背中だ。
いつもの防波堤に腰かけた。
「あっ、そうだ‥はい」
ミルクティーを渡すと『ああ、どうも』と言って微笑んで、一口飲んだ。
「どぉ?美味しい?」
ちゅう君の顔を覗きこんだ。
「いつもの味フフッ」
「自分で買うより美味しいでしょ?」
また顔を覗きこんだ。
「フフッいつもの味」
「今日は自分で買ったから、いつもの味だわ~」
拗ねて、そっぽを向いた。
「フフッまた買ってやるよ」
あたしの顔を覗きこんだ。
「用あるから、少し顔出して帰るか」
倉庫に向かって歩いている途中、ちゅう君が飲み終わった缶をゴミ入れに投げた。
「美味しかった」
チラッと、あたしを見て笑った。
「でしょ。だから言ったじゃん」
嬉しくなって、ちゅう君の腕を掴んで歩いた。
倉庫の中に、堂島くん、まこと君、リーゼントさん達がいて、自然に笑顔で迎え入れてくれた。ちゅう君とソファーに座ると直ぐに、ちゅう君が呼ばれ出て行った。
「ちゅうと、一緒になったら左うちわだな」
あたしに言ってるのか?堂島くん達が話始めた。
「親が色々やってて金持ちだからな。大人の店もあるし、凄げぇよな」
大人の店?仕事の都合で、親と離れて暮らしているのか‥
皆の話を何気に聞いていた。リーゼントさんは、とさかと呼ばれていた。本名なのか、あだ名なのか、どのみちピッタリだと、思わず笑みがこぼれた。
「雑誌でも見る?誰かの忘れもんみたいだけど」
まこと君が渡してくれて、何気にアイドルのインタビュー記事を読んだ。
「こういう男、好きなんだ‥」
急に、とさか君が後ろから身を乗り出し、ニョキっと真横から顔を出した。
うわっ‥近い‥
「そこらのアイドルなんかより、ちゅうのがいい男だろ」
その時、突然手に持っていた雑誌を取り上げられ、驚いて見ると、ちゅう君がその雑誌を投げた。
「帰るわ」
ちゅう君が出て行ってしまった‥
呆気にとられていると、まこと君と目が合った。
『早く行きな』あたしに近寄り小声で言った。『行かなかったら、どうするんでしょうね』『追いかけられ慣れてるからな。ちゅうにそんな事言う子、初めて』訳が解らないと言った様に肩をすくめると、まこと君はハハハと笑った。『じゃあ、行きますね』『おう、いなかったら戻ってきな』皆、こっちを見ていた。
「さようなら」
「おう‥」
扉の外に、ちゅう君の姿はなかった‥
何で、こんな事になったんだろう‥
倉庫のドアを開けると、ドアの横の壁にもたれ、ちゅう君が立っていた。その伏せた顔が寂しそうで‥思わず手を掴んで顔を覗いた。
「どうしたの?置いてかないでよ」
「何、話してたんだよ」
「ほとんど話してないよ」
「何で、一緒に見てんだよ」
「一緒に見てないよ。忘れもんだって‥行こう」
ちゅう君は、あたしの顔を、しばらく見つめると、やっと歩き出した。それから黙って自販機でミルクティーを買った。
「俺が買ってやるのはお前だけ‥分かってる?」
そう言うと、あたしの手に持たせた。
「だからお前も‥俺だけな」
首を縦に振って、黙って頷いた。
「旨いのは、俺達だけな」
ちゅう君は、やっとニコリと笑い、あたしの頭に手を置いた。
「ちっちゃいなフフッ」
そう言って頭を撫でた。
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