第12話 ふりそそぐ
見るも無残な姿のシアがステラの元に走って戻ってきた。
深淵歩きの酸性の体液によって訓練服は半分以上が溶けてなくなり、華奢で色白な素肌が露わになっている。
皮膚自体はナノマシンに守られて無傷だが、毛髪の類はその埒外であった。
綺麗な銀髪も所々が消失しアンバランスになっていて頭皮が露出している。
更には眼球も溶かされてしまったのか、左目は固く閉じられていた。
一刻も早く治療してやりたいが、ここまでして稼いでくれた時間を無駄にはできない。
ステラが厳しい表情のまま魔術の構成を編む。
「万象の根源たる
詠唱により構成が展開される。
そこに魔力を注ぎ込むことにより、魔素を媒介として事象が発現する。
シアのすぐ後ろを追いかけてきていた二体目の深淵歩きが、不意に出現した透明な壁に激突した。
「わわっ……これって師匠の結界?」
「その通りだよ。シアのおかげでようやく発動までこぎつけたよ。
「おおー」
迎え撃とうと〈風薙〉を構えていたシアが、こちらに近寄れない深淵歩きを見ながら驚く。
深淵歩きは突然現れた邪魔な障壁に対して、牙を剥きだしにして怒っている。
爪や尻尾で攻撃を加えているが、透明な壁はびくともしない。
『ほほう。相当に強力な結界のようで、あの空中からにょきっと生えてるでかい手を囲むように展開しているようだな。シア、ちょっと〈風薙〉で斬ってみろよ。人類の英知の結晶とどっちが強いか勝負だ』
「いや、するわけないからね?なんでそんな無意味な勝負をしなきゃいけないのよ」
虚空へツッコミを入れているシアにふわりと大きな布が被せられた。
自らが纏っていた
「それで肌を隠したら、あそこで寝てるアンドレイ様を回収してきてくれないか。私はあいつらを向こうの世界に追い払うとしよう」
〈世界網〉に開いた穴からは依然として蛇頭や深淵歩きが生まれ落ち続けていた。
彼らはこの世界を侵食すべく動き出すが、ステラが張り巡らせた結界を越えられない。
まるで小さな籠に押し込められた無数の蟲のように蠢いているそいつらを睨みつけながら、ステラが祈りを捧げ祝詞を紡ぐ。
「伍する大地をしろしめす星辰よ 信実なる信徒への神託を授けたまえ 望むらくは瞬き輝く
世界を護る星守の願いは聞き届けられた。
夜空に無数の光が生まれ、仮初めの黎明が訪れる。
「ふわあああああ」
『たーまやー』
アンドレイを何故かお姫様抱っこで回収してきたシアが、煌めく夜空を見上げて感嘆の声を上げた。
アキの謎の掛け声はスルーだ。
―――幾つもの巨大な隕石が結界内部へと落ちていく。
圧倒的質量と熱量が蛇頭と深淵歩きに襲い掛かり、砕き熔かしていた。
ステラが張った結界は流星を完全に遮断していて、熱どころか音さえもシアたちには届かない。
只々光の激しい明滅だけが目の前で繰り広げられていた。
「あの隕石は結界の内側から発生してる…ってこと?」
「ご明察。四方だけでなく上下も結界で覆わないと、周囲への被害がとてつもないことになるからね。これのためにシアにも助けてもらって、隕石が落とせるくらい天井の高い結界を張ったってわけさ」
「さすが師匠!結界もすごいけど隕石落としもすごいね!!」
「まあ《結界》の魔術はともかく、隕石落とし……《流星》の魔法は神の力を間借りしているから、半年に一度しか撃てないし、魔力もごっそり持っていかれるうえに暫く回復しない。他にも神へ色々と誓ったりと条件がたくさんあって、それはもう大変なんだよ」
『へー、制約と誓約かな』
シアの素直な称賛にステラも嬉しそうにしているが、その顔色は魔力の枯渇により青ざめている。
足は震え立っているのがやっとという状態だった。
「だからすまない。シアの傷を癒すことができない」
「ああ、それなら大丈夫です、師匠」
シアが言う側からナノマシンによる治療が始まる。
失われた頭髪は時が加速したかのように急激に生え揃い、閉じられていた左目も開いた直後は眼球が痛々しく爛れていたが、数度瞬きをすると綺麗な銀眼に戻っていた。
「うーん、シアはどうやら私に隠し事が一杯あるみたいだね」
「いやその、別に隠しているわけじゃなくてですね……」
『奥の手までは晒すはめにならなくてよかったな』
「細かく問い詰めるのは後にするか、そろそろ仕上げだ」
会話をしている間にも流星は降り注いでいる。
当然それだけの質量の隕石が落ちれば結界内部はあっという間に埋もれるはずだが、光の激しい明滅を除けば視界は良好だ。
何故なら墜落し役目を終えた隕石は、魔素の粒子となって空気中に溶けて消えているからであった。
すべての蛇頭と深淵歩きが消滅している中、唯一形が残っている存在がある。
あの巨大な腕だ。
目の前で(目はないが)シアが深淵歩きと戦闘を繰り広げていても反応せず、ただ空中からだらりと垂れ下がるだけの腕が、今は天空へ突き上げられている。
隕石を受け止めようとするかのように掌を広げていた。
そこへ特大の隕石が降ってくる。
『うおっ、まぶし』
太陽が落ちたかのような、目を閉じていても網膜を焼く強い光が辺りを支配する。
結界は決して光以外を通さないはずなのだが、シアは衝撃波のような何かが全身を駆け抜けた気がしていた。
光は数秒間持続し、ようやく夜が戻ってきて目を開ける。
すると結界内部にはもはや何も残っていなかった。
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