第10話 あらがう
『やばいのが出てきたな』
「うわ、なにあれ」
シアが順調に蛇頭どもを屠っていると、空中に浮かぶ亀裂から新手がぼとりと落ちてきた。
それの色合いは蛇頭と似た濃い紫だが、体格は一回り大きく形状も異質だ。
逆関節の二足歩行で腰は前方に大きく曲がっていて、首の上には前後に長く伸びた頭部が乗っかっている。
両手両足には鋭い爪を生やし、前のめりの姿勢とのバランスを保つかのように骨ばった長い尻尾が左右に揺れていた。
「あいつはなんていうの?」
「深淵歩きだと!?まずい。シア、下がるんだ」
シアの問いにアキが答える前に、ステラが慌てた様子で叫ぶ。
深淵歩きは闇の眷属の中でも中位に分類される強力な存在だ。
どのくらい強力かといえば、下位に属する蛇頭が十匹束になって掛かっても深淵歩きが圧勝するだろう。
いくらシアが強くてもさすがに分が悪い。
だから彼女を下がらせ、魔法の準備も一時中断して、自ら深淵歩きの相手をしようとしたステラであったが……。
「大丈夫、まかせて。こいつの血も危ない?」
『危ないから一撃離脱でいこう』
「ん」
ステラの警告を聞き流して、獰猛な笑みを浮かべたシアが深淵歩きへと肉迫する。
小柄な少女の接近に深淵歩きが反応した。
根元まで避けた口以外の器官が存在しない、のっぺりとした細長い頭部を巡らせシアを捕捉。
そして迎撃の爪を振るう。
掬い上げるようにして放たれたそれを、シアは地面にすれすれの低いスライディングで回避する。
すれ違い様に逆関節の足の脛部分を短刀で斬り付けると、まるで金属を斬りつけたかのような甲高い音と鈍い手応えが返ってきた。
「硬っ」
想像以上に頑丈な脛に弾かれシアが体勢を崩す。
深淵歩きの背後で半回転しながら尻もちをついたと同時に、頭上から鞭のようにしなる尻尾が叩き付けられた。
慌ててその場を飛び退いたのでシアの代わりに地面がかち割られる。
大砲の弾が着弾したかのうような轟音と共に大地が陥没し、土煙が巻き上がった。
その土煙の向こうから、今度は水平に薙いだ尻尾がシアを襲う。
飛び退いた直後に加えて土煙の煙幕で反応するのが遅れてしまい、シアの華奢な体を尻尾がしたたかに打ち据えた。
「シア!」
「だい……じょうぶっ!」
ステラを心配させまいと、シアが声を張り上げながら飛んでいく。
回避こそできなかったものの、両腕を交差させてしっかりと尻尾は防いでいる。
そして衝撃を逃がすために、あえて踏ん張らず弾き飛ばされていた。
訓練服の袖は尻尾が直撃したためずたずたに引き裂かれたが、その下の細い腕は無傷だ。
露わになった腕の表面は白銀の竜の鱗のようなもので覆われていたが、それも一瞬のことですぐに色白な人の素肌に戻っていた。
シアが地面を激しく転がり、ようやく止まったところへ深淵歩きが突進してくる。
走りながら大きく開けている口にはずらりと鋭い歯が並んでいて、粘性の強い涎を滴らせていた。
勢いのままばくりとシアに噛みついたが、またもや別のものが身代わりとなる。
それはすぐ後ろにあった大木で、深淵歩きの鋭い牙によって幹の半ばまで喰い破られると、みしみしと音を立てて傾き始めた。
大木に引導を渡したのはシアだ。
真上に飛び上がって噛みつきを回避していたシアが、深淵歩きの方へ傾く大木を思い切り蹴りつける。
すると喰い破られた箇所を起点にして大木がへし折れ、深淵歩きに向かって倒れていく。
中型の魔獣くらいなら押し潰せそうなくらい質量のある大木を、深淵歩きは驚異的な膂力でもって受け止めた。
蛇の威嚇音に似た、空気が漏れるような咆哮を上げながら、深淵歩きが大木を横に放り投げる。
自らが蹴りつけた大木に貼り付いていたシアは、放り投げられる前に飛び降りると、深淵歩きの顔面目掛けて短刀を振り下ろした。
右手で柄を逆手に持ち、左手を柄頭に添えて、体を反らせ全身のバネを使って思い切り突き立てると、短刀は深淵歩きの頭部に深々と吸い込まれた。
まるで熟れた果実にナイフを突き刺したかのような感触にシアが顔を顰める。
「うげえ、頭は柔らかいんだ」
『すぐ離れろ。服が溶けてあられもない姿になっちゃうぞ』
突き刺さった短刀はそのままに、痛みで暴れる深淵歩きを蹴りつけてシアが離脱する。
傷口から溢れる紫の体液が地面に落ちると、じゅうじゅうと音を立てながら白煙が立ち込めていた。
短刀もすぐに抜け落ち地面に落ちる。
その強力な酸の体液によって、刀身は全て溶けてなくなっていた。
『シア。アレを使うぞ』
「ええ!?師匠の前なのに?」
『得物も無しにあいつとは戦えないだろう。それとも裸になるのを承知で殴り合うのか?』
「ぐぬぬ……仕方ないか。あんまり手の内は明かしたくないけど―――」
「シア!あぶない!」
ステラの方をチラ見していたシアが深淵歩きに視線を戻すと、巨大な何かが迫ってくる。
砲弾のように飛んできたのは、シアに倒され打ち棄てられていた蛇頭の死体だった。
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