第9話 まもる

 ステラがこの〈世界網せかいもう〉に開いた穴を発見したのは偶然ではない。

 世界網というのはこの世界を外敵から守るため、創造神が造った大きな結界だ。


 アトルランと呼ばれているこの世界全体を包んでいて、外敵である外様の神の侵入を防いでいる。

 世界網はその名の通り網状なので、外様の神そのものや、その下位神といった大きな存在は網目を通過することはできないが、小さな存在はその限りではなかった。


 小さな存在とは闇の眷属のことである。

 ステラはこの世界網のほつれを監視、補修する〈星守ほしもり〉の一族であり、常に世界中を飛び回っていた。


 忙しい中でシアの家庭教師を引き受けたのは、半分が趣味でもう半分が監視のためだ。

 冒険者としては頂点の位になる第一位階冒険者をやっていると、人種を超越した力を持つ同業者や敵と出会うことも少なくない。


 シアはその中でも特に異質な存在だった。

 どれくらい異質なのかと説明するなら、シアの使う魔法からは魔素(マナ)を一切感知できないという一言に尽きる。


 魔素とはこの世界のあらゆる物体、事象の根源となるもので、あらゆるものに宿っている。

 それは創造神が生み出した神々はもちろん、敵である外様の神や闇の眷属においても例外ではない。


 だというのにシアが不治の病を癒やしたり、欠損した手足を生やしたりする魔法からは魔素を感じ取れないのだ。

 ある意味外様の神より未知で恐ろしい存在と言える。


 だからステラはシアを監視、観察することにした。

 敵か味方かを見極めるために……。

 ちなみにステラの趣味は世界の未知を探求することなので、趣味と実益を兼ねていると言えよう。


「それじゃあ師匠はあのでっかい手を、穴の向こう側に追っ払いたいのね」

「うん、そうなんだ。そのために準備しているんだけど細々と邪魔が入ってね。ほらまた来た」


 ステラが見上げると、巨大な腕が飛び出している穴の隙間から何かが這い出ていた。

 濃紺の肌の怪物、闇の眷属の蛇頭だ。


 ステラの周囲にも既に仕留めた蛇頭の死体がいくつか転がっていて、紫の血液が地面を溶かしへこみを作っていた。


「アンドレイ様、今日も付いてきていたのか……。しかも運悪く撃ち漏らしと遭遇しちゃったか。その腕治したんだね。シア、魔法を使わせてしまいすまない」


 ここ三日間、なかなか進展しない世界網の補修作業に内心焦りがあったのだろうか。

 世界網のほつれを感知して駆けつけてみれば、空間に大穴が開き邪神が降臨しようとしてたのだから、焦るなと言う方が無理があるかもしれない。


 アンドレイは恵まれた加護を持っているようだが、まだまだ立ち回りは素人だ。

 平時なら容易に気配に気が付いて追い返していただろう。


 ステラが失態を詫びると、弟子のシアは何故か少し嬉しそうな表情でかぶりを振る。


「ううん、師匠の助けになれて嬉しいわ。それであいつらをやっつければ、もっと助けられる?」

「そうだね、もう少しであの下柱の邪神を追い返す魔法が完成するんだ」

「わかったわ!それじゃあ任せて!」


 シアが肩を回しながら意気揚々と返事をして、怖れる様子もなく邪神の腕へと向かっていく。

 隙間からは次々と蛇頭が這い出してきていて、ぼとぼとと地面に落下する。

 鎌首をもたげた一体の視界に入ったのは銃弾の様に飛んでくるシアだ。


『迂闊に斬るなよ。大惨事になるぞ』

「りょーかいっ」


 得物の短刀は使わずに蛇頭の顔面目掛けて飛び蹴りを放つ。

 下顎を捉えた一撃は骨を砕きながら蛇頭の上体を仰け反らせる。


 可動域を越えて反ったため、首周りの筋線維がぶちぶちと音を立てて千切れた。

 側に居た別の蛇頭が、目の前で飛び上がったシアに反応して口を開く。


 アンドレイの腕を喰い破ったことからも分かるように、普通の蛇とは違って蛇頭の顎には鮫のような鋭い歯がぎっしりと並んでいた。

 あわや幼女の軟肉が齧られるかと思われた寸前、シアは自らが蹴とばした蛇頭の仰け反った首を踏みつけ、更に上空へと飛んで逃れる。


 そしてシアの代わりに齧られるのも、この蹴られてよろめいた蛇頭の役目だった。

 同胞の歯が首筋に食い込み、皮膚がぷつりと裂けると紫の液体が飛び出す。


「うわっ、せっかく斬らなかったのに。もう」


 さすがに自身にも流れている血を浴びても溶けることはないようだ。

 血にまみれながらもつれ合う蛇頭たちの背後に降り立ち、ぷりぷりと文句を言うシアに三匹目の蛇頭が迫る。


 シアを引き裂こうと両手の鋭い爪を振るうが、まさかそれを掴まれるとは思わなかったことだろう。

 振り下ろした手首を掴まれ、押すことも引くことも出来なくなった相手が蛇の顔でなければ、驚愕の表情を浮かべていたに違いない。


「おらっ」


 手首を掴んだままシアが蛇頭を振り回す。

 凄まじい膂力でもってその場で三回転してから手を離すと、蛇頭は遠心力によって投げ飛ばされた。


 肉の弾丸と化した蛇頭が先のもつれている二体に激突。

 ばきばきと全身の骨を砕く鈍い音を響かせながら三体まとめて転がっていく。


 魔法の準備をしながらも周囲に意識を向けていたステラは、シアの驚異的な戦闘能力に驚きと呆れの感情がい交ぜになる。

 シアの持つ【地母神の加護】は戦闘向きではないにも関わらず、戦闘特化の加護と同等かそれ以上の実力を発揮していた。


 《身体強化》の魔術を使うところは見ていない。

 そもそもシアにはまだ扱えない魔術だし、仮に使っているならば体に魔素を纏っているはずだがその気配もなかった。


 つまりこれはシアの魔法に起因する能力に違いない。

 本人からは魔法は他者を癒す力のみと聞いていたが、どうやら他にも用途があることを隠していたようだ。


 ということはこれまで達成できるギリギリを狙って課してきた授業も、実際は余裕があったのかもしれなかった。

 実力を隠すという狡猾さにステラは素直に感心する。


 シアが歳に似合わず冷静で聡明なのは、孤児という弱肉強食の世界で生きていたからか。

 それとも絶えず独り言のように交わしている聖霊との会話によるものか。

 あるいはその両方か。


 ただステラの手助けが嬉しくて折角隠していた実力を出してしまう辺りは、まだまだ子供らしくて口角が上がってしまう。

 今度連れてくる魔獣は実力に見合った、もっと強力なやつにしてやろうとステラは決めた。


「……う?急に寒気が」

『風邪か?バイタルは安定しているが……どれ、念のため総合感冒成分と栄養を生成して血中に投与しておいてやろう』

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