第8話 いやす

「その闇のなんたらってなんだっけ」


闇の眷属ミディアンは外様の神がこのアトルランという世界に送り込んだ尖兵だ。そして外様の神というのは、創造神がつくったこの世界を乗っ取ろうとしている悪いやつとされているな。てか授業で習ったし世界の敵なんだから覚えとけよ』


「貴族の作法を覚えるだけで大変なの。それに敵なんてぶっ飛ばすだけなんだから、知ってても知らなくても変わらないわよ」


 アキと会話をしながらも全力疾走でシアがアンドレイの元まで戻る。


『こりゃまずいな』


 右腕を蛇頭に食い千切られたアンドレイの命は失われようとしていた。

 傷口からの大量出血によりショック状態に陥っていて顔面は真っ白、呼吸は浅く意識は朦朧としている。


『急いで傷口を塞いで……おい!よせ!』


 シアは自らが血で汚れることも厭わずにアンドレイを抱きかかえると、アキの静止を無視して傷口にそっと手をかざす。

 すると二人の体が淡い緑の輝きに包まれる。


 魔術をある程度知る者がその光景を見たならば、《小治癒マイナーヒーリング》の魔術が発動する際の魔素マナの煌めきに見えただろう。

 しかしシアの魔法は小さな傷を塞ぐだけの《小治癒》を遥かに上回る。


 まず最初に出血が止まったが、これは体内の血がすべて流れ出てしまったわけではない。

 千切れた血管が再生され、正しい血液の循環を取り戻し始めたのだ。


 淡い光を伴った再生は血管だけに留まらず、骨、筋肉、脂肪、皮膚と順次食い千切られた場所の内側から始まり、腕先へと伝播していく。

 ものの数秒で光がおさまると、当人の肌より幾分か色白の腕が生えていた。


『本当に人の話を聞かないのな』

「聞いても聞かなくても同じなら、聞かだけ無駄なんじゃない?」


『ほおー、あっそう。そういうこと言うんだ。ならシアが消耗した血は造らなくてもいいな』

「ごめんごめん嘘だから。ちゃんとアキの言うこと聞くから。ただアンドレイ様は急がないと駄目だったからさ」


 アキの冷たく突き放す様な言葉にシアが慌てて言い訳をした。

 その顔色は貧血によりいつも以上に青白く、眩暈もしているのか頭がゆらゆらと揺れている。


『だから傷を塞いで血を多少補充するよう指示しようとしていたのに。他人の遺伝子情報に書き換えてからの再生は消耗が激しいんだぞ。なのになんで腕まで再生させちゃうんだよ。養生する期間を伸ばして聖女としての修行をサボりたかったのか?』


「師匠がいるからサボれないけどね……。そうじゃなくてこれはお義父様への恩返しなのよ」


『腕を失ったとしても、魔法で生かしたと分かれば十分恩返しになってると思うけどな。何度も言うがシアの寿命を減らしてまですることじゃないし。あーやっぱりアンディ君のことがす……』


「だからそういうのじゃないから」

『ア、ハイ。スミマセン』


 怒られながらもアキが血を造ったので、貧血から回復したシアは気を失っているアンドレイを抱きかかえる。


『うーん、確かに白馬の王子様と言うには色々逆だなあ』

「師匠は森の奥かな?こんな屋敷の近くの森で何してるんだろう」


 シアたちがいる森は屋敷から見えるくらい近くにある。

 マリスから昨晩アンドレイが森に来ていたという情報を聞いていたので、まずは寄ってみたわけだがいきなり大当たりだった。


 屋敷周辺はアンドレイを探す屋敷の警備兵が徘徊していて、ランタンの明かりが至るところで光っている。

 にも関わらず、この森だけは暗さと静けさを維持したままだ。


「これが《認識阻害》の結界かあ。魔術って便利よね。でもなんでアンドレイ様には効かなかったんだろう」


『アンディ君は多分、ラヴィちゃんがこの森に入るのを見てたんだろう。《認識阻害》は認識の外にある間は隠匿性能が高いが、一度認識されると脆いって授業で言ってたのを覚えてないのか?』


「お、あっちに師匠がいそうだわ」


 アキの指摘を聞き流して、シアはアンドレイを抱きかかえたまま森の奥へと進む。

 アンドレイの剣が近くに落ちていたが、剣まで回収するとシアの体格だと引きずってしまうので置いていくことにした。


 どういうわけかアンドレイは闇の眷属の蛇頭に襲われていたが、レヴェンシアニス侯爵家の屋敷近郊の森なので基本的には平和である。

 その証拠に小動物の気配を感じるだけで、問題無く森の最奥へと到達した。


「うわ、なにあれ」

『こいつは……』


 シアとアキが同時に少し開けた場所にあるそれを見て絶句する。


 それは巨大な腕だった。


 どのくらいの大きさかというと、『野球のマウンドくらいの広さなら、拳骨一発で陥没しそうだな』とアキなら表現しただろう。


 そんな巨大な腕の、肘から先が空中に浮かんでいた。

 肘の付け根あたりが上空に空いた暗い穴のようなところから飛び出していて、腕自体は力なく垂れ下がっている。


 腕の色は蛇頭のような濃紺だが、表面は鱗でびっしりと覆われていた。

 漆黒の爪は鋭く伸びていて、指の一本一本が破城槌のように太い。


「おや、その声はシアかい?」


 巨大な腕を見上げていたシアが視線を下げると、目の前に見知った後ろ姿があった。

 新緑のような深緑の長い髪をなびかせながら振り向いたのは、シアの師匠である第一位階冒険者、〈流星〉のステラ・ヴィアだ。


 師匠の頭の向こう側では、掲げられている短杖の先端に付いた赤い宝石が妖しく明滅していた。


『まるで邪神降臨の儀式だな』

「師匠、これはなんなんですか……そのでっかい腕、どうするつもりなんですか」


 アキの感想が正しいわけがない。

 恐る恐る訪ねるシアに対して、師匠は不敵な笑みを浮かべて言い放った。


「見られてしまったからには仕方がない………………ちょっと助けてくれる?」

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