第4話 しとめる
「ああもう、岩鉄蜥蜴とは違った硬さがあるわね」
『トカゲは岩の装甲だったけど、こいつは肉の装甲だねえ』
何度目か分からない猪の突進を躱しながらシアとアキが会話する。
すれ違い様に短刀で斬り付け続けているが、分厚い肉に阻まれて致命傷には程遠い。
全身から血を流しているが、猪の勢いは衰えるどころか怒りで増しているようにすら感じてしまう。
「そんな浅く斬り付けたって血抜きにもならないよー。もっと考えて攻撃しないと。ところでマリスちゃん、一応この屋敷の主に挨拶したいんだけど」
「当主のトーブス様と奥方様は留守でございます。今は避暑シーズンということで、国内の主要貴族がティタニエに集まっているため、挨拶に回られております」
結界越しに師匠とマリスが雑談しているが、それ以外の面々は緊張した面持ちでシアと猪の戦闘を見つめている。
『トカゲの時は柔らかい関節に短刀を差し込んだんだっけ』
「よし、同じことを試してみるわ」
掠めるだけで全身の骨が砕けそうな猪の突進を、シアは横に飛んで紙一重で躱す。
その際に右の後ろ脚に短刀を突き立てると、刃はするりと脚の付け根に吸い込まれた。
「わわっ」
刃が根元まで埋まったが猪の突進を止めるまでには至らなかった。
突き刺さった短刀が引き抜けずシアの体が猪に引っ張られる。
痛みに驚いた猪が体を捻り、体の横から結界に激突した。
しかも短刀の刺さった側、つまりシアがくっ付いている方だ。
今度こそ押し潰されたように見えて、アンドレイの側仕えのメイドが悲鳴を上げたが、それもやはり錯覚である。
シアは激突する直前に短刀から手を放し跳躍。
壁のようにそそり立つ結界を蹴りつけて、三角飛びの要領で猪から距離を取った。
『柄まで食い込んでやっと痛がるくらいだな。残りの脚三本にも突き刺せば動けなくなるかな?』
「その前に私がへばるか押し潰されるわよ。そもそも短刀が足りないけど」
肩で息をしているシアが予備の短刀を抜いて構えた。
額には玉のような汗が浮き出ていて顔色も宜しくない。
その後動きを止めようと目や鼻を狙ってみたが、分かりやすい顔面への攻撃は首を捻って躱されてしまう。
「なんか作戦はないの?」
『うーん、一か八かだがやってみるか?』
「やるわ。いざとなったら師匠が助けてくれるでしょう。多分」
『それじゃあ名付けて〈槍衾作戦〉決行だ。あ、槍一本だと衾とは言えないか……まあいいか、一本でもニンジンってやつだな』
「なんでもいいから早く指示してっ!」
シアの叫びは猪の咆哮に掻き消された。
脚一本に深手を負って尚、猪の突進の勢いは衰えることを知らない。
何度かの突進をシアはアキの指示通りに躱し続ける。
次第に足元はふらつき息も絶え絶えになるが、ようやく条件が整う瞬間が訪れた。
『よし、今だ!』
シアと猪のお互いが結界の端を陣取ったところで、同時に相手を目指して走り出す。
猪は雄叫びを上げながら、シアは小声で詠唱をしながらだ。
「地平に棲まう
詠唱により構成が展開される。
そこに魔力を注ぎ込むことにより、魔素を媒介として事象が発現する。
シアが前方の猪に向かって足から滑り込むと、小柄な体は猪の顎の下を掻い潜った。
その光景をアキならば『大型トラックの下にスライディングで滑り込んだ』と例えるだろう。
何も紙一重ですれ違うことだけがシアの目的ではない。
滑り込む直前にシアは短刀を地面に突き立てていた。
柄頭を叩き付けるようにして埋め込んだため、刃が上向きの状態だ。
そして猪がその短刀の上を通過する瞬間、発動した魔術の効果が発揮される。
地面がひとりでに隆起した。
最初はただ地面が盛り上がったかに見えたが、それは一瞬にして押し固められた一本の棒となって地面から鋭角に突き上がった。
突き上がった先には通過中の猪の巨体があるが、只の棒であれば猪に激突してもさして痛痒を与えなかっただろう。
ところが棒の先端にはシアが突き立てていた短刀がくっ付いていた。
穂先を得た棒は槍となり、見事に猪へと突き刺さる。
槍の石突きは地面と同化するかのようにがっしりと固定されているため、猪の突進の運動エネルギーは穂先となった短刀へ余すことなく集中した。
結果的に短刀は猪の下顎と上顎を順番に貫き、その先にある脳にまで到達する。
ほぼ即死だった猪の断末魔は短かった。
『あ、やば』
猪の腹の下でアキが呟く。
何がやばいかと言うと槍の柄が猪の突進と体重に耐え切れず、今まさに圧し折れてしまったこと。
更にはスライディング距離が予想より短かかったため、シアの体がまだ猪の下にあるということだ。
必死に這い出ようとするシアの奮闘も虚しく、小柄な少女の体は崩れ落ちる猪の巨体の下敷きになってしまう。
「ぐえっ」
シアの断末魔もまた、猪のそれと同じように短いものであった。
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